第9話 銀髪さんの焚書
1.閉架書庫
「その本は、今後貸出禁止とする」
「粛正」という腕章をつけた男子学生が、低い声で告げる。
威圧感のある口調に、図書委員は反発する。
「なぜこの作家の本が貸出禁止になった?
理由を教えてくれ。納得しかねる」
「その本の作家は……。
校内法に反する内容の本ばかりを書いている。
自殺や他殺の肯定。薬物や酒の肯定。規律破りの肯定。
おまけに、薬物で逮捕歴もある。
そして……その作家は、先週急逝した。
薬物で亡くなったと噂されているが、真相は知らん。
だが、その作家が亡くなったことで、
作家は伝説のような扱いになってしまっている。
粛正委員会としては、これ以上その本を、
規律ある学生生活には必要ないと判断した」
「たしかにその作家は、人間として終わっている。
でも、そういう本も、時には必要だ。
俺たちの心は、真面目で綺麗なだけではないんだ」
「図書委員が何と言っても、
粛正委員会の権限には逆らえない。
明日までに貸出禁止にせよ。
さもなくば、君にも『粛正』がくだる!」
粛正委員会は、乱暴に言い放ち、図書室を出て行った。
図書委員・神村新吉(かむらしんきち)は、
自らの右のコブシを強く握り震わせた。
「むかつく……。
禁止するにしても、
あんな高圧的なお願いの仕方で通ると思っているのか!
粛正委員会は横暴だ」
神村は怒りのあまり、声が大きくなる。
他の図書委員は、不安そうに神村を見る。
「新吉さん。
この作家……津原実人先生の本は、
本日中にすべて閉架書庫に移動させます。
とりあえず、それだけでも実施しましょう」
「いや待て。閉架書庫に移動させる前に、
俺に貸してくれ。
この本を、そう簡単に禁止にさせるわけにはいかない」
「し、しかし……」
「心配するな。用事を済ませたら、すぐに閉架書庫に仕舞う」
2.「正義」の不正アップロード
図書委員・神村新吉は、津原実人の本が好きだった。
他の学生からの貸出がされるたびに、「この本を好きになってくれよ」と
喜びがあふれて仕方がなかった。
津原実人は、薬もお酒も法律破りも何でもありな作家で、
世間的には「無法者」と呼ばれる作家だが、
そんなめちゃくちゃな生き方が、新吉は好きだった。
しかし、津原実人が逮捕されたり、めちゃくちゃなことをするたびに、
書店・電子書籍・メディアからはしばしば規制を受けるのだった。
一度や二度ではない。
好きな作家の本が消える。
新吉はそれをとても残念に思っていたし、恐怖していた。
そしてとうとう、図書室に規制の波が及んできたのだった。
新吉はキレてしまった。
理不尽だ。
真面目で綺麗で、正直で公正。
たしかにそういうもののほうが世間受けはいい。
でも、そればかりで世界が染まってしまうことは、
とても我慢がならないことだった。
「真面目で綺麗で、正直で公正」
それに飽きてしまったら、いったいどうすればいいのだろうか?
真面目で綺麗で公正で正直な人たちは、
その答えも出さないまま、無暗やたらに禁止、禁止と叫ぶ。
許せない。テロを行うしかない。
新吉は、何百ページもある本を、何冊も持ってきて
それらをスキャナーにかけていく。
無言でそれを続ける。
手が疲れ、指がしびれても、ずっと本のスキャンを繰り返す。
その日の夜、作家・津原実人の本が、ネット上に出回り始めた。
紙の本をスキャンしたと思わしきその本は、
津原実人の亡霊をそのまま宿したかのように、
不気味に、ネットの海を漂うのだった……。
新吉は翌日、校内SNSで高らかに宣言した。
「故・津原実人氏の本を貸出禁止にするよう、
粛正委員会から要請がありました。
津原先生の本は貸出禁止となりました。
しかしながら、ネットへのアップロードは、
粛正委員会から禁止されておりません。
津原先生の本は、ネットでお楽しみください
私がアップしたので、ここをご覧ください」
神村新吉の投稿内容は、
校内SNSで話題になり、
学外にまで波及していく。
学外の有志が、次々と、津原実人の本の内容をアップロードしていった。
それらは、ネットで大きな話題を呼んだ。
賛否、賛否、賛否、のぶつかり合い。
まるで戦争のような様相を呈していた。
学校外まで巻き込み、とんでもない状態になった。
粛正委員会内では、図書委員の不正アップロードに非難の声が出ていた。
「あの図書委員! 勝手に本をアップロードするとは!
罰を下さねばなりません」
「そんなに怒る必要はない。
数日の停学くらいでいい」
「会長! 停学程度などでごまかすのですか!」
「停学でいい。
もし、この学校に牢屋があれば、
そこに閉じ込めておくでもいいが、
あいにく牢屋というものはない。
できるのはせいぜい停学……。自宅が牢獄だ。
あと、粛正履歴をつけることくらいだな」
粛正履歴とは、粛正委員会から罰を受けた履歴のことである。
これが多いと内申点に影響が出る。
「粛正委員会の存在意義を忘れるな。
我々の目的は何か?
学生をしばき、捕まえることではない。
規律の乱れた学生を、規律ある学生に正すことだ。
校内憲法は、学生の自由ばかりうたっているが、
それだけではやっていけない。
規律も必要だ。
我々は、校内憲法の補完を行っているのだ」
「それは、そうですが……」
「我々の下す『停学』は、学生の拘束ではない。
謹慎し、己の心を見直すためにある。
君もそれを忘れるな」
「はい。
それはよろしいのですが、
あと、またしても第二生徒会が、
今回の図書委員の停学に異議申し立てをしてきました」
「いつものことだ。
デモを起こすのなら、暴動にならないよう監視しろ」
「はい」
3.どうでもいい投票
次郎は校庭が騒がしいことに気づいた。
うるさいなぁと思い、覗きに行くと、
何十名かの学生が騒いでいた。
「第二生徒会だ!
粛正委員会は神村新吉の停学処分を撤回せよ!」
デモだ。いったい今度は何のデモだろうか?
