第百九十一譚 魔族の王
勇者が戦場を離れてから数分。魔王は一人、頭を悩ませていた。
悩みの種は八皇竜である。
八皇竜は開戦から一歩たりとも動いていない。ましてや、動こうともしていないのだ。
(戦力の温存ということなのだろうが、そんなことをするぐらいなら初めから私たちを潰しに来た方が早いだろうに)
魔王はその違和感から、今後の動き方を決めかねていた。
八皇竜が動けば、それ相応の対処はできる。しかし、頑なに動こうとしないのは何かがあるのではないかと勘繰ってしまっていた。
「……何故動かない? 私たちが疲労するのを待っているのか? 待つ必要などないはずだが」
随時報告に現れるスカルウェインの情報では、魔王軍の優勢で戦場は動いている。
ならばこそ、八皇竜が動かない理由などない。
聖王軍の劣勢をいつでも打開できると高を括っているのか、まだ動くほどの事ではないと思っているのか。
「……何か。奴らは何かを待っているのか? では何を……」
眉をひそめ、口元に手を当てた。
「新たに罠の可能性も考えなくてはならないか」
そう言うと、長杖を持つ手に力を込め、前線へと足を進める。
思考を巡らせ、幾通りの行動パターンを予測していく。作戦自体に変わりはないが、対応策として何十という案を出さなければいけないのは魔王としても少々骨が折れる。
(一から自分で作戦を立てることなどなかったが、魔王となった今ではよくわかる。一から作戦を立てる難しさが)
魔王は一瞬、口元に笑みを浮かべた。
「頼りきり、だったんですね」
ぽつりと呟いたそれが無かったかのように、魔王の表情はいつもの威厳あるものに変わっていた。
しばらくして前線に辿り着いた魔王は、周囲の状況を把握するためにふわりと浮いた。
ふわふわと上空に浮き上がり、あたりを見渡す。
「おい! あそこを見ろ!」
一人の兵士が魔王を指さす。
それに呼応するように、多くの兵士が動きを止めた。
宙に浮いた魔王の姿は、敵味方関係なく注目を浴びることになったのだ。
しかし、それこそが魔王の真の狙い。
絶対に成功させたかった策の一つだった。
(そう、そうだ。これで良い。私を見ろ、私はここにいるぞ)
にやりと不敵な笑みを浮かべ、魔王は気高く声を上げた。
「魔王ルカティオスはここである! 私の首を取ればこの戦は終わるぞ! 我こそはという者はこの首、獲って見せるがよい!」
その一声により、注意は完全に魔王へと向いた。
誰一人として勇者たちの存在に注意する者はいなくなった。
この戦場から彼らが消えようとも、誰一人として気づく者はいないだろう。
「こ、殺せエエ! 魔王を殺せエエ!」
敵意は全て魔王に。各軍が一斉に魔王へ向けて進軍を開始する。
左軍、中央軍、右軍の隊列など最早意味を成さず、一つの槍となって襲い掛かった。
魔王軍もこれには動揺を隠しきれないようで、各軍混乱してしまっているようだった。
だが、それでも右軍は態勢を立て直し、聖王軍を回り込むように動き始める。
「ほう。スカルウェインか――いや、それにしては動きが雑だな。ということは、勇者の仲間が率いたと? なるほど、流石は勇者一行か」
魔王は感心するように頷き一呼吸置く。
「これは負けていられまい」
ゆっくりと右手を伸ばし、向かってくる聖王軍に手のひらを向けた。
直後、周囲から魔力のようなものが集まり、形を成していく。それは小さな球体を形作ると、徐々に手のひらでは収まりきらないほどの大きさに。
「受け取るが良い。これが魔王の一撃だ」
すうっと、球体は手のひらを離れて真っ直ぐに聖王軍のもとへ飛んでいった。
「おい、何か飛んでくるぞ」
「なんだありゃ……玉、か?」
進軍を続ける聖王軍の中に、球の存在に気づく者が現れる。しかし、それを気に留め、立ち止まる者はいなかった。
それが死を呼ぶものとも知らずに。
「爆ぜよ」
その言葉と同時に、球体は大きな爆発を生んだ。その爆発は音もなく、ただ前線の聖王軍の兵士たちを消し去った。
前線にいなかった聖王軍の兵士たちは、何が起こったのかわからずに進軍を止めて立ち尽くしていた。
そして、魔王は逃さなかった。微動だにしていなかった八皇竜たちが一瞬、ぴくりと動きこちらを見たことを。
「畏れよ、崇めよ! 我はルカティオス――魔族の王にして、魔の運命を背負いし唯一人の王である! この状況を見ても尚、我が首狙う者がいるならばかかってくるが良い!」
魔王の言葉が戦場全域に広がり――遂に、八皇竜が動き出した。
一歩、また一歩と足を進めるごとに大地が唸りを上げ、大気が揺れる。八皇竜から溢れる魔力は、遠く離れていても感じる程に強大だ。
「ようやく動き始めたか。だがこれで、目的は果たした」
風になびく髪を抑えながら、長杖を構える。
「あとはどう料理してやるかだけだな」
口角を上げ、向かってくる八皇竜たちに視線を向けた。
「回復だけと侮るなよ。あの時と違って、今の私は葬る魔法をも使えるのだからな」
魔族の王として生まれた彼女は、初めは魔王となることを躊躇した。
生前は忌み嫌うものとして、倒すべき敵として対峙していたはずの存在に自分がなるなど以ての外だと。
だが、彼女はそれを受け入れた。
救いを求める者に、人も魔族も関係ないと。生前の役目は終わりを迎え、次は魔王として魔族を救えという神のお告げだと。
それが正しかったかは定かではない。
だが、結果として――彼女は魔族の王としてこの地に立っている。それは魔族、人も関係なく、ただ世界を救うために勇者と共に戦っているのだ。
かつて聖女とうたわれたキーラはもういない。
魔の運命を受けた――魔族の命運を託されし王、ルカティオスがここにいる。
「さあ、ボイルにされる準備はいいかトカゲ共」
その瞳には、確かな闘志と決意が見えた。
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