第27話

鍛錬が終わったのは、日もどっぷりと落ちた後だった。時刻は午後九時過ぎだ。

汗だくになった上半身を、僕も義久さんも濡れたタオルで拭いていた。

運動をし火照った身体には心地の良い冷たさだ。

「してユウ坊、夕飯はどうするつもりだ?」

胴着を整えながら義久さんが問う。

「家であり合わせのものを食べようかと思っています」

「ならば私たちの勝手に付き合わせた御礼として一緒に食べていくといい」

「突然悪いですよ」

「問題は無いさ。一人ソワソワして待っているのも居ることだしな」

義久さんは子どもが悪戯を考えた時のような表情をする。

「それじゃあ、お言葉に甘えてご馳走になっていきま…す?」

意図の分からない僕は疑問符を付けて答えることとなった。

「よし。それでは早く行くこととしよう」

床の軋む音を立てて義久さんは道場の扉へと向かった。

急いで胴着を整え、僕もその背中を追った。




居間の戸を開けると、机の上には料理が所狭しと並んでいた。

「愛紀!ユウ坊も夕飯を食べていくらしいぞ!」

廊下からひょっこり顔を出し、義久さんが大きな声で叫ぶ。

すると、廊下を勢いよく走ってくる音が響いた。

僕たちとは反対側の障子戸が開き、エプロン姿の愛紀が現れた。

「お父様!?だからそういうのは止めてって言ったでしょ!?」

「愛紀はてっきりそのつもりなのかと思ってな。心なしか今日の夕飯も手の込んだ物ばかりだしの」

「これはたまたまだから!ユウトが一緒に食べるかもしれないとか、そんなことは一切考えてなかったから!」

「そうか、そうか。ならば、そういうことにしておこう」

耳まで真っ赤になる愛紀に、義久さんは大きく笑った。

「お父様、本当に許さないからね…」

愛紀は手を握りしめてプルプルと震えていた。

僕ならば死刑宣告であろう言葉を受けた張本人は、何食わぬ顔で上座の座布団へと腰を落とした。

「ほれ、ユウ坊。さっさと座れ」

義久さんは右隣りの席を指差した。

「すみません、失礼します」



春場家と僕は、昔からの顔馴染みということで互いにある程度は理解し合っている。

だが、僕に対して優しい義久さんも、長い歴史を持つ家の長である。

浅い知識から絞り出した最低限の礼節を、いつも欠かないようにしていた。

それは不用意な言動で義久さんの逆鱗に触れてしまわないようにという思いからだった。

これは僕自身がどうだという話ではなく、ここまで良くしてくれた愛紀と義久さんの恩情に仇で返したくないためだ。

だからこそ、心許せる場面でもある程度の緊張感がいつも生まれる。



とは言いながら、四季の中で一番外に開かれているのは春場家である。

道場を開いていることもあり、一般家庭から来る門下生も多い。

もちろん、怪異の存在を知らない外部には伝統のある護身術として認知されている。

義久さんの性格ならば、それも可能だろう。

まあ、ポロッとこっち側の話をしてしまい、過去に何度か一般人を業界に引き込んだらしいのだが。

だが意外にも、その人たちはそこそこ活躍しているらしい。

当の本人は、才能を見出したのだと自慢げに話し、その横で愛紀が渋い顔をしていた。



他の三家はというと、春場と違い世間との交わりが少ない。

三家、それぞれの力の専門性から門外不出であるためだ。

と言うと春場の武術が軽く見られてしまいそうだが、もちろん対怪異まで練り上げるとなると生半可な鍛錬では届かない。

それこそ小さな頃から身体を壊しては治しを繰り返して、基礎となる強度を上げるところから始まる。日々、苦痛との戦いだ。

愛紀も小さな頃はいつも傷だらけだった。

普通ならば親からの虐待として通報されてもおかしくはない。

だが、この街の人は四季の行いということと、愛紀自身が助けを求めようとはしなかったため、詮索することを止めていた。

そのお陰か、現在の愛紀はちょっとやそっとでは怪我をしない身体になっている。

先日の怪異との戦闘では攻撃が直撃していたにも関わらず、直にケロッとしていたのが記憶に新しい。

怪異の殴打は、並みの人間ならば運が良くて気絶、最悪穴が空いてしまう。

ここまでに成りえたのを見ると、次期当主としての彼女の覚悟が本物だったと分かる。


実の所、僕も小さい頃に同じ修行していた。

部外者のため手心を加えられてはいたが、今では一般人よりも頑丈に出来ている、はずだ…。

お客様待遇の僕でも相当堪えたものを、後継者になるべく手加減のない鍛錬に挑んだ愛紀の辛さは比にならないものだろう。

僕は彼女に対し、一種の尊敬の念の様なものを抱いていた。


僕が四季の中で一番お世話になっている春場家。ここまで話を聞いてもらうと分かるように、春場家はハード面、つまり強化された身体を使い怪異に対抗する一族だ。

残る他の三家は、全てソフト面、つまり精神や認知を使用した対怪異術式を使う。

小さい頃から鍛錬という点では春場と変わらないが、その詳細は誰も知らない。

それぞれの家が秘匿の力を持つことは、他の四季に対し大きな抑止力となる。

地研のみんなもそこは心得ているようで、中核となる話は必ず避けていた。

部外者の僕にとって、時たま流れる気まずい空気は悩みの種だ。

僕の知らないしがらみや問題、苦悩を含んではいるのだろうが、過去から延々と受け継がれるその力は彼女たち四季、引いては街の歴史・誇りと言っていいのかもしれない。

その中に偶然にも紛れ込んでしまった僕は、日常と非日常の境目でゆらゆら揺れるしかなかった。

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