第29話
一日の学生としての本分を終えると、久方振りの自由な時間が訪れた。つい先日の休日は何だかんだで方々に呼び出されたり、付き合ったりと身体を休めることが出来なかった。
愛紀の家で鍛錬をした直後で全身の痛みは酷かったが、僕に断るという選択肢は無かった。というか、そもそも選択権すら無かったのである。人権は何処へいってしまったのだろうか…。
休日初日、つまり土曜日。前日の時点では午前中位ゆっくり休もうと画策していた。しかし、実際は鳴り止まない携帯の着信音で目を覚ますこととなった。そこから僕の理想とする休日は音を立てて崩れ去っていったのである。
着信音で目が覚めるというのは決して気持ちの良いものではない。意識が覚醒するにつれて大きくなっていく音は、安眠を妨げた憎い敵である。電話の主に一言文句を言ってやろうと、寝ぼけつつも携帯に手を伸ばしたタイミングで着信は切れた。
僕は留守番電話サービスを利用している為、着信して暫くたつと自動音声に切り替わるようになっている。携帯を手に取って履歴を確認すると、今回の電話主は留守電に抗うかのように小刻みに着信を入れていた。ズラッと並んだ電話主の名前は随分と見慣れたものだった。
我らが総代、夏木柚木だ。
何を言われるのか全く予想はつかないが、それなりの罵倒を受けることは覚悟しなければならないだろう。妙な緊張感を持ちつつ通話ボタンを押した。
難なく一コール目で電話は繋がった。スムーズにいかなくて良い時に限って流れるように物事は運ぶ。
「あなた、愛紀さんと朝チュンなんて良い御身分ね。次会った時は覚えていなさい」
僕が言葉を放つ前に処刑宣告がアナウンスされた。何故、昨夜愛紀の家に行ったことがバレているのだろうか…。
「柚木さん…あの…」
「言い訳でもあるのかしら?遺言なら聞いてあげるわよ。聞くだけだけど」
「どうして知っているんですか…?」
「年がら年中、大小関わらずトラブルに巻き込まれているあなたをリードにも繋がず放し飼いしていると思う?」
「ちょっと待ってください!それじゃあ僕は常に柚木さんに監視さているってことですか!?」
「監視なんて人聞きが悪いわね、見守ってもらっていると言いなさい。あなたは携帯のGPSから何から一挙一動が見られているわよ」
「携帯も!?いつの間に弄っていたんですか!僕にプライベートは無いんですか!?」
「無いわよ」
さも当然であるかのように応える。
「というか、話を逸らさないでちょうだい」
「待ってください!話は終わっていませんよ!?」
「ワンワン五月蠅い駄犬ね。ご主人様の言うことを素直に聞いていれば良いのよ」
「犬も時には飼い主に噛みつきたくなるものですよ…」
「あら、ならより一層の躾が必要になるだけね」
声だけしか聞こえないが電話の向こうでは意地悪な笑みを浮かべているのが安易に想像出来た。
僕は対抗を試みるべきか思考を張り巡らせたが、直近の身の安全を考えると下手に食い下がらない方がいいという結論に至った。
だが、GPSの件についてだけは、いずれ問い詰めなければならないと心に誓った。
「で、柚木さん今日はどうしたんですか?」
「話を逸らさらないでって言ってるでしょ?」
全く気が逸れない!
「愛紀の家に行っていた件ですよね?」
僕は逃げられそうにないことを察し、観念した。
「そうよ。大人の階段を登って昇天したユウト君に感想を聞こうと思ってね」
口調は少し怒っているようである。
恋愛シミュレーションゲームを何回かクリアした経験から、この状況は好感度がかなり上がるか、下がるかの大事な局面だと分かる。それこそゲームの世界なら選択肢が目の前に何個も現れているだろう。
彼女居ない歴イコール年齢である、僕の乏しい対異性コミュニケーション能力をフル活用する時が来たよう
だ。
「近頃の僕は柚木さんのことしか考えていないので、愛紀には何もしていないですよ」
平凡で詰まらない誤魔化しの選択肢を僕は選んだ。が、柚木さんから返答もとい罵りが飛んでくることはなかった。
「柚木さん…?」
ハッというような気配の後、
「ま、まあ、そういうことなら信じてあげるわ」
「え?」
簡単に引き下がった柚木さんに僕は虚を突かれる。口調は心なしか少し照れているような気がした。
だが、相手は柚木さんである。
これも僕を油断させるための作戦かもしれないと警戒してしまう。
気を抜いた瞬間、どんな罰を受けさせられることになってしまうか分からないためだ。
「もし本当にそう思っているのなら、今日これから私に付き合いなさい」
「柚木さん、さっきのは…」
案の定、柚木さんは要求を出してきた。
だが、いつもの首を吊りなさいだとか両手首を切り落としなさいといった世紀末のものより、かなり優し目であった。
「午前十時、駅前の広場に集合よ。遅刻は許さないから」
僕に拒否権は無いとでも言うように、言い終えるなり柚木さんは電話を切る。
まだ痛む身体を庇いながら、僕は寝床から起き上がった。
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