第11話 いつもの非日常4
凛の結界は音楽室全体を包み込んだ。
扉を一気に押し開き、僕は部屋へと突入した。
続いて愛紀、柚木さん、波留の順番で入ってくる。
四人はいつもの陣形を取った。とは言っても、高校生が考えたもので、ごく簡単なものだ。
僕と愛紀が前衛を、センターに柚木さん、後衛に波留という布陣だ。
凜は結界維持のため、部屋の外で待機している。
部屋へ僕たちが入ると同時に、ピアノの旋律は鳴りやんでいた。
彼女…というべきか女子生徒の姿を模した怪異の動きは止まっている。
僕と愛紀は一瞬視線を交差させた。
わかってるよね、という表情の愛紀に僕は頷く。
軽く深呼吸をし、腰の位置で右拳を構える愛紀。
隣の相方に習い、僕も左手を構える。
視線を戻すと、いつの間にか怪異は僕たちを眺めていた。
ただ違和感があった。
しかし、すぐに僕はその違和感の正体に気が付いた。
彼女の座っている姿勢が全く変わっていない。
その中で顔だけが振り返り、こちらを見ている。
つまり、怪異の首が180度回転しているということだった。
普通の人間ならば、もちろんあり得ない光景である。
怪異は人間の常識を超えた存在だとしても、人の姿であり得ないことをされると一瞬思考が追い付かなくなる。
それに加え、感情の無い完全な無表情。
子供なら裸足で逃げ出してしまう光景だ。
「うわあ…」
後ろから波留の引いた声が聞こえてくる。
「ちょっと流石にあれは気持ち悪いわ」
「あなたと意見が合うなんて、珍しいこともあるなんてね」
波留は柚木さんに同意する。
怪異の長い黒髪は、意思を持ったようにウネウネと動き始めた。
また、身体は突然小刻みに震え始め、
「わたしわたわたわわわわわたしわたわわわわわ!」
と奇声を上げ始める。
「本当に寸前って感じ」
「被害が出る前で良かった…ってところね」
悠長そうに話をしてはいるが、二人とも集中が切れている様子はない。
「私、前に出ちゃってもいい?」
愛紀が後ろの会話に割って入る。
「ええ。そうしてもらえないと私たちが困るから、危険だけれど逆にお願いしたいわ」
と柚木さんは答える。
「じゃあ、行ってきます!」
愛紀は言い終えるか終えないかのタイミングで飛び出す。
姿勢を低くしながら詰め寄っていく愛紀に対し、怪異は遅れて立ち上がる。
向かってくる敵に対し、言葉にならない叫びをぶつける怪異。
威嚇のつもりなのだろうが怪異に慣れている人間にとって、そんなものは意味がない。
怪異との戦い方で大切なのは、とにかく飲まれないことである。
人間の認識から生まれた怪異ならば、僕たちが怖気ついてしまう程ヤツらに力を与えることになる。
ましてや相対している状態ならば、尚更その度合いが顕著に表れる。
だからこそ、こういった存在と渡り合う必要のある僕たちは、長い訓練が必要なのだ。
「ユウト君。あなたは、アレを私たちに近づけないようにしてくれるだけで良いわ」
柚木さんは一枚の御札を取り出しながら言う。
「分かりました」
僕は小さい頃の記憶を思い起こす。
右足を引き、腰を落とす。左手は前に、右手は後ろに構え、深い呼吸と共に意識を底へと沈みこませていく。
一番最初に教えてもらった…というか、愛紀の猛攻を耐えるために覚えるしかなかった防御の構え。確か名前があったはずだが、思い出せない。
「キュウ太郎。しっかり働くのよ」
柚木さんの声に合わせて、僕の前に見慣れた小さな狐が現れる。
一方、波留は詠唱を始める。室内の空気が冷たくなり始める。
僕たちが準備を進めている間も、愛紀は怪異の蠢く髪の毛と手足から放たれる攻撃をいなしている。
しかし、手数の差で攻撃が得意な愛紀も攻勢に出れないでいた。
「さあ、行きなさい!」
コーン!と柚木さんに返事をするキュウ太郎。しかし、
「ちょっ!」
何故か僕の足にすり寄ってくる妖狐。
スリスリと顔を擦り付けてくるのは、まるでマーキングの様だ。
「やめなさい!やめなさいってキュウ太郎!」
その様子を見て、顔を赤くして動揺するご主人様。
折角高めた僕の集中も途切れてしまう。
いつも通り過ぎて気が抜けてしまったのだ。
「柚木さん…」
「違うの!この子が勝手にしたことで私の意志とは無関係なの!」
普段は大人びている柚木さんだが、動揺した際は年齢に合ったような言動になる。
ただ、その姿を見せるのは地研の活動時のみで、他の生徒は一切知らない。
クールな柚木さんに思いを寄せる男子は多いが、この姿を見たらどう思うのだろうか。
以前、同じクラスの友人にその話をしてみたが、信じてもらうことは出来なかった。
目の前に突き出してやりたいものだ。
が、そんな事をしてしまえば僕は黒焦げになってしまう。
実際、話をした日の放課後にどこから話を聞きつけたのか、僕は酷い報復を受けた。
人によってはご褒美とも取れる物理的な仕打ちは、僕を新たな道に誘う道標の一つとなった。
…決して最初からその気質が在ったわけではなく、防衛本能が働いたためである…きっと。
「ほら、夏木!遊んでないでちゃんと仕事をして!」
小さな氷の塊を打ち出す波留は、愛紀の援護をしていた。
「待って。これは私が悪いのではなくて、そこに転がっている生ごみのせいなのよ」
柚木さんは波留の声に我に返ったようで、いつもの調子に戻っていく。
「生ゴミって…」
「有機物なだけ、感謝しなさい」
「微妙な感謝ですね…」
「そろそろお戯れもここまでにしましょうか」
「私たちはもう大丈夫だから、ユウトは愛紀の助けに行って!」
と、柚木さんと波留の言葉を聞き安心する。
「おう!」
後衛陣の準備が整ったことで、僕も前衛に出ることができる。
苦戦する幼馴染の元へと、僕は駆け寄る。
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