次郎は、野次馬的な興味を持ち、
デモ集団の周りをうろうろする。
鋭い目つきの学生も何人かいる。
デモ集団を監視するような目つきだ。
おそらく粛正委員会。
「粛正」の腕章は外しているみたいだが、
次郎は、デモを何回か見たので、
動きや様子だけで、粛正委員会が誰なのか、
だいたいわかってしまうようになっていた。
神村新吉…。
たしか、図書委員で、最近校内SNSを騒がした人だ。
貸出禁止の本を、ネットにアップロードしたとかいう、
凄いことをやった人だ。
次郎は、次の授業もあるので、その場をあとにした。
教室に入る。
「ねぇ、次郎。
校庭が騒がしくなかった?
またデモか何か?」
織枝が話しかけてくる。
「そのとおりだ。
神村新吉の停学を撤回しろと騒いでいる」
「神村新吉……。
あの、SNSで貸出禁止の本を
アップロートしたとか話してた人だね」
「そうだ。すごい騒いでたぞ」
次郎と織枝が話し合ってると、
陽子が割り込むように話しかけてくる。
「それなんだけどね……。
他にももっと話があるみたいだよ」
「おっ、陽子か。
他にも話が? いったい何だ」
「第二生徒会が、粛正委員会に申し入れしたらしいよ。
貸出禁止の本を解除しろと」
「えっ。いいの? それ……」
織枝は驚いたように口を開ける。
「第二生徒会の主張は次のとおりだよ。
『貸出禁止の本は、すでにネット上にアップロードされ
拡散されている。貸出禁止にする意味がもはやない』
だってさ」
「へぇ……まぁ言われてみればそうなんだけども」
「ところで、生徒会は何と言っているの?
こういうゴタゴタは必ず口出ししそうなんだけど」
「生徒会はだんまりを決め込んでいるみたい。
生徒会と粛正委員会は、表立ってはいないけど、
裏ではつながっているみたいだから、
粛正委員会絡みの抗議行動が起きた場合、
粛正委員会を助けるか、静観するか、
どっちかだよ。
今回は静観しているみたい」
「それっていいことなの?」
「よくないことのはずだよ。
一応、生徒会と粛正委員会は、
権力分立?っていうことになってるから。
まー、生徒会もいつまでも黙っていることはしないと思うけど」
陽子の言う通り、生徒会も反論していたことが、後日わかった。
生徒会は、貸出禁止の本を解除することはない、という立場だった。
ネット上のアップロードも不正なものであり、
本来ならアップロードした内容も削除するべきだと主張した。
生徒会と第二生徒会の主張はいつもどおり平行線となり、
最終的には学生投票を行うことになった。
「また学生投票かぁ……。
前回の投票からそんなに日は経ってないぞ」
次郎は少しげんなりしたが、
気を取り直し、今回の投票内容を整理した。
「今回の投票は……。
ええっと『貸出禁止になった本の、貸出禁止を解除するか否か』か。
……俺はこの作家のファンではない。
どうでもいい。
どうでもいいけど、投票しなければならない」
ある一部の人にウケている作家の本。
たしかに強引に貸出禁止にしている面はある。
でも、次郎は、この作家(津原実人)をあまり知らないし、
本の中身に興味もない。
自分があまり関心のない投票になると、
人の心はここまで「どうでもよく」なってしまう。
「織枝……俺はこの投票はあまり興味がない。
だからかなり決めかねている。
俺がこんなことを言うのも変だけど……。
こういう場合、織枝ならどうする?」
「そうだね……。
私だったら、『もし自分の好きな本が貸出禁止になったらどうするか』
ということを考えるようにしているよ」
「なるほど。
とはいえ、俺はあまり本は読まないんだよな」
「それなら、好きな芸能人だかスポーツ選手の出した本が
貸出禁止になった場合のことを考えたほうが
いいんじゃないかなと思うよ」
「結局本じゃないか」
「あはは、そうだね!」
織枝の意見はあまり頼りにならなそうだ。
そう思った次郎は、級長にも相談をする。
「ある特定の作家の本を貸出禁止にするのは、
学生の読む自由を奪っているとも言えるでしょう。
粛正委員会は、規律を守るとか言っていますが、
私にはそう見えません。
粛正委員会の自己満足でしょう、あれは」
級長の言葉は辛辣だった。
次郎は、級長の言葉にはキレがあるなと思って
頭の中にメモをしておいた。
さてそろそろ投票の時間がくるし、準備するか。
と次郎は机の椅子に座ろうとすると
茉奈が話しかけてくる。
「ジロー。投票どうするか困ってるの?
なんか困っているような顔をしているよ?
私みたいに、鉛筆転がして決めればいいんじゃない?
今回の投票は、前の投票よりもよくわからない投票内容だし」
茉奈は相変わらず、鉛筆を転がして決めているようだ。
あまり興味のない、迷ってしまう投票については、
ランダム性に賭けるのもアリだな。
……こんなことを言ってしまうと級長には「ちゃんと投票しろ」
と怒られてしまうのだが。
次郎は、手元にある鉛筆をちらりと見る。
その瞬間、
背後から級長に睨まれている気がしたので、
鉛筆を見ることをやめにした。
鉛筆転がしなんて露骨にやってたら
級長に目をつけられてしまう。
仕方ない。
別の方法を使おう。
いったん教室の外に出る。校舎裏へ向かう。
校舎裏には小さな花壇がある。
オレンジ色の花がゆらゆら揺れている。風が吹いている。
「花占いをしようか…」
次郎はとんでもないことを思いついた。
投票行為を花占いで解決しようとしたのだから。
「貸出禁止する」「貸出禁止しない」
そう言いながら、花びらの1枚1枚をつみとる。
そういうイメージをしながら、
次郎は、か弱く揺れる花へ近づいて行った。
「こら! そこのあなた! 何しているの!」
「げっ!」
呼び止められた。
声の調子からして、粛正委員会だろう。
もう驚かないぞ。
次郎は、誰に呼び止められたのか、確認するため、背後に振り向く。
次郎の予想は的中した。
その人物は「粛正」という腕章を巻いている。
顔は……。
「き、桐乃さん!」
「あなたは……。
こんなところで何をしているの」
桐乃は、「またお前か」と言いたそうな顔で、次郎を見る。
次郎は以前から、桐乃と何度か顔を合わせていた。
もちろん、注意する立場・注意される立場としての話だが。
「花を摘もうと思って」
「……変な冗談はやめてくれる?」
「いや、本当ですよ」
「からかうのもいい加減にしなさい」
「今回の……貸出禁止の投票、
どこに投票していいかわからないので、
花占いをしようと思って」
桐乃は絶句した。
花占いで投票先を決めるという、
いまだかつてない斬新なやり方に、
思考がついていけなかった。
「何を言っているの。
花占いで投票とか、冗談にもほどがあるんじゃないの。
それに、勝手に花壇の花を抜くのは、モラルに反している。
花壇の花は、誰かが育てた花だぞ」
「でも、投票で鉛筆転がしをすると、うちの級長がにらむんですよ」
「変なやり方に頼らないで! ちゃんと投票しなさい!」
「うーん。じゃあ、花壇に生えていない花ならいいですか?
