ヒョウやん
夏の日差しが燦々と降り注ぐ中、肥後の南部に位置する小岩瀬に住む子供たちが加勢川の河原に集って村相撲の稽古に興じていた。
いずれも8歳から15歳までのよく日焼けした 褌姿の腕白どもである。そしてそれから少し離れたところでは、やはり彼らより少し年長の14歳から17歳くらいまでの年頃の娘たちの川で洗濯をする姿があった。
河原は角の丸い石ころが一面敷き詰められたように転がっていて、その上で相撲に興じる子供たちの体はあちこちに擦り傷をつくっていた。相撲は大人のように体格のよい15歳のヒョウやんが一番強く、二番目がやはり15歳で彼よりは少し背丈が低い丈やんだった。ヒョウやんは村中の子供たちにとって憧れの的で、神代の代から続くやまとおのこかくあるべし!という象徴のような存在だった。
しかし清吉の関心事は仲間たちではなく、近くで洗濯する女たちの膝のあたりに向けられているようだった。田舎の骨太娘たちは、河原のゴツゴツした地面に立膝をついて村集の褌や足袋をゴシゴシ洗っていた。大小さまざまの無数の小石の上に膝をむにゅうと立ててである。そして乙女たちは時々立膝のまま地面の上をズルズルフニフニフニュフニュル!と膝を引きずって移動していた。
清吉は不健康で生臭い鼻息をフンフン吐きながらその光景を凝視していた。脳裏にかつて聞いたことのある「女のやわ肌」という語句を幾度もかけ巡らせながら、彼は女たちの膝の生皮に神経を集めていた。
しかし「女のやわ肌」というフレーズが脳内を回転する中、乙女等の膝にいかに神経を凝らしても、それらからは微塵のダメージも見て取れなかった。
そこで彼は心臓をドキドキさせながら、ちょっとだけいざり歩きを試してみた。河原の石ころと自らの膝の生骨がこすり合わさって、皮が擦り切れるような嫌な感触を感じた。さらにもう少し進んで膝を覗き込んでみると、その薄皮がべっとり赤味を帯びていて若干ペロペロ剥けかかっているようにも見て取れた。
「乙女たちの膝は…!?」
むろん乙女たちの移動距離は清吉が試したものの比ではない。彼は儒学者のような思慮深い目で、乙女たちの膝にわずかでも血の色を見出そうと努めた。しかし彼女たちの膝からはそのわずかな血色さえも見て取ることはできなかった。清吉は窒息する思いだった。
「こらどこば見とるか、われぁ!?」
ガキ大将のヒョウやんが清吉の頭に足を乗せて踵で揺さぶった。
清吉はその野性的な狂暴さにビビったが、一方で足の裏から頭に伝わってくる波動からは、やまとおのこたる年長男子の限りない頼もしさをも感じた。
彼はその盤石の頼もしさにいじけながら、その膝をつぶさに見上げた。つぶさに見ると予想していた通り膝は充分に逞しく、骨はゴツゴツしていてその周りを隆起した青銅の筋肉が覆っていた。
だが彼はそのゴツゴツしたやまとおのこらしい感じ故に、一方で何かどことない儚さを感じずにはいられなかった。なぜならゴツゴツした感じがある故に、ヒョウやんの膝の面積は豊満な乙女たちのものよりも狭く感じたからである。彼は女たちの膝頭が広いのは骨が太いためか?それとも分厚い皮下組織に覆われているためか?と考えたが、どうもその乙女たちの膝頭は、ぬるっ!とした肉厚の層に覆われていて一様に丸く、それ故に面積もかなりの広がりを見せているようだったのである。しかし骨そのものが太いために面積が広い可能性も捨てきれないでいた。またさらにその膝の表面は角質化しているようにも見え、函谷関のごとき鉄壁の様相を呈していた。
そして今度はヒョウやんの膝のほうに目を移すと、血色のよいゴツゴツした皮膚の真下には多量の血が流れていて、いまにも皮を突き破って噴き出してきそうな勢いに満ちていたので、清吉はもう矢も楯もならない衝動に駆られてヒョウやんに切り出したのだった。
「ヒョウやん、あんおなごたちはこんかたーか地面の上ば膝ばズルズル引きずって進みよるばってん、痛とうはなかとか?「女のやわ肌」ぞ!ああ、もちろん男の中の男のヒョウやんなら、こんかたーか砂利ん上ばいざって進んだっちゃ、おなごどんの上ばいくよね?どうかね?」
「当たり前じゃ!!おるば誰ち思うとるか?よおし、おるもこん砂利の上ば膝ば引きずっち進んでやろうじゃなかか!!」
ヒョウやんが砂利の上にガスッ!!と立て膝をついた瞬間、膝の骨と石がふつかる激しい音がしたので、恵吉は胸が張り裂けそうな思いに駆られた。
「こっでええが?」
ヒョウやんは少し進んでみなに尋ねた。
「んにゃ、おなごどもはもっとうんと進みよった。ヒョウやんももっと進まなできん!」
皆は彼にもっと距離を進むよう促した。
「こっでええが?」
「んにゃ、もっと進め、もっと進め!」
「こんぐらいでええが?」
「んにゃ、ヒョウやん、もっと進め!」
ヒョウやんはかなりの距離をいざって進む羽目になった。
「こっでええが?」
「んにゃ、もっと進め、もっと進め!」
「あっ!?」
清吉がヒョウやんの膝に異変を発見したらしく、指を差して叫んだ。
「ヒョウやん。膝に何か赤かとのついとるぞ!!」
皆も血相を変えてヒョウやんの周りにバタバタと駆け寄り、彼の膝を覗き込んだ。
「ヒョウやん、そん赤かとは何じゃろかね?」
「血じゃなかろね…。まさかそら血じゃなかろね?」
「そん赤かとは何じゃろかなあ!?」
ヒョウやんは茫然とした顔でしばし仁王立ちになっていたが、突然「うおおおおおがぁーーーーーーっ!!」とあらん限りに咆哮すると、全速力で駆け去ってしまった。清吉は、彼の褌から丸太のようなものがはみ出していたのを見逃さなかった。
それから数日してヒョウやんは元服したということだった。
清吉は時々道でヒョウやんとすれ違うことがあったが、彼は清吉と目が合っても声をかけることもなく、ただ無言で通り過ぎるばかりだった。
清吉は男子が大人になるとは、こういうことだと思った。またあの事は、決して公の場で語ってはならないことも承知していた。
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