第九譚 炎竜討伐戦開始


 銅鑼の重い音が城下町全体に響き渡る。

 その音は滅多に使われることがない。それが使われたという事は即ち――


 絶望を意味する。






□――――王都トゥルニカ:防壁上






「弾薬をありったけ持ってくるのだ! 時間がない、急げよ!」


 兵士達のトップと思われる年配の男が大声で叫ぶ。

 その言葉に兵士達は頷き、大急ぎで弾薬を運んでくる。


 ここ、王都トゥルニカには魔物の進行を食い止める防壁がある。

 王都を囲むように建てられたそれは、高さ約三十メートル、厚さ十メートルと分厚く頑丈にできており、簡単な攻撃では傷一つ付けられない。


 防壁の上には対魔物用の砲台や、巨弓が多数設置されており、迎撃も充分に可能である。


 しかし、それは対魔物用であって、決して対竜兵器ではない。

 ゴブリンやオーガなどの数で勝負する魔物に対しては絶大な威力を誇るが、竜のような個で圧倒的な力を誇る相手となると話は別だ。


 竜種は鋼のように硬い鱗で覆われており、巨体なのにも関わらず素早く、大きな翼はその巨体を浮かし空を舞う。

 そのため、攻撃を当てる事もままならない。


 砲台から放った弾薬が当たったとしても、あの硬い身体に傷一つ付けられないだろう。

 巨弓を射ち、その矢が当たったとしても、あの硬い身体を貫く事はできないだろう。


 そもそもの用途目的が違うのである。


 しかし、彼ら兵士達からすればそんな事はどうでもいいのだ。


 戦える武器があればそれだけで充分。

 例え効かなくとも逃げる理由にはならない。


 彼らにとってここは居場所であり、愛する者達の住む護るべき家でもある。


 それを護る事こそが彼らの戦う理由なのだ。


「兵士長!」


 城下町へと続く階段を駆け上がってきた兵が、指揮を執っている年配の男に声を掛ける。


 その兵が身に着けている腕章は伝達係の印。

 何らかの連絡事項を兵士長に伝えに来たのである。


「どうした?」


「現在までの避難状況は全体の約七割との事です!」


「七割か……。どのくらいの時間があれば全員の避難は完了する?」


「おそらく三十分もあれば充分かと……」


 それを聞いた兵士長は眉を細める。

 はたして避難が間に合うのか、それが気がかりだった。


 三十分もあれば、と伝達兵は話したがきっともう少しかかってしまう。

 パニックになれば尚更だ。


「肝心の相手はどこに?」


 気になるように防壁の外を覗く伝達兵。

 兵士長がそれに応えるように指を指した先を見た伝達係は言葉を失う。


 炎のように真っ赤に染まる紅蓮の鱗。頭の先に生える二本の鋭い角。遠目でもわかるほど巨大な体躯。体よりもはるかに大きい翼。


「あ、あれはまさか……」


「……ああ、そうだ。あれが伝説の“八皇竜はちおうりゅう”。炎竜えんりゅうプロクス……」


 八皇竜。竜種の頂点に立つ八頭のドラゴンの事である。

 竜種とは魔物達の最上位種。すなわち、魔王を除けば魔族の頂点は八皇竜ということだ。


「我々を馬鹿にしているのか、空を飛ばずにゆっくりとここに向かってきている」


「ですがそれなら……!」


「そうだ。きっと住民の避難までの時間を稼げる」


 もちろん、彼らに恐怖がないわけではなかった。

 皆、顔に出さないだけで恐怖に耐えているのだ。


 震えながら作業している者もいれば、恐怖で嘔吐している者だっている。

 それが普通なのだ。


 魔族の頂点――最強の種族が攻めてきているのに平気でいれるわけがない。


 しかし、今から死ぬかもしれないと思っても、彼らには強い覚悟がある。


 命を賭けてでも護るという覚悟が。


「兵士長……。ご家族に会われなくても良いのですか?」


「……急にどうしたのだ?」


 遠目に映る炎竜を見ながら伝達兵は口を開いた。

 兵士長にその言葉をなげかけた彼も、愛する家族を護る為に戦おうとしていた。


