第41話襲撃方法

「確か雫の死因は首を裂かれての出血死、だったよな」


「うん、ちょっとグロいかもしれないけどよく見せてほしい」


「ああ」


首の傷は髪で少し隠れていた。雫は指先で髪をゆっくりとはらう。


「おお、昨日よりもくっきりだ」


髪でほとんど隠れていた首の傷がはっきり見える。


皮膚が赤黒く変色した、深い溝ができている傷口。

藍は痛々しく残った首の傷を目にし、思わず眉をひそめる。


「なんで私覚えてないんだろう」


これほど深々と刺さされているのに刺された瞬間も痛みに悶えた記憶も一切なかった。

ここまでくると、自分でも気味が悪く感じてしまう。


雫は軽く頭を振り、雫は改めて傷口を凝視する。


傷口は決して浅くなく、くっきりと溝ができているほど深い。傷口からかなり強い力で刺されたとわかる。昨日の時点でははっきりわからなかったが、傷の角度は喉元に向かって滑らせるように切られていた。喉元に向かっているものより右上のほうが傷が深くなっているのを見て、間違いないと判断する。


「犯人は左利きかな」


雫は傷口を見ながらぼそりと呟く。


「左利き?なぜそう思うのですか」


玖月はちらりと雫を横目で見る。


「傷が首の右側にあるでしょ?真正面から右側を一発で裂くのって難しいと思う。左から右に向かって払うバックハンドだったら右側についてもおかしくないけど、それだとこんな風な深い溝ができる刺し傷じゃなく、もっと細長く一文字みたいな傷になるはずだから」


人一人をましてやプロの殺し屋を殺すのに利き手じゃないほうの手を使うのは考えにくい。


「藍、他に傷とかはない?」


「ああ、真新しい傷と言えばこの首の傷ぐらいだぞ」


藍は髪を首元に戻し、他に傷はないか確認のため首を持ち上げるが首の左側にもうなじ部分にも傷はなかった。一通り、雫の身体を調べてみたが最近できた傷といえるものは首の傷しかなかった。しかも、抵抗してできる防御創もまったく見当たらない。


「抵抗も何もさせずに首に一突きってどういう状況だったんだ?雫、本当に何も覚えてないのか」


藍は訝しげに傷跡を凝視する。


「それがまったく。私でも不思議なんだよね」


雫は即答する。この問いにはもう、反射するかのように首を振れてしまう。それほどその時の記憶だけがすっぽりと抜け落ち、いまだにまったく思い出せそうになかった。


「とりあえず、身体は一通り調べたから他のところを調べてみよう」


「そうだな」


藍は雫の身体が最初に見たときと同じ状態に戻せたかじっくりと確認した後、すっと立ち上がった。


「次はどうすればいいんだ?」


「じゃあ、次はその時着ていた制服を調べてみよう」


「制服か、わかった」


制服は昨日と同じ状態でラックに掛けられていた。当日のまま血がべったりと付いており、ラックに掛けられたまま誰も手を触れられていないとすぐにわかる。


「かなり飛び散ったみたいだな」


藍は生々しく血の付いた制服を眺めながら眉を顰める。


「まぁ、それで死んじゃったからね」


雫は血で濡れた制服の前で軽口をたたく。


「藍、悪いんだけどスカートのポケット確認してくれる?私たちじゃできないからさ」


確かめなければいけない。ポケットに雫が常に持ち歩いていたナイフがあるかどうかを。

もし、ポケットにナイフがなかったら凶器はそのナイフでほぼ確定する。

昨日の時点では確かめることができなかった。肉体のない二人ではポケットの中身を見ることも触ることができなかった。


でも、今は藍がいる。


「ああ、わかった」


藍はセーラーブラウスの下でクリップで止められたスカートのポケットをまさぐる。制服のスカートには左側にひとつだけあるため、藍はそれを念入りに調べる。


「何かあった?」


「いや、何もないな」


「………そっか」


ナイフがない、ということは。雫は玖月と顔を見合わせ、小さく頷く。

万能ナイフが何らかの方法で奪われ、凶器として雫の首を切られたということになる。


藍はポケットの中身を確認し終えた後、改めて制服を見ようと半歩下がる。血しぶきは雫たちから見て右斜めに伸びるようにしてかかっていた。白い半袖にかかった血しぶきは一段と際立って見える。


「改めて見るとすごいな。こうも血がべったりと付いていると何か………生々しい」


スカートのポケットを調べるために近づいたときほのかに鉄の臭いが鼻についた。それも相まって、藍は何度も制服から目を逸らす。


対し、雫は食い入るように制服を見る。そして考え込むように指を顎に付ける。


「………ありがとう。藍」


「雫?」


「藍がいてくれてよかったよ、おかげで一歩前進したかもしれない」


雫は合点がいったという風にふっと口角を上げた。


「何か、わかったんですか?」


雫はまだ、事件当時のことを何も思い出してはいないだろう。しかし、勘や観察力は決して悪くないのでわずかな違和感も今まで見逃すことはなかった。

今回もまた、何かに気づいたんだろう。玖月と藍は説明してほしいという面持ちで雫に視線を送る。雫はそれに応えようと二人に目線を合わせた。


「犯人は左利きでほぼ確定だと思う。たぶん、後ろから首を切られたんだ」


「後ろから、ですか。その根拠は?」


「血のかかり方だよ。もし、真正面から左手で首を刺されたのなら、血しぶきは右斜めに伸びないはず。左手で刺してわざわざ右方向にナイフを滑らせるなんて考えにくいしね。首の傷だってもっと細長くなるはずだよ。私の首の傷は裂かれたって言うよりも刺したっていったほうが正しいからね」


傷口はナイフで一突きに刺され、そのまま引き抜いたようだった。そうでなければ、凶器の形状に合わせたような溝はできないはずだ。


「溝のような傷口ができ、血が右斜めになるようにかかるには左手で後ろからだけだと思う。それに後ろから刺したほうが返り血はかからないし。ていうか、逆に後ろからじゃないとおかしい。至近距離で首元にナイフを振りかざれそうになってんのに私、抵抗も何もしてないみたいだから」


方法ははっきりしないが前方より後方からの襲撃のほうが納得しやすい。襲撃前後の記憶がなくても、なぜかこれは自信を持って言えた。


「なるほど、わかりやすいですね」


玖月は制服の血の跡をなぞるように視線を動かす。


この事実は確実に真実に大きく一歩近づいただろう。先の見えなかった靄にわずかに光明が差したのを玖月は感じていた。

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