西の魔女
北の始祖レイリーが妊娠したという吉報が、極東の島国から西の果ての島国にまで拡散されるのには、二月ほどかかった。西の果ての、更に人間が殆ど入れない、精霊の国の一部を切り取って作った異界。そこまで話が達する頃には、更に二月がかかる。
夜、四か月も前に送られた手紙を受け取ったのは、その異界の主であり、異界にそびえる西の魔女の城の女城主であった。
「何だい全く! 普通に手紙なんか寄越しやがって! 今はもう臨月じゃないか!」
そう声を荒げ、金の長い髪を振り乱す女城主の名は、アリッサと言う。青い目をかっぴらき、自室の隣、古い衣類を貯めている倉庫のような部屋を漁った。アリッサは百年ほど前まで使っていた子供用品を引っ張り出しては、トランクに詰める。幸い、その道具達は古そうだが、使えないわけでは無さそうだった。七人分と六百年分の女児服をより分けていく。
「こんな夜更けに何をしてらっしゃるの、お母様」
ふと、後ろから、甘い声が聞こえ、アリッサは振り返る。その視界にいたのは、妖美な香水の匂いを纏わせ、自分と同じ金糸を頭から流す、一人の女だった。
「ヴィヴィアン、何だ、また男漁りしに行ったのか。前の男は何だったんだい。指輪まで貰ってたはずだろう」
「知らないわよ。一昨日お城の一番上の部屋でお食事してたら、お父様が彼の首根っこ掴んで窓から放り投げてたわ。お母様、聞いてらっしゃらなかったの?」
ヴィヴィアンというその娘は、アリッサには無い、妖艶な雰囲気で、それに声を乗せる。黒いドレスは彼女の理想の女性としての体の線を強調していた。父親譲りの紫の瞳を長い睫毛に埋めながら、にっこりと微笑む。何処か淫乱な悪魔を思わせるヴィヴィアンの顔を見ながら、アリッサは溜息を吐いた。
「あぁ、そういえば、本を読んでたら上から何か降って来てたね。誰か魔法に失敗でもしたのかと思っていたが、あの男だったのかい」
えぇ、とヴィヴィアンが倉庫にあった服を撫でた。
「良いなと思ってたんだけど、残念だったわ」
「アイツの過保護もそろそろやめて貰わないといけなくなってきたか……」
「お父様のせいじゃないわよ。お姉様達だって、お父様が認めた男と結婚してるじゃない。彼が認められなかっただけ。そんなレベルの男だったってことよ」
「つまりアンタに男を見る目が無いってことだ」
「あら、毎日見てても飽きなくて、目の保養になる男をちゃんと選んでいるつもりよ」
ケラケラと笑うヴィヴィアンに、アリッサはまた大きな溜息を吐く。もう百歳を超える末娘は、どうも父親に甘やかされて、人間を見る目というものが、育たなかったらしい。中身はまだずっと子供で、好奇心はあれど、表面に騙されやすい面がある。
子供であるということから、ハッと、思い出して、アリッサは止めていた手を再び動かし始めた。
「ねえ、何してらっしゃるの、本当に」
ヴィヴィアンが問う。アリッサは目を合わせずに、作業を続けて言った。
「レイリーが極東の蛮族相手に妊娠したらしくてね。子供服をお下がりにやろうと思って詰めていたのさ」
「レイリー小母様が妊娠? あぁ、そういえば、一昨年にトヨミヤケとかいうとこに嫁がれたっていうのは聞いてたけど、もう妊娠なさったのね」
魔女はどうも、寿命が長い分、妊娠しにくい機能を持つらしい。故に、アリッサも六百年で七人の娘しか生まなかった。以降の魔女達も、結婚して最低でも八、九年の後に懐妊することが多い。
「でもお母様、あの極東の国は魔法が安定して使えないと聞いたわ。距離も遠いし、魔法で荷物を届けるのは無謀じゃないかしら。ただでさえお母様はこの城から出られないのだから、東の魔女の誰かにでも預けてしまったら?」
そう言うヴィヴィアンの顔を見て、アリッサは手を止めた。
「成程。それは確かにそうかもしれない」
フリルのドレスと、子供を包み背負う抱っこ紐を手に持ちながら、アリッサは考えるふりをする。だが、顔を合わせてすぐに、考えはまとまっていたのだろう。ハハっと笑いながら、ヴィヴィアンを指さし、言った。