「実は、まだ生まれたばかりの子供がいまして……。兵士長もお孫さんが生まれたばかりと聞いたものですから……」


「ふむ……。私とて会えるものならば会いたい、が……今すべきことは別れを惜しむ事ではない。生きる為に戦う事だ」


「……勝てるのでしょうか。我々は……」


 その言葉に兵士長は静かに伝達兵の肩を叩く。


「勝てる勝てないではない。勝つのだ、我々は。勝たねばならんのだ」


「兵士長……」


「西と東は冒険者達が護ってくれている。北には我々が。南は国王陛下がお護りしてくださっている」


 そっと肩から手を下ろした兵士長は持ち場へと戻っていく。

 その途中に彼は伝達兵に言葉をかけた。


「必ず生き残るぞ」


「……っ! はっ!!」


 兵士長の言葉を聞いた伝達兵は、姿勢良く敬礼をし、城下町へ続く階段を下りて行った。


「さて、皆準備はいいか!?」


 その言葉に「おおっ!」とやる気に満ちた声があちこちから聞こえてくる。

 彼らの声は他の防壁まで聞こえるほどの声量だった。


 そんな彼らに奮起させらたのか、各防壁からも大きく、力強い声が聞こえてくる。


「聖王が世界を侵略し始めて五十年。これほどの戦いは初めてだ。奴も侵略に本腰を入れてきたのだろう。だがしかし! 我々は決して屈しない! なぜなら護るべきものがすぐ後ろにいるからだ! だから我々は負けはしない! 愛する者のところに帰る為にも! 美味い酒を飲むためにも!」


 兵士長の声は驚くほど辺り全体に響き渡った。

 それはもちろん炎竜の元にも届いていた。


 その声を脅威と感じたのか、それともこの瞬間を待っていたのかは定かではない。

 だが、彼の声により、炎竜は地を離れた。


 大きな翼を羽ばたかせ、空へと舞いあがる炎竜を見た兵士長は声を荒げながら叫ぶ。


「いくぞ! 我々の愛する国を! 民を! 護るのだ!」


「全砲門! 一斉射!」


「撃てぇぇぇぇっ!!」


 兵士長の合図で攻撃が一斉に開始される。

 砲台からは弾丸が放たれ、巨弓からは鋭く太い矢が放たれる。


 絶え間なく続く攻撃を炎竜はいとも容易くかわし続ける。

 傷を付けるどころか掠りもしない。


 炎竜はこれを楽しんでいるのか遊んでいるのか、一向に攻撃を仕掛けてこない。


「撃ち続けろ! 必ず当たるはずだ!」


 しかし、時間が経つに連れ、兵士達の士気も徐々に下がり、疲れの色が見え始めた。


 既に弾薬も矢も底を尽き始め、攻撃手段が無くなりつつあった。


「ぐっ……! まだだ! 我々には剣が――」


「兵士長!!」


 一人の兵士が叫ぶ。

 その声に反応した兵士長の目の前に炎竜の姿が映った。


 炎竜は鋭い爪を立てながら腕を振り上げる。


「……我々は! 負けるわけにはいかんのだ!」


 腰にぶら下げていた鞘から剣を抜き、兵士長は炎竜に向かって構える。

 叫び声を上げながら炎竜に突っ込んでいく兵士長に向けて振り下ろされる炎竜の一撃。


 誰もが叫んだ。


 刹那。兵士長は進んでいた方とは真逆に吹き飛ばされ、次の瞬間に炎竜の腕が振り下ろされた。


 だがしかし、感じる筈の地響きも防壁の崩壊も、何も起こらなかった。

 兵士達は何が起きたのか信じられない様子で、炎竜の一撃を受けた場所を見ていた。


 兵士長の代わりにそこに立っていたのは一人の少年。

 炎竜の一撃をいとも容易くいなした、ボロボロの服を着た白髪の少年がそこに立っていた。


 誰もが口を開けたまま硬直する。


 しんと静まり返る戦場で、ただ一人。息を吐くように言葉を発した。


「もう大丈夫だ。ここは俺に――“勇者”に任せてくれ」


 かつて神に認められこの世界に転生し、世界を救おうとした少年。

 そして今もまた、運命のいたずらか同じ道を歩もうとしている少年。


 彼の名は“アルヴェリオ・エンデミアン”。

 勇者のいない世界に現れた、たった一人の“”である。

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