誰も植えてないですし、自然に生えたものですし」
「それもダメ!
とにかく、妙なやり方に頼らないこと」
「桐乃さんなら、今回の投票、どうやって考えます?
俺にはわからないですよ。
よくわからない作家の、よくわからない本を、
貸出禁止だの貸出許可するだの」
「それを私に訊くのか?
……私は規律ある粛正委員だ。
考えるまでもないし、
すでに答えるまでもないでしょう?」
「粛正委員じゃなくて、桐乃さんの意見が聞きたいです」
「わ、私の意見か?
私なら……そうだなー、私なら。
粛正委員の私と同じことを投票すると思う。
私の性格と、粛正委員は、一致しているところがあるから」
「そうなんですか。
規律ある人だと、『貸出禁止』を選ぶんだろうなぁとは思いますが」
「今回の投票で、あなたが何を選ぼうと、
私は咎める気はない。
だけども私は、貸出禁止が妥当と考えている。
モラルに反するだけではない。
あの作家は、自殺や他殺、反社会的な行動の推奨と
とらえかねないことを本に書いていた。
賛否ある内容だ。
賛否ある内容は、必ず混乱を巻き起こす。
引き起こされた混乱に対する、社会の動揺や
その鎮圧コスト、冷静になるまでの多大な時間。
こういったことを計算して考えても、
あの作家は社会的な悪だと考えている。
私が権力者なら、
貸出禁止どころか発禁にしてもいいくらいだ。
それなのに、あの作家の本は、
裏でこっそり流通しているならともかく、
書店で、ネットで、図書室で、
大きな顔をして存在感を示している。
そういう光景に、私は、とても違和感をおぼえる」
「社会的な混乱ですか。
混乱が起きたら、それをおさめるのは大変ですからね」
「そうだ。それに……。
古典と言われる、とある小説がある。
もう200年近くも前の小説だが、
その小説では、犯罪の肯定と思われる内容の記述があった。
それは現在、発禁にも貸出禁止もされていない。
なぜだと思う?」
「うーん。……それはわかりませんね」
「現代を生きる私たちから見て、
その古典の登場人物の行動や価値観について、
年代がかけ離れすぎてて、
今読んだらそんなに賛否は起きないし、
本自体も一部の愛好家しか読まれない。
小難しい文章で意味わからないし。
だから社会的影響は少ない。
だけど、現代人の手によって書かれた本は、
私たちにダイレクトに影響を与えてくる。
古典と比べて、比較的文章も読みやすいし、
共感も否定も得やすい。人の心に訴えてくるものがある。
それらは社会的な動揺・混乱に少しずつつながってくる。
現代人の手によって書かれた反社会的な本は、危険なんだよ」
「本なんかでそんなに影響出ますかね?
俺は本あまり読まないですよ」
「次郎は、童話やおとぎ話、いくつか知っているでしょう?
童話やおとぎ話の本を読まなくても、
親から読み聞かせられたりしたら伝わるものだよ。
つまり、次郎が本をあまり読まなくても、
読書好きな人から人づてに口で伝わるし、
話題になれば、ニュース映像でも伝わる。
本の内容が、本を飛び越えてくるんだよ」
「たしかに、なるほど……」
「さて、もうそろそろ投票時間のはずだよ。
私の長話につきあってないで、早く投票してきなさい」
4.推薦図書を焚書する
結局、次郎は目をつぶって投票ボタンを押した。
そして、投票の結果が出た。
貸出禁止は解除するべき:60パーセント
貸出禁止を継続するべき:40パーセント
解除派が勝利した。
この件の議論は何千文字も使うのに、
投票結果はあっさりだ。
生徒会と第二生徒会は、共同で、
「作家・津原実人の本の貸出禁止を解除すること」
という請求を粛正委員会に申し渡した。
粛正委員会はそれを受け入れ、
貸出禁止は解除されることになった。
あまりにあっさりと解除された為、
学生の一部は「これは何かの陰謀ではないか?」と思う者もいた。
そして後日、それが杞憂でないことが判明するのだった。
貸出禁止が解除された翌日。
事件は発生した。
「なぜあの本が無いんですか! 貸出禁止解除したんですよね!?」
本を借りに来た学生。
しかし、そこに目当ての本はない。
図書委員に詰め寄る。
「それが……本が廃棄されたらしくて」
「え? どういうことですか」
「あの本が貸出禁止になったと、
粛正委員会が、貸出禁止の本を没収しました。
そのあと、本を廃棄したと……」
「は、廃棄した!?
せっかく貸出禁止が解除されたのに、
本が廃棄されたら意味がないじゃないですか」
「粛正委員会に抗議しましたが、
『貸出禁止の解除には応じた。しかしその本はもうない。廃棄した』
の一点張りです。
我々図書委員も困っているのです」
この件は、校内SNSでもあっさりと広がり、即座に炎上した。
粛正委員会のアカウントには抗議が殺到。
さらに擁護派と反対派でリプライの応酬が始まり、授業にならない状況となった。
「粛正委員会には失望しました。
粛正委員会を粛正するべきです!」
級長が、今までにないほどの憤りを見せている。
織枝は、恐る恐る級長に話しかける。
「き、級長、とても怒っているけど、大丈夫…?」
「大丈夫なはずがありません!
