第37話いざ、五月雨へ
「おまたせ」
数分後、雫と玖月が藍の元に戻ってきた。
「それで、家の中には何人いるんだ?」
「今家にいるのは4人だね………いや、吹雪くんはこれから出かけるから3人になるね」
「3人も?」
「でも、大丈夫だよ。姉さんは部屋で熱心に研究………じゃなくて勉強中で、出雲さんと霞は自室で眠っててしばらく起きそうなかったから」
「そうなのか?」
「だから、私の言う通りのルートで忍び込めば見つかることはないと思う………たぶん」
「今、たぶんって聞こえたんだけど………でも、忍び込むって玄関以外でどうやって入ればいいんだ」
「それはね、登ればいいんだよ」
「登る?」
雫はにこっと笑い、傍の電信柱を指差す。その電信柱は雫の家から2軒目の家の塀のすぐ傍にあるものだった。
「もしかして電信柱を登って、この家の塀に渡るってことか?そしてそのまま塀を伝って雫の家に入るってこと?」
「そう、それ」
2軒の塀を観察すると十分に渡れるほどの幅があり、塀と塀の間の距離も大きくバランス良く跨げれば通れなくはなさそうだった。
「でも、下手をしたら雫の家族どころか、この家の住民に不審者扱いされないか?」
「大丈夫だと思うよ。藍ちっちゃいから素早く動けば見つからないって」
「何にしても行動するなら、今しかないと思います。周囲に人がいない今が。それにしばらくしたら雨が降ると思うので」
玖月は軽く周りを見渡す。家の窓から顔を出す住民もいなければ通行人も通ってこない。
天を見上げると空一面に灰色の雲が広がっていた。
「わかった。ここでぐだぐだ言っててもしかたがない。ここでじっとしていたら決心だって鈍ると思うし」
「うん、頑張ろう………って言っても私ら二人は基本、藍に耳打ちするだけだけど。もうすぐ吹雪くんが出かけるから、それを見計らって電柱に登ろっか」
藍は迷いを振り切るように大きく吸い込み、己を奮い立たせる。
まず、電信柱に足をかけるため道路脇の柵に足をかけた。
ふいに一瞬だけ、雫の家に目を移す。
「………っ」
ドクンと再び、心臓が脈打つ。緊張と不安の波が押し寄せ、身体が強張る。
「大丈夫?」
「え?」
雫は藍の顔を覗き込む。そして、安心させるようにふっと微笑む。
「うん、大丈夫。行こう」
藍は肩にかけたスポーツバックを持