第二百一譚 その幻は敵を欺く


 俺の創り出した幻影を次々と倒していく聖王を尻目に、よろめくセレーネのもとへ駆け寄る。


「セレーネ、大丈夫か? あんまり無茶はするなよ」


 彼女に背を向け、庇うように立つ。

 先程の聖王の攻撃――腹部を思い切り蹴り上げられた衝撃は強く残っているだろう。


「ええ、問題ありません。この程度なら治癒魔法でいくらでも」


 得意げに話す彼女に少しだけ顔を向け、横目でちらりと様子を窺う。

 表情は確かに余裕そうだけど、汗が流れたのを視認した。


 いくら治癒魔法で傷を癒せたからと言って、受けた痛みが消えるわけではない。

 その痛みは強ければ強いほど脳裏に焼き付き、恐怖を生み出す。


「……危なくなったら下がってくれよ」

「アル様こそ、危ない時は私の背に隠れてくださいね」

「言うようになったな。でも、その心配はいらないよ」


 聖王が最後の幻影を切り伏せ、こちらを睨みつける。


「お前が隣で戦い続けてくれる限り、俺も隣で戦い続けるから」

「ふふっ、そのようなことを言われてしまっては、余計に後ろへ下がるなどできませんね」

「”不滅なる勇者の幻影ミラージュ・エンティティ”」


 生み出された五人の幻影は、再び聖王へと向かっていく。


「二度も同じ手が通じるかよ!」


 剣を払い、幻影に向かう聖王。その姿から目を離さないまま、俺は小声で呟いた。


「聖王が戦っている隙にもう一度幻影を創る。そうしたらセレーネも幻影と一緒に飛び出してくれ」

「策が思い浮かんだのですね? 分かりました、アル様を信じます」

「ありがとう、それじゃあ……」


 五人の幻影の他にまた五人増やすなんて初めてだけど、このぐらいやってのけないと聖王には勝てない。 

 恐らく危険な作戦になる。セレーネもきっと、勘づいているだろう。

 それでも、これを成功させることが出来れば、聖王にとって大きな一撃となるのは間違いない。


「”不滅なる勇者の幻影ミラージュ・エンティティ”!」


 身体の奥底から魔力が放出されるのがわかる。これだけでも大きな出費だってのに、ここからさらに追い込むなんて考えただけでも吐き気がする。


 それでも――。


「やってやるさ! ”幻影ミラージュ”!」


 その言葉の後、幻影と共に飛び出していくセレーネ。

 聖王は新たに迫る幻影たちに不快感を隠せないでいた。


「いい加減にしやがれ、オマエとの遊びに付き合うほどオレは寛容じゃねえんだ」


 聖王の動きがさらに早く、重くなる。

 一人、また一人と幻影が切り伏せられていく。


「俺だって、お前と遊んでる気なんて一切ないよ。いつだって本気だ」


 誰に聞こえるでもない呟きがぶつかり合う金属音によってかき消される。


 俺は構えを解き、全速力で聖王のもとへ駆け出した。

 先に飛び出していった幻影の後を追わず、回り込むように走る。


「こんだけ偽者を創ったところで無駄だぜ。全員殺せば結果は同じなんだからな」


 幻影の数が次々と減っていく。

 俺が後ろに回り込んだ時には、既に三人しか残っていなかった。


「これであと二人だ……ッ!」


 笑いながら、俺の幻影を真っ二つに斬り落とす。


「どうした! もう声すら出ねえか! こんなもんかよ、結局は!」


 そして、気づけば残りは俺とセレーネの二人のみ。

 俺とセレーネに挟まれる形になった聖王は、俺に目を向けた。


「もう万策尽きたのかよ? だがこれで、オレとオマエの因縁に決着つけられるぜ」

「……」

「終わりだ、アルヴェリオ!」


 そう言って、聖王はセレーネに・・・・・身体を向けた。


 思い切り振り下ろされた一撃をセレーネが寸でのところで受け止める。槍ごと圧し斬るつもりなのか、聖王は力を抜く気配がない。

 だが、この時。この瞬間を待っていた。


 俺は聖王の背に一撃を加えようとする。


「邪魔すんな、ァ!」


 その言葉と共にセレーネを蹴り飛ばし、横薙ぎで俺に斬りかかってきた。

 斬撃は俺の身体を捉え、その反動で宙に浮く。


 聖王は斬り払った俺に見向きもせず、尻もちをついたセレーネに剣を向けた。


「本当に終いだ」


 声音から喜びが感じられる。表情は見えないが、きっと口角を上げて笑っているんだろう。

 

「ふふっ」

「……あ?」

「終いです。これで」


 セレーネが笑みを浮かべ、こちらを向く。

 それを見た聖王は、素早く振り返る。


 聖王の目には、腹部を斬られた俺の姿が映っているだろう。

 いや、正確には『セレーネの姿』、だけどな。


 聖王が顔をセレーネへと向ける。

 そして、セレーネの表情で何かを悟ったのか、一言呟いた。


「オマエは、アルヴェリオか……?」

「貴方の負けです」


 もう一度聖王がこちらに顔を向ける。

 だが、遅い。


 幻影は既に、奴の瞳に映らない。


「終わりだ――!」


 先程まで聖王の瞳を騙していた蜃気楼は消え去り、代わりに懐へ近づき渾身の一撃を放とうとする俺がいる。


「オマ――」


 一閃。

 長剣は筋を描き、目の前に立つ男の腹部を捉えた。


 一瞬の沈黙が流れる。

 聖王が口元から血を垂らすと同時に、斬られた腹部からとめどなく血が溢れだす。よろめきながら後退り、自らの腹部に目をやった。


「オ、オレが……負け……?」


 長剣に付いた血を払い、聖王へと切っ先を向ける。


「無駄に苦しませることはしない――ごめん」


 その言葉と共に、長剣を聖王の胸元へ向けて放つ。

 

 瞬間。聖王の姿が煙と共に消え、その長剣は空を穿った。


「え――」

「な、何故――」

「随分と手間取っておるようじゃな、リヴェリアよ」


 女の声が広間に響く。

 だが、俺たちは瞬時に感じ取った。その声の異様さを。


「まったく、勇者がここまでの力をつけているとは想定外じゃ。流石はこの世界唯一の異物……手間取らせてくれるわ」


 恐怖が身体を支配する。

 ここまでの禍々しい気配、今まで感じたことがないとてつもなく強力な――いや、違う。この気配どこかで感じたはずだ。


「この男もこの男よ。最初から妾の力を借りておればこのような事にはならなかったものを……」


 そうだ、ビストラテアの武闘大会。

 あの場所で感じた――アクリゥディヌ神徒の奴らと戦った時に一瞬だけ感じたあの気配。


「そうは思わんか、アルヴェリオ・エンデミアン?」

「お前は……誰だ……?」

「不思議なことを言う。妾か?」


 女の声がする方へ顔を向ける。

 

 そこにあったのは、闇。

 一言で表すなら底のない深い闇。


「――女神アディヌ。この世を統べる全能の神にして、創造神」


 真っ暗な闇が、広がっていた。


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