投票結果だけを守ればいいというものではありません。
たしかに貸出禁止の解除は、投票で可決されましたが、
解除のあとの、肝心の本を廃棄してしまっては意味がありません。
粛正委員会は、きっとそれをわかっててやったに違いありません。
これは、投票という行為を踏みにじる、最悪の対応ですよ」
級長は憤っていた。
投票結果(貸出禁止の解除)は守られたが、本は守られなかった。
結局、それは投票の意味がなかったということになってしまう。
投票行為で物事を決めているのに、投票結果が保証されない。
それは、投票という行動そのものの信用を損ねる行為であり、
級長はそれを許すことができないと考えていた。
怒っているのは級長だけではなかった。
「粛正委員会の『規律』には『投票結果の責任を守る』は含まれていないのか!
投票行為を殺すテロに等しい!
粛正委員会のテロ行為に、強く抗議する!」
第二生徒会の会長である睦月秋秀は、粛正委員会室の前で叫んだ。
睦月会長のうしろには、何人かの第二生徒会会員もいる。
デモの呼びかけをする時間も惜しいほどの憤りぶりだったという。
ほとんど電撃的な殴り込みに近いやり方で、
粛正委員会室前に急ぎ、抗議を行っていた。
粛正委員会室前で抗議する睦月会長の姿は、
校内SNSでも広まり、じょじょに人も集まってくる。
この期におよんでも、粛正委員会は、沈黙していた。
不気味なほど、何も返さなかった。
一方、生徒会も、第二生徒会と一緒に抗議行動をとることはしなかった。
生徒会はただ一言「投票結果を真摯に受け止めている」と言うだけだった。
投票結果も抗議も無視されている。
学生たちは、そう受け取った。
学生たちは組織だった動きはしなかった。
が、個人個人で行動をとり始める者が現れた。
まず、図書委員に、廃棄された本を寄贈する者が現れた。
しかも数十冊。
ネットや中古本屋などから仕入れてきたらしい。
廃棄される前の状態より、ずっと冊数が増え、保管場所に困るほどだった。
だがその一方、過激な行動に出る者も、現れ始めた。
「真面目ぶった内容の推薦図書を焼くぞ!
これは津原先生や神村さんの代理報復だ!」
文字どおりの焼き討ちである。
覆面をかぶった学生数名が図書室に乱入し、
生徒会や粛正委員会が指定した「真面目ぶった推薦図書」を奪い、火をつけたのだ。
真面目ぶった推薦図書――。
特に「規律を守る、マナーやモラルを守る」系の本は、ほぼすべて燃えカスとなった。
火事を起こしかねないような過激な方法に、
学生たちは「これやばくね?」という気持ちになりはじめた。
特に生徒会は動揺が激しかった。
本に火をつけて焼くという前代未聞の抗議方法について、
対応をどうするか、頭を痛めていた。
「図書室の本に火をつけたことは、絶対に許されないことだわ。
これはテロよ、テロ!
でも、こうなったのは、粛正委員会にも責任があると思っている」
生徒会長は、生徒会の定例会でこう発言した。
「まず粛正委員会は、学生に謝るべき。
私は謝罪を要求したい」
生徒会長は、推薦図書炎上テロ犯と粛正委員会に憤っていた。
副生徒会長が不安そうにつぶやく。
「せ、生徒会長……。
粛正委員会をあまり刺激すると、
私たち生徒会に協力してくれなくなるのでは?」
「それはわかっている。
わかったうえで言っているのよ。
今回ばかりは、投票結果を尊重しなかった、粛正委員会にも非がある。
花見のときに酌み交わした約束もこれでリセットになるかもしれないけれど
言うべきことは言わないと、次は生徒会が燃やされてしまう。
粛正委員会への謝罪要求は、生徒会を守るためでもあるのよ。
計算無しに行動しているつもりはないわ」
「生徒会長……」
「第二生徒会の協力を得て、とにかく、あの粛正委員会には
謝罪をしてもらうよう、お願いするようにしましょう」
こうして、生徒会と第二生徒会は、共同で、粛正委員会に学生への謝罪をするよう求めた。
だが、粛正委員会はそれを突っぱねた。
「謝罪はしない。
反社会的な本を好む輩は、やはり反社会的であるという証拠を得た
逆に、我々が、推薦図書を燃やした犯人どもに謝罪を命じたいくらいだ」
「謝罪よりも、対抗と注意喚起だ。
本を燃やすという行為はあってはならない。
学生たちに注意を促す」
謝罪どころか、学生に対する注意喚起を出し始めた。
「本を燃やした犯人を捕まえ、徹底的に処罰する。
強制退学も覚悟してもらう」
さらに、推薦図書を燃やした犯人を捕まえるという執念に燃え出した。
謝罪より先に、注意喚起と対抗の意志を示す粛正委員会に、
生徒会と第二生徒会は反感をおぼえた。
生徒会・第二生徒会は、
推薦図書を燃やした犯人たちを擁護することはできず、
捕まえることは正しいと考えていた。
だがその一方で、
推薦図書炎上事件の原因の一端である粛正委員会に反省が見られないのは
おかしな話だと感じていた。
もっと言えば、
「貸出禁止解除」の投票結果を尊重しなかったことに関しても、
憂慮を抱いていた。
粛正委員会は暴走している。
生徒会と第二生徒会はそう判断した。
生徒会と第二生徒会は、粛正委員会の会長と副会長を更迭することに決め、
即日更迭を行った。
そして生徒会と第二生徒会は、
改めて、粛正委員会に、謝罪(投票結果無視)と賠償(廃棄した本の金額分)をつきつけるのだった。
5.粛正委員会の再編
新しい粛正委員会の会長は、生徒会の牛木日生が就任した。
そして、粛正委員会の副会長は、第二生徒会から2名選出された。
まず最初に、
牛木日生会長は、学生たちに向けて、投票結果の無視を謝罪。
廃棄した津原実人の本の金額分を、図書委員会に賠償金支払を行った。
前の粛正委員会のけじめをつけたあと、
本来の粛正委員会の仕事に戻るはず……だったが、
そううまくはいかなかった。
最初の仕事は「粛正委員会の人集め」になってしまった。
なぜなら、粛正委員たちの反発は強く、
粛正委員の半分以上が辞めてしまったからだ。
