第30話
午前9時50分。
駅前の広場に辿り着いた。休日の午前10時前とといえば、人々はまだ動き出していない時間帯だ。
平日ならば人が多くいる場所だが、閑散としていると比べて人通りは少なかった。
お陰で柚木さんを見つけることに苦労することはなかった。
広場の中央付近に設置された噴水の前に彼女は立っていた。
僕は彼女の元へと小走りで駆け寄る。
「柚木さん!待たせてしまって、すみません!」
「あら、10分前に到着とは偉いじゃない」
柔らかい風で揺れる髪を押さえながら、柚木さんは微笑んだ。
日差しを返すような白いワンピース姿の柚木さんを見て、家柄の良いお嬢様なんだと改めて認識させられる。
僕が彼女をすぐに見つけられたのも、その雰囲気からだった。
「柚木さんを待たせてしまってたのなら、もう少し早めに来るべきでした」
「気にしないでちょうだい。誘い主が遅れてくるというのもどうかと思っただけだから」
柚木さんは優しい笑顔を向ける。
着ている服のせいか、いつもと変わらない一つ一つの動作にも気品のようなものを感じる。
「…ところで、何か言うことはないかしら?」
柚木さんは少し不満そうな声を上げた。
「言うことですか…?」
そう、と首を縦に振る柚木さんの表情は恥ずかしそうにしていた。
「…あ!とても似合ってますよ、柚木さん!」
「とてつもなく微妙な褒め方だけれども、一応受け取っておくわ」
と、彼女は口を尖らせる。
「…ここで時間を潰すのも勿体ないから、早速行きましょうか」
言うなり柚木さんは踵を返して歩いて行った。
気のせいかもしれないが、後ろを振り返る瞬間の柚木さんは微笑んでいたように見えた。
「柚木さん、ところでこれって何処に向かっているんですか?」
僕の家の方向へとかれこれ15分程度歩いたところで、頭の中をずっと駆け巡っていた疑問を柚木さんに投げかけた。
「それは着いてからのお楽しみよ」
前を向いていた柚木さんが横顔を見せる。
「そうですか…。分かりませんが、分かりました…」
遊びに行くだけの予定なのだが、妙な不安感があるのは何故だろうか。
ただ遊びに行くだけなら様々な店が集まっている駅前で事足りる訳なのだが。
そもそも、遊びに行くとは一言も言われていないことに僕は気が付いた…。
親鳥の背中を追う雛のように、僕は柚木さんの後ろをついていくしかなかった。
そこから少し歩いて、ようやく目的地に僕たちは着いた。
家の前をも通り過ぎて辿り着いたのは、何の変哲もないただの神社だった。
と言っても、本殿の前ではなく社が鎮座する小さな山の麓に居た。
目の前には年季の入った大きな鳥居が立っている。
小さな頃には夏祭りの度にワクワクした気持ちで潜ったことを思い出す。
「ここが今日の目的地よ」
隣に立つ柚木さんは、顎に手を当てている。
「確かに若い男女が二人きりで足を運ぶには珍しいところですね」
「私たちのような人間にはうってつけの場所であることに変わりはないと思うわよ」
「老年夫婦みたいですね」
「反応に困る例えね」
渋い顔をする柚木さん。
「すみません、脊髄で話してました…」
「あなたの精神構造が単細胞並みなのを忘れていたわ」
はぁ、と僕は溜息を吐かれる。
柚木さんは目の前の石階段を登り始め、その後ろを僕は慌てて付いていく。
ただ一言脊髄で話しただけなのに、この対応とは…。
「人生は一度きりなのよ。こんな無駄なことに時間を使わせないでちょうだい?」
「何だかよく分かりませんが、すみませんでした」
僕が頭を下げると柚木さんは少し声を出して笑った。
「あなたは本当に変よね。こんなに私に虐められても付いてくるんだもの」
傍から見れば柚木さんが限りなく酷い人に見えるだろうが少々エッジが利きすぎているだけで、彼女なりの冗談なのである。
正直、僕も最初はその他大勢と同じ感想を持っていたが、付き合っていく中で柚木さんの人となりを見ているとただただ不器用なんだということが分かった。
そもそも彼女は少しも心を許していない人には、懇切丁寧な対応しかしない。
毒が見え始めたら、それは認めてくれたということだ。
僕も彼女とその関係に行くまでには、色々と山があったものだ。
今、目の前で笑うユキさんは学校や地研のメンバーの前では絶対に見せない表情だ。
彼女が時折、僕と出掛ける理由はここにあった。
「柚木さんのそのままの姿は、とても魅力的だと思いますよ。いつもその感じで居ることはできないんですか?」
「何度も言うけれど、それは難しいわね」
「やっぱり今でもみんなには気を使っちゃいますか?」
「知っての通り、私にも立場というものがあるのよ。それは他の皆にも言えることだけれどね」
「立場ですか…。ずっと思っていたのですけれど、それは柚木さんの家の方針のようなものですか?」
新緑の輝く階段は空気が澄んでおり気持ちが軽くなる。
柚木さんもそれは同じようで、登る足取りが軽やかだった。
「私の家、夏木が訳ではなくて四季はいつもこんなものよ。そう簡単にしがらみから逃げることは出来ないの。かと言って四季の一員になってしまったのだから、その中で可能な限り自由に生きていくしかないのよ」
柚木さんの言葉はどこか悲哀を感じさせるものだった。
「だから偶にはこうやって毒素を出す機会が必要になるの」
「僕が役に立てているようで良かったです」
「そこには疑問符が浮かぶけれどね」
「柚木さん…?」
気負いのない笑い声が林の中へと響いた。
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