第百四譚 その音が始まりを知らせていた
ドモス平地を目指して早二日。
俺たちは未だに山岳地帯を超えられてはいなかった。
「よしっ、出発するぞっ。きっと今日中には山岳地帯を超えられるはずだっ」
オトゥーの言葉に、俺は軽く立ち上がる。
しかし、視界が急に変わり、森を見ていたはずの俺はいつの間にか地面を見ていた。
「あれ……?」
「リヴァ!?」
アザレアが俺の前に立ち、体を支える。
どうやら、俺は倒れそうになっていたらしい。
「ちょっと、アンタ大丈夫なの!? 顔が真っ青じゃない……!」
「おかしいな……すごく元気なはずなんだけどな……」
「昨日襲われた時に魔力を使いすぎたんじゃないかな? それに、ここまでちゃんとした休憩も取ってないから、疲労すら気づかない身体になってきちゃってるんだよ、きっと……」
アザレアとシャッティが心配そうな表情で俺を見る。
確かに、ドモス平地を目指し始めてから休憩と言った休憩をとれていないのは事実だ。
でも、そんな事は五十年前に何度も経験してきてる。
だから、二日ぐらいで疲労だ何だと言っていては恥ずかしいにも程がある。
「……ちょっとした立ちくらみだろ。気にするなって」
「でも……」
そう、これは立ちくらみだ。それ以上でもそれ以外でもない。
それにだ。例えこれが疲労のせいだったとしても、俺は先に進む。
どうしても先に行かなきゃいけないんだ。
こんなところで立ち止まっているわけにはいかないんだ。
「……行くぞっ」
「ああ、悪いな。余計な時間を使った」
「アルっち……」
俺たちはあたりを警戒しながら、オトゥーを先頭に山を駆けていく。
不規則に乱雑に伸びた草木を避けながら、山岳地帯を進む。
太陽はすっかり雲に覆われ、空は暗く何か良からぬことを暗示しているようだった。
この山岳地帯は木々によって太陽の光が遮られており、晴れていても薄暗い。
それに加え、曇っているために太陽の光さえ地上には届かない。
「あとどれぐらいでドモス平地だ?」
「早くて一時間もかからないぐらいだっ。そらっ、山岳地帯を抜けるぞっ」
オトゥーの言葉通り、俺たちは山岳地帯を抜けた。
あたり一帯は荒廃していて、生き物が住んでいる気配はない。
「ドモス平地は目の前にある小高い丘を越えた先にあるからなっ」
先に進もうと歩き出した俺たちと反対に、オトゥーは山岳地帯に戻るよう歩き出した。
「あれ、オトゥーさんは一緒に来ないの……?」
「当たり前だっ! オイラの案内はここまで。誰が好き好んで戦争になんか参加するかっ」
「だけどオトゥー。お前たち炭鉱族の大陸で戦争が――」
「黙れ人間っ! お前たちが始めた戦争だろっ、もうこれ以上オイラたちを巻き込むなっ!」
その言葉を残し、オトゥーは山岳地帯に消えていった。
「……リヴァ、今の言葉は――」
「わかってる。お前らも気にするなよ」
俺たちが始めた戦争だと言ったな、オトゥー。
でも違う。俺たちは関係ない。
戦争を始めたのは聖王で、俺たちは被害者なんだ。
その聖王の挑発に乗って、今から戦争を始めようとしてる奴らとは違う。
そうだ。だから俺が戦争を止める必要はないんだよ。
戦争を止めるのは国のトップの仕事だ。
俺は俺で好きなようにやらせてもらう。
「……あの小高い丘を越えた先って言ってたよな? 早速――」
その瞬間。丘の向こうから眩い光と共に、ほんの少しだけ遅れて破裂音の様な音が聴こえてきた。
俺はその光景に頭が真っ白になる。
だが、すぐに意識を戻してアザレアたちと目を合わせる。
「急ぐぞ!」
俺たちは小高い丘を目指して全速力で走り出した。
近くにあるようで遠いもどかしさに苛立ちを覚えながら走る。
だが、いくら走っても徐々にしか近づいていかない。
そうしている間にも、丘の向こうから色々と混ざった音が聴こえていた。
ここまで来て間に合わなかったなんて事になったら俺は……俺はどうしたらいいんだ。
俺の、今までの全てが無駄になる。
ここまで来た努力が無駄になる。
それだけは許せない。
何としてでも間に合う。間に合ってみせる。
「リヴァ……! 先に行って、様子を見て来て……!」
「わたしたちは後で追いつくよ……!」
アザレアたちが疲れ切った顔で声を振り絞り、言葉を発する。
俺はそれに無言で頷くと、そのまま小高い丘を目指して走った。
息を切らし、小高い丘を駆けあがる。
色々と入り混じった音が徐々にはっきりと聴こえてくる。
怒りのこもった声、憎悪の混じった声、誰かの悲鳴、笑い声。
炎が燃え盛る音、風が何かを切り裂く音、何かが爆発する音。
丘の下から聴こえてきたそれらは、俺が見るまでもなく答えを知らせていた。
人間、妖精、獣人、魔族。
それら全てが入り混じった光景は地獄にも見えた。
「間に合わなかったのか……?」
戦争が、始まっていた。
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