そして、推薦図書炎上事件の犯人も捕まっていない。
粛正委員会に大して、
校内SNSでは、元粛正委員たちによる怨嗟の声があふれていた。
「まだ犯人を捕まえられないのか」と。
犯人を捕まえようにも、人手が足りない。
人手を集めようにも、粛正が好きな真面目な人たちからはソッポを向かれている。
粛正委員会は窮地に陥った。
「最初から問題山積みだ。不幸だ」
牛木日生は愚痴をもらした。
生徒会長から「頑張ってね(はぁと)」と言われて
就任したのはいいが、人がいない、犯罪を解決できない、という様々な問題に頭を抱えていた。
相談できる相手もいなかった。
粛正委員会副会長は、第二生徒会から派遣されており、微妙な関係で、
しゃべりづらくて仕方なかった。
また、癒着防止の観点から、
生徒会や第二生徒会の人と、職務以外で関わってはいけない。
とも言われていた。
問題山積なのに、誰にも相談できない。
詰んでいる。
牛木日生は、早くも辞めたい気持ちになり、
心理カウンセラー部の予約電話番号が頭の中にちらついていた。
いや、待てよ。
相談できる相手が一人いるじゃないか。
日生は、東堂桐乃を、粛正委員会室に呼びつけた。
「会長、何かご用件ですか?」
桐乃は、日生の向かいの席に座った。
「敬語はやめてくれよ。
僕と桐乃は同じクラスじゃないか」
「日生と私は、
たしかに同じクラスだけど、
会長と委員の立場ははっきりさせないとダメだよ。
ケジメをつけようよ」
「桐乃は真面目だな……」
「それが私の取り柄ですから」
桐乃は、多くの粛正委員が辞めていくなかで、
粛正委員に残り続けていた。
桐乃は、前の粛正委員会長とも仲は良好であり、
本の貸出禁止の件に関しても、桐乃は禁止側だった。
そんな立場の桐乃が、今も残り続けているのは、
誰もが疑問に思うところだったが、理由は不明だった。
日生は、桐乃と同じクラスであり、
だいたいの行動や性格は知っていた。
「桐乃、いま、粛正委員会は、人手不足だ。
人を集める仕事を手伝ってはくれないか?」
「私が……ですか?」
「そうだ」
「私は……人を集めるようなカリスマ性はありません。
別の人をあたってください」
桐乃は席を立とうとした。
「待ってくれ。
僕は、桐乃以外に相談できる人がいない。
粛正委員会の副会長たちは、
第二生徒会から来ていて話しづらいし、
生徒会や第二生徒会の人たちとは
接触を禁止されている。
桐乃しかいないんだ。
頼む、このとおりだ……」
日生は土下座しだした。
「ち、ちょっと、何してるの! やめてよ!
そんなことしなくていいから!」
突然の土下座に、
桐乃は、委員の立場を忘れて、素に戻ってしまう。
「土下座しないとやってられないんだよ」
「わかったから、顔を上げて!」
なかなか顔を上げないので、
桐乃は日生に近づき、頭を足で抑えた。
ぐしゃっという音とともに、日生の顔面は地べたとくっつく。
「痛っ!」
「だったら、もう顔を上げなくていい。
……黙ってきいてほしいのだけど、
日生会長からやれと言われたものは、やる。
でもあまり期待しないでほしい」
「うん、わかった。よろしく頼むよ」
顔を側面に向けて、かろうじて声をしぼりだす日生。
心なしか、にやけているような表情だった。
日生の必死の土下座お願いが功を奏したのか、
粛正委員会・東堂桐乃は、
この日から、人材募集担当となり、働くことになった。
6.桐乃頑張る
「横暴な粛正委員会はむしろ解散するべき!」
校内SNSを通じて桐乃が人材募集をかけると同時に、
そういうリプライを送る者が発生した。
送り主は、「反粛正委員会」をかかげる、
かなり極端な思考の持ち主らしいが、
他にも似たようなリプライが届いている。
どうやら粛正委員会は、相当嫌われているらしい。
学生にモラルだの規律だの注意ばかりしているような組織が、
好かれるわけがない。
東堂桐乃はそれでもめげず、
募集をかけつづけた。
我々は注意したくてしているわけではない。
自由の為には規律が必要だ。
規律なき自由は、ただの無法地帯であり、
そこで人間は生活することができない。
心の中に、粛正委員会のシンボルである「竹刀」を
振り回しながら、桐乃は、校内SNSで募集をかけつづけた。
なお、竹刀は、暴力につながるという理由から
粛正委員会を含めた学生全員が利用できない。
だが、粛正委員会に返ってくる返答は、
罵詈雑言ばかりだった。
お前ら粛正するぞ!
と少し毒づいた桐乃だったが、
気を取り直し、「SNSはダメだ」
と思考を切り替えた。
ダメ元で、新聞部にも頼むことにした。
SNSだと妙なリプライが飛んでくるが、
新聞部なら飛んでこない。
だが、問題は、新聞部と粛正委員会の関係だった。
規律を重視する粛正委員会と、
おちゃらけた記事を出す新聞部。
プライドの高い粛正委員会と、
粛正委員会の失態をとりあげる新聞部。
水と油だった。
あまりいい顔はされないだろう。
だが、新聞部は公平中立の立場のはずだ。
それに、今まで、粛正委員会の宣伝も何回か載せてる。
桐乃は、意を決して、新聞部へ乗り込む。
その表情は、テロリストのアジトにこれから突入する
特殊部隊のようだったという。
「げっ! 粛正委員会!」
新聞部部長は嫌そうな顔をして、ペンを構えた。
ペンを構えてもまったく武器にはならないのだが
手近な武器がないので、ペンを武器にするしかなかった。
新聞部内においては、
過去に何度か粛正委員会の検閲が入ったせいで、
粛正委員会が部室に来る=ガサ入れ
という図式が成立しており、
粛正委員会員が来るたびに、
臨戦態勢に入ることがしばしばあった。
他の新聞部員も、
長い定規を剣のように構えたり、
新聞紙を丸めてゴキブリをつぶすような態勢をとったり、
どこかに電話で通報しようとしたり、
パソコンにドリルで穴をあけようとしたり、
警戒感丸出しだった。
「なんでそんなに警戒しているんですか!
