第5話 日常5
「ちょっとなんで!?」
波瑠はその光景に驚愕の表情を浮かべた。
僕はその犯人を知っている。
「助かりました、柚木さん」
文庫本から目を離さない先輩にお礼を告げる。
「お礼を言うなら、私ではなく彼に言いなさい」
柚木さんがそう言うと、僕の足元からコーンという鳴き声が聞こえた。
視線を下げると、尾が9つある小さな狐がちょこんと座っていた。
赤と白のしめ縄が首周りに巻かれており、毛並みは黄色に近い茶色で尻尾の先は白い。
まさに狐という感じだ。
「ありがとうなーキュウ太郎―」
首の下をくすぐると、キュウ太郎が気持ちよさそうに鳴いた。
柚木さんはパタンと本を閉じて、こちらを見る。
「ちょっとユウト君…変な名前を付けないでくれるかしら」
超絶センスのある名前なのに、なぜかチセさんからクレームがくる。
「だってコイツには名前が無いんですよね?」
「え?名前を付ける必要性ってある?」
「えー…それって可哀そうじゃないですか?」
「そうかしら?」
「聞くのが怖いですが、いつもは何て呼んでいるんですか?」
「狐」
「…」
「狐」
「いや、聞こえてますよ!?ただ言葉を失っていたんですよ!」
「どうして?」
「分かりませんか!?」
柚木さんのマイペースの怖さを改めて実感する。
「よく分からないわね」
と、話はそこで終わってしまった。
というより、終わらされてしまったと言うべきか。
「ちょっと夏木!なんで邪魔してんのよ!あと少しだったのに!」
怒り心頭の波瑠が、柚木さんに噛みついたのだ。
「ちょっと秋音さん。嫉妬は見苦しいわよ」
「な!嫉妬なんかしていないわよ」
「私とユウト君が仲良くしているのが羨ましかったのね。気付かなくてごめんなさい」
柚木さんは流麗な動作で頭を下げる。
「別に夏木とユウトが仲良くしようが私には関係ないわよ」
瑠は腕を組み、そっぽを向く。
「あらそう。じゃあ…」
柚木さんは立ち上がり、僕の方へと向かってくる。
僕は2人が言い争いを始めそうな段階で、いつもの定位置に座っていた。
柚木さんは迷いなく、その僕の後ろへと移動する。
そして、首から前の方へと腕を回し、
「えい」
と僕に身体を密着させた。つまりはハグである。
「なっ!」
「あー!!」
「え!?」
「…」
グイグイと背中に押し付けられる柔らかい塊。
こ、これは…!
流石、柚木さん!良いものをお持ちだ!
「ちょっ、ちょっと夏木!止めなさいよ!」
顔を赤くしながら止めに入る波瑠。
「あら、どうして?」
無垢な声を出す柚木さん。
「嫁入り前の乙女が、そんなはしたない事をするなんて考えられない!」
「何がはしたないの?私はただ可愛い後輩を可愛がっているだけよ?」
「そんなの限度ってもんがあるでしょうが!」
「まあ、もしユウト君が欲情から間違いを犯してしまったとしたら、その場合は私を貰ってもらうしかないわね」
柚木さんは右手で僕の顔を撫でる。
「なにぶっ飛んだこと言ってんのよ、あんた!」
波瑠は動揺して言葉がより乱暴になっている。
当の僕は突然の言葉に思考が停止していた。
二つの素晴らしい山に全神経が集中していたこともあるが。
「あら、初めてを捧げるのよ。当たり前じゃない」
色っぽい笑い声を上げる柚木さん。
「ユウトも何か言ってやりなさいよ!」
「…」
「この!鼻の下を伸ばしているんじゃないわよ!」
波瑠は地団太を踏む。
「やっぱり夏木、あんたは邪魔だわ…」
ふふふ、と笑う柚木さん。
「長らく続いてきた争いに、ここで決着をつけるのも悪くないわね」
二人の間に見えない火花が散っているようだ。
「ケガをしてもしらないからね」
腰に手を当てて不敵な笑みを浮かべる波瑠。
「それは私のセリフだと思うのだけれど」
それに対し、柚木さんは余裕のある態度を見せつける。
「ふん!いつまでその余裕ぶった顔が持つかしら」
再び室内の気温が下がり始めた。
柚木さんは僕から離れ、前に進み出る。
「やっぱり寒いわね…キュウ太郎!」
あ、その名前で決まったんだ…。
可愛らしい鳴き声と共に柚木さんの前にキュウ太郎が現れる。
「キュウ太郎、火傷させるくらいの力でお願い」
「またそうやって見下して!もう知らないから………ね!」
波瑠の言葉に従い空中に浮かんでいた二つの氷塊が、柚木さん目掛けて飛んでいく。
「コーン!」
威嚇の姿勢になったキュウ太郎の体毛が、鮮やかな赤色に変わる。
そして波瑠と同じように、キュウ太郎の周りに火の玉が出現する。
キュウ太郎の鳴き声に呼応し、火の玉が波瑠に向かって飛んでいく。
空中で氷塊と火の玉が衝突し、対消滅した。
両者の火力が拮抗しているとは、ある意味凄いことではないだろうか。
というか、本当は仲が良いんじゃないか?
「この!次は本気でいってやるわ!」
「それでは私も少し力を出さないといけないわね」
氷塊の大きさは先ほどの倍にもなり、火球もそれに比例していく。
え?流石にそれはヤバくないか?
冗談抜きで部屋が吹き飛ぶぞ。
「あ、あの二人とも…?」
どちらも僕の声に耳を貸さない。
「本当にヤバいって、これはヤバいって!」
「うるさい!誰のせいだと思ってるのよ!」
波瑠に怒られる僕。
あれ?別に僕は悪くないんじゃないか?
波留の感情に釣られて氷塊が一瞬でより一層大きくなる。
「あら、これは少し不味いかもしれないわね」
全く慌てていない口調で柚木さんは焦りを訴える。
「もう逝っちゃいなさい!」
氷塊が僕に目標を変えて飛ぶ。
「………やっぱり間に合わない」
火球を大きくする時間があった分、ワンテンポ遅れて柚木さんの攻撃が氷塊目掛けて飛ぶ。
迎撃態勢を取っていなかった僕の目前に、大きな氷塊が迫る。
咄嗟に腕でガードをするが防げないことを悟り、目をつむる。
そして氷塊のぶつかる大きな衝撃音が部屋中に響いた。
が、僕にその衝撃は届かなかった。
目を開くと、後から飛んだ火球が再度目前に迫っていた。
しかし、その火球も僕に当たることはなかった。
その理由は、僕の四方を囲むように聳え立った透明な壁のおかげであった。
「先輩方、しっかり加減しないとユウト先輩はおろか、資料室すら消え去りますよ」
淡々とこの状況に口を出すのは、不干渉を保っていた凛であった。
彼女を見ると、僕に向けて手を伸ばしていた。
「ありがとう凛」
「いえ、今回はユウト先輩が完全に被害者だったので」
はあ、と後輩は溜息を吐く。
「柚木先輩、波瑠先輩。あまりにもおいたが過ぎると、6時間禁固の刑が発動しますよ」
二人の表情があからさまに引き攣った。
「ご、ごめんね凛!私感情が昂っちゃって…本当に助かったわ!」
「そうね。今回は私にも非があったことを認めるわ」
柚木さんも波瑠も、急いで謝罪の言葉を述べる。
「まあ、分かってくださったなら結構です」
先輩を圧倒する後輩の図である。みんなの持つ威厳は一体どこへいったのか…。
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