「ならアンタに頼むよ。アンタ、この国から出たことが無いだろう。いい機会だ。見聞を広げておいで。何、あっちには既に何人も魔女がいるし、宿泊はレイリーに世話になれば良い。数百年前と国民性が変わってなければ……まあ、ちょっと嫌な顔されるくらいさ」
指さされたヴィヴィアンは、その言葉に少し不服のようだったが、はあっと溜息を吐いて、アリッサの隣にしゃがみこむ。ふと、何処か吹っ切れた顔で、娘は母に言った。
「強そうな男性路線から、可愛い男の子路線もありかしら。東洋人って可愛いって聞くし」
そんなヴィヴィアンを見て、アリッサは手を止める。一瞬で、ヴィヴィアンは母の琴線に触れたのだと理解した。その口から零れる叱責が、どうか長いものではないようにと、ヴィヴィアンは願う。
「……いいかい、ヴィヴィアン。お願いだから、宮家の男を選ぶのだけはよしてくれよ」
ポカンと、ヴィヴィアンはアリッサを見る。
「なんで? ミヤケって何? 病気?」
思ってもいなかった言葉に、ヴィヴィアンはそう問うた。アリッサは止めた手を戻して、淡々と語る。
「宮家はレイリーが嫁いだ一族のことだ。とんでもなく保守的で、とんでもなく傲慢で、とんでもなく短く脆い命を持っている」
その言葉はつらつらと続いて、大人しく言葉を待つヴィヴィアンに降り注いだ。
「魔女は長くて千年の時を生きる。いや、お前程の力を持つ者なら、二千年は生きられるのかもしれない。今や四人の始祖の血は、薄まりながらもちゃんと魔女としてその血族を作り出し、彼等も皆、千年程生きるだろうと思われている」
自分よりも幼く見える容姿で、母は丁寧に、母性を持って唇を動かす。諭すように、叱るように、甘やかすように。アリッサは隣で座りこんだヴィヴィアンの頭を撫でながら、グッと声を出した。
「お前は寂しがり屋だから、ほんの十数年しか共にいられない男に縛られるなんて、あってはいけないのさ。お前は二千年、相手は四十か六十、なんて、なあ」
アリッサはその差を語る。ヴィヴィアンはその言葉と手を大人しく享受した。
「私だって、魔女じゃない男に恋をしたことくらいあるわよ、お母様」
無邪気にヴィヴィアンは笑う。すぐさま、アリッサはヴィヴィアンの頬を掴み、顔を近づける。あぁ、失言したと、ヴィヴィアンは目を反らす。
「その失敗を知っているから忠告してるんだよバカ娘。相手の男だって永遠にものにならない女に手を出した不幸がある。それで崩壊した家族だっていた」
その言葉を聞いたヴィヴィアンはアリッサの手から逃れ、目を合わせた。
「酷いわお母様。それ、
安心して、と笑うヴィヴィアンは、アリッサの手元にあった鞄を奪う。すると立ち上がって、アッと短く怒りをあらわにするアリッサを置いて、廊下を駆けた。
「この荷物をレイリー小母様の家に届けるのでしょう! あっちにいるっていう知り合いに鴉を飛ばして門を繋いでもらうわ! お土産期待しててね!」
深夜の古城に明るい女の声が響く。別のフロアで行われていたパーティの男客が、ルンルンで歩くヴィヴィアンに声をかけるが、彼女はそれを全て無視した。どうやら今の自分の中に、魔女の男への興味など、欠片も無いとわかってしまったのだ。自分を美才の魔女ヴィヴィアンと言いながら、遠巻きにそれを見て、隣に誰もいなくなれば傍に寄る、そんな、順番待ちをするような奴らに、もう、興味が失せていた。自分を知らない者と出会いたかった。ただの魔女のヴィヴィアンを見てくれる誰かと繋がりたかった。
自室の檻に入っている鴉を窓から飛ばして、異界から友の部屋へ、底から折り返しまでを、数時間待つ。その数時間がわくわくと胸を高鳴らせる時間になるくらいには、ヴィヴィアンには彼の国が魅力的に見えて仕方が無かった。
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