私は、粛正委員会の人材募集広告を出しにきただけです!」
桐乃は必死に誤解をとく。
「なんだ、広告を出しにきただけか」
「部長! 気を付けてください!
粛正委員会の罠かもしれません!」
「罠なんてあるわけないでしょ!
ちょっとは落ち着いて!」
新聞部の警戒心を解くのに数分かかったという。
その様子を、部室の隅から眺める学生がいた。
春山陽子。
次郎や織枝と同じクラスの、新聞部員だった。
持ち前の明るさとコミュニケーション能力で、
取材能力はトップクラスだった。
ただし字が汚く、事務的な作業が壊滅的にヘタクソという特徴があった。
それはさておき、
陽子は、粛正委員会が新聞部に人材募集広告を出す、
という情報を得た。
陽子は、明日、次郎や織枝に会ったとき、
その話がしたくてたまらない気分になった。
その口の軽さが取り柄であり、欠点でもあった。
7.粛正委員会への加入
「……粛正委員会が人材募集?
すでにSNSで募集かけてるけど、
新聞部でも募集かけるんだ?
どんだけ人材いないんだ」
次郎は、陽子から話を聞き、
あきれた顔をして、粛正委員会の人材の無さを実感した。
「粛正委員会は、
半分以上辞めたって聞いたけど、
あれから何日も経ってるのに、
なかなか集まらないんだね」
織枝が言う。
「新聞部で広告宣伝だしても、
人集まるのかなーってちょっと
微妙な気がするんだけども」
「それはそうだけど
それだけ切羽詰まってるんだろう。
……推薦図書炎上事件の犯人も捕まってないし」
「あれも、全然つかまらないから、
粛正委員会は非難されまくってるね」
「知ってる?
元粛正委員会の有志が、独自で動いて
捕まえようとしているらしいよ。
規律にうるさい人たちだけど、
なんだかんだ正義感強くて頼もしい点はあるよね」
「粛正委員会じゃない人に、捜査権あるの?
私的捜査・私刑は禁止されてるはず……」
「うん。
粛正委員会は、そういう私的な捜査行動をしている人も
取り締まろうとしてるらしいんだけど、
あまり進んでないみたいだね。
なにしろ、人が足りないから……」
「新聞部に来てた人も、
桐乃さんしかいなかったからね。
人材募集する人材も不足してる感じ半端なかったよ」
捜査も人材募集もうまくいかない。
どうあがいても、原因が人材不足に陥るのだった。
「……桐乃さん、困ってるみたいですね。
SNSの様子を見る限り、かなり苦戦しているようです」
次郎たちの会話に、級長が割り込んでくる。
「級長。そうらしいんだよ。
桐乃さんがかわいそうだよ。
……あっ」
織枝はそこまで言いかけて、唇を閉じた。
級長と桐乃は、花見の席でバチバチの争いをして
そんなに仲は良くなかった。
規律・モラルを重視する桐乃と、
その場の楽しみを重視する級長で、
バトルが巻き起こり、それ以来、微妙な関係だった。
織枝が口をつぐむのも当然だった。
「あのうるさい東堂桐乃とかいう奴は
好きではないですが……。
今回ばかりは、なんとかして助けたいですね」
あれ?
織枝・次郎・陽子は3人とも首をかしげた。
普通なら「しめしめ。地獄に落ちろ」というセリフが出てくるはずだ。
級長の心境にどんな変化が……。
「粛正委員会は好きじゃないですけど、
彼らがいることで学校の治安・規律が保たれてるのは事実。
粛正委員会の半分以上が辞めたことで、無法者も増えたと聞きます。
推薦図書炎上事件以外にも、不穏なことが起きているようです。
このまま学校の治安や規律が乱れるのはいいことだとは思いません。
要はバランスですよ。
いきすぎた治安維持や規律推進は、人の心を暗くします。
しかし、ある程度は必要なのです」
級長はすらすらと答える。
「桐乃さんを助けるっていうなら、
俺たちが桐乃さんを手伝う……。
つまり、粛正委員会に入るってことになる気がするんだけど」
「うっ……それを言われるとちょっと嫌ですね。
私は粛正委員会に入る気はないのですが、
このまま学校が乱れるのもあまり好ましくありません」
「でも級長……。
粛正委員会以外で、捜査権はないし、刑罰は下せないって
さっき聞いたよ。
級長ひとりで、どうにかできるわけじゃないし」
「それは、そうですが……」
「よし、俺たちも粛正委員会の手伝いをしよう。
委員会に入りたくないっていうなら、
期限付きで頑張るっていう手もある」
「怠け者の次郎がそんなこと言うなんて……。
明日は雪が降りそう」
次郎は、あまりこういう部活的な活動は好きではなかったが、
副学級委員長として働くうちに、
「悪くないな」と思い始めていた。
「い、いいんだよ、俺のことは!
俺も粛正委員は大嫌いだけど、
桐乃さんを助けると思えば、
手伝おうという気持ちくらいにはなるし!」
「桐乃さんを……助ける?
へぇ、次郎、ああいうタイプが好みなんだね」
陽子はニヤニヤと笑い出した。
「ち、ちがう! そういうことじゃない!
からかうな!」
「怠け者な次郎と、真面目な桐乃さんでお似合いだね」
織枝も乗っかる。
「う、うるさい!
よーし、こうなったら、級長!
俺たちのクラスでも、期限付き粛正委員の募集をかけるぞ!」
「粛正委員の片棒をかつぐのは好みではないですが……。
致し方なし、ですね。
やりましょう。次郎さん!」
次郎と級長は、自分たちのクラスに、
「粛正委員会の期限付き加入」の呼びかけを行い、
結果として、少数ながらも賛同を得ることができた。
8.反粛正委員会連合
「集まらないなぁ……」
桐乃は嘆いていた。
SNSや新聞での人材募集があまり効果が無く、
牛木日生に相談しようとしていたところだった。
しかしあいにく、粛正委員会室には日生がおらず、
粛正委員会室の外に出ることにした。
「人材募集をかけているんだってなぁ?」
「あなたたちは、粛正委員に加入しにきた……ってわけでも
なさそうだね」
桐乃の前に、人相の悪い学生が数名。
規律には程遠い、モラルを舐め腐った顔ばかりだった。
「ふん。人間を見かけで判断するつもりか?
粛正委員がそれでいいのか?
だから、今の粛正委員会はグダグダなんだよ」
「文句を言いに来ただけなら、帰ってくれる?
私はとても忙しいから」
「まあ、もう少しつきあってくれよ。
我々は反粛正委員会をかかげる、『反粛連合』だ。
こう見えても、成績は優秀なんだぞ。
ちょっと規律とかモラルとかが嫌いなだけで、
わざと顔や服装をヤンチャにしているだけだ」
「で、その優秀な反粛連合が何しに来たの?」
「きょうは粛正委員会室前にデモをしに来た。
しかし……あまり委員はいなさそうで、デモのしがいもないな。
せっかくこうして集まったんだ。
今日は、モラルの無いことをたっぷりしょうと思っている」
「モラルの無いこと……? はっ!」
気が付くと、桐乃は、反粛連合の学生たちに囲まれていた。
「か、囲まれている!」
「これでもう逃げられねぇぞ」
「……あなたたち、自分が何をしているのか、わかっているの?」
「粛正委員会室は今だれもいないな? よし、お前をそこに閉じ込めてやる」
「は、はなして!」
反粛連合の学生たちは、桐乃を強引に引っ張ると、粛正委員会室に閉じ込めた。
桐乃は無理やり椅子に座らせられ、
学生たちに囲まれた。
逃げ場はない。
「くっくっく。たっぷり恥をかかせてやる!」
「……」
身動きがとれないし、助けてくれる人はいない。
絶望的だ。
桐乃は覚悟を決めたかのように、目を閉じる。
「さあ、これを飲んでもらおうか」
「そ、それは……!
オレンジジュース!」
「粛正委員の職務中に、
甘いお菓子食べる行為、ジュース飲む行為は、
モラル違反だったよなぁ?
これを飲めば、お前はモラル違反。粛正委員会失格だ」
「や、やめて! 飲みたくない!」
「心配するな。さっき買ってきたばかりだから
変な睡眠薬が入ってるとかそういうことはない。
純粋な100パーセントのオレンジジュースだ」
「たとえ100パーセントのジュースであっても、
あなたたちのジュースなど飲むわけにはいかない!
は、はなして!」
桐乃の両腕は、反粛正連合の学生たちに抑えられる。
「お前に抵抗権はない。
ストローもあるから飲みやすくしてやる」
主犯格の学生は、ジュースのフタを開けると、花柄のストローを差し込んだ。
「そ、そんな……!」
「口を開けろ」
「嫌!」
「開けるんだよ!」
主犯格の学生は、桐乃の口に無理やりストローを差し込んだ。
桐乃は、主犯格の学生をにらみつける。
「怖い怖い。そんなに睨むなって。
だがもうお前は飲むしかないんだよ。
ほら、さっさと飲んで楽になるんだ」
飲むしかない……。
職務中にジュースを飲むのは、
モラル違反、ルール違反になってしまうが、
この野蛮な学生たちから解放されるためには、仕方がない……。
桐乃は、抵抗をあきらめ、ジュースを吸おうとした。
そのとき、状況はひっくりかえった。
「失礼しまーす!」
次郎の声だった。
粛正委員会の部屋のドアが開けられる。
次郎は最初、「粛正委員会室に人がいっぱいいる」と思ったが、
取り押さえられ、無理やりジュースを飲ませられようとしている桐乃の姿に、
「意味不明だけど、なんかやばいことが起きてる」と感じた。
だが、もう引き返すことはできないので、大声で叫んだ。
「粛正委員会だ! お前ら、何をしている!」
「げっ! 粛正委員会! もう戻ってきたのか」
「桐乃さんを放せ! 粛正するぞ!」
「へっ! 男ひとりで何ができる!
この男にもジュースを飲ませてやる!」
ジュースを飲ませてやる!
の意味が次郎にはまったく意味不明だったが、
それはさておき、次郎は一人ではなかった。
次郎のうしろから続々と粛正委員会らしき学生が連れだっているのが見えた。
「俺は一人じゃない。うしろにも粛正委員会の仲間が来ている。
全員に勝てるのか?
粛正されたくなければ、さっさと逃げろ!」
「まずい! 粛正委員会は、この男だけじゃなかったのか。
他にも大勢いる! みんな、逃げよう!」
反粛連合の学生たちは、先を争うように、粛正委員会室から去っていった。
「なんなんだよ……。
ジュース飲ませるとかわけわからねーよ」
次郎は、走り去る反粛連合たちの背中を見て、危機が去ったことを確認した。
次郎のうしろから、級長や織枝、その他1年5組の学生数名がぞろぞろやってくる。
反粛連合は、級長たちを粛正委員会の増援と勘違いして逃げたのだった。
級長が、次郎に話しかける。
「次郎さん、どうしましたか? いきなり大声あげて。
さっき、人相の悪い学生たちが走り去っていったみたいですが」
「俺もワケわかんないよ。
さっき逃げてった奴らに、
桐乃さんが取り押さえられてて、
『やばい』と思ったんだよね」
次郎は、さっきあったことを、級長たちに説明した。
「えっ……。桐乃さんが!?」
級長は、粛正委員会室の椅子に、茫然として座っている桐乃の姿を見つけた。
「桐乃さん! 大丈夫……ですか?」
級長は、桐乃のすぐ横に駆け寄った。
「あなたは……1年5組の……」
抜け殻のような声で、桐乃は答える。
元気がない。
かろうじて、返答できるだけの気力を振り絞っているように見えた。
級長は「あ、これは大丈夫じゃないな」と直感し、
桐乃のそばに寄り添うと、手を優しくにぎりながら話した。
「私たちは、粛正委員会の手伝いをするために来ました。
しばらく私たちはここにいますから、安心してください。
桐乃さんひとりにはさせません」
桐乃は少し戸惑っていたようだが、
級長に「ありがとう」と答えた。
桐乃は、次郎と級長たちに、
反粛連合にジュースを無理やり飲まされそうになったことを話した。
「職務中のジュースは違反なのか……」
ジュースが違反の件については、
次郎にとって正直どうでもよかったが、
級長は怒り狂っていた。
「ジュースがどうとかより、
一人の学生を無理やり押さえつけて、
強引に何かをしようとしたことが
すでに犯罪です。許せません……!」
「級長……。
そこまで怒ってくれるなんて。
私はもう大丈夫、あなたたちは、
委員会の入会届を出してほしい」
「桐乃さん。本当に大丈夫なんですか?
……手が震えていますよ」
「これは……」
「休んでください」
「うん」
桐乃は、級長のやさしさを素直に受け取った。
級長の柔らかな手が、桐乃の手を包み込み、
桐乃は自分の胸が、やすらかながらも、熱くなるのを感じた。
「級長。これだけ大勢の加入者をどうやって連れてきたの」
「実は、意外なことに……。
次郎さんが呼び掛けてくれたんですよ。
桐乃さんを助けるんだって言いながら」
「えっ……次郎君が?」
桐乃は、次郎の顔を見た。
次郎は、なんだか恥ずかしそうに目をそらした。
「級長。『意外なことに』は余計だ……。
あと、勘違いするなよ。
俺は粛正委員になりたいとかじゃなくて、
桐乃さんが困っているのを見過ごせなかっただけだから…」
次郎はしどろもどろになって弁明する。
周りの人たちは、その様子をクスクスにやにやしながら見ているのだった。
「一番先に粛正委員会室に乗り込んで、桐乃さんを助けたのも
次郎さんですし、まさに本日のMVPですよ!」
「級長! ほ、ほめすぎだ!」
次郎は褒められ慣れていないのか、顔を赤くしている。
「次郎、きょうは本当にヒーローだね!」
織枝も、級長に便乗して、次郎を持ち上げる。
「お、織枝までからかうなよ!」
「ふふっ」
織枝は少し笑った。
と思うと、すぐに表情を変えて、級長に質問を行う。
「級長、聞いていい?
さっき、『反粛連合』とかって言ってたけど、
何か知ってる?」
織枝は素朴な疑問をぶつけた。
反粛連合。
聞きなれない言葉について、織枝は興味を持っていた。
「私も詳しいことは知りませんが……。
反粛連合というのは、『反粛正委員会連合』の略です。
粛正委員会を嫌っている学生は多いですが、
そのなかで最も過激な反対行動をとる学生たちのことです。
自然発生的に生まれ、粛正委員会に対して、
物理的・精神的な攻撃を続けています」
「そうなんだ。
粛正委員会に対して愚痴を言うならわかるけど、
桐乃さんみたいな粛正委員を捕まえて、
ぼ、暴行みたいなことをするなんて、
普通じゃないよね……」
「ええ、普通じゃありません。
だからこそ、過激派と言われているのです。
あまり証拠がないのに、こんなことを言うのもおかしいですが……。
おそらく推薦図書炎上事件の犯人も、『反粛連合』だと噂されています」
「じゃあ、粛正委員会の当面の敵は、反粛連合だね」
「そうなるでしょう」
「ありがとう、級長。
私、粛正委員会の最初の日が、きょうで良かったよ。
学生をただ注意して回るだけが粛正委員の仕事だと思っていたけど、
反粛連合みたいな危ない人たちから、学生を守るのも、
粛正委員会の仕事なんだね。
私、あんな危険な人たちを野放しにしたくない。
桐乃さんをあんなふうにするなんて……。
嫌な気持ちになった」
織枝は、あまり強気な性格ではなかったが、
それなりの正義感を持ち合わせていた。
自分と同じ女性がひどい目にあっている状況を見て、
心中穏やかではなかった。
粛正委員会だから桐乃を襲ったかもしれないけど、
もしかしたら、そうでない可能性もあるかもしれない。
女性だからという理由で襲ったのではないか。
もし、デモ行動と見せかけた、ただの犯罪だったらと思うと
あまりに許せないと感じていた。
「織枝さん。
そう言っていただいて、とてもうれしいです。
明日からの粛正委員会の行動に、弾みがつくでしょう。
でも無茶はダメですよ。
織枝さんもそんなに強くはないのですから」
「うん、わかってる……」
織枝は自分の細腕をちらっとみた。
重量がかかれば折れてしまいそうなほどの、もろい小枝だった。
9.自首
「うおっ!? なんだこの人数は!」
牛木日生会長は、粛正委員会室に帰ってきて、開口一番そう口にした。
あまり人のいないはずの粛正委員会室に、10名近くの人間がいたからだ。
「会長。こちらは、新たに粛正委員会に加入してくれる人たちです」
桐乃が説明する。
「1年の、土田里子(※級長の本名)です。
こちらは、私たちのクラスの人たちです」
「1年が……こんなに……。僕はうれしい」
牛木会長は、両ひざをついて、いきなりぶわっと涙を流した。
ぶわっと流れすぎた涙は、牛木会長のアゴをつたって、床を濡らす。
その様子を見て、「そんなに泣くのか」と周りはドン引きしていた。
「会長、そんなに泣かなくても……。
だいぶ人集めに苦労していたようですね」
「そうなんだよ。
今さっきまで、同じクラスや、知り合いに、
粛正委員会への加入をお願いしていたんだ。
……大した成果はなかったけども、
若干名は加入してくれた」
以前の粛正委員会の復活は、だいぶ遠いようだ。
とはいえ、徐々に増え続ける会員を見て、
牛木会長は一抹の希望をいだいた。
「明日から、新たな粛正委員会スタートですね。
ということで、今日新たに加入したリストを作りましたので
牛木会長も確認してみてください」
桐乃は、牛木会長にリストを手渡した。
■粛正委員会 本日付新入会員リスト
土田里子
右城次郎
乾織枝
一之瀬茉奈
赤嶺栄樹
他、右城次郎の集めた若干名。
他、牛木日生の集めた若干名。
以上。
「というわけで、明日から、頑張っていきましょう」
「最初の仕事は……推薦図書炎上事件の犯人捜しからですね。
数日経過してしまいましたが、証拠集めもうまくいってなくて、
これから調べるのは大変そうですね」
桐乃はため息をついた。
だが、そのため息をつく必要は、もう無かった。
翌日。
犯人のほうから自首があったからだ。
あっけない幕引きだった。
犯人たちは、反粛連合と直接かかわりのない人たちだった。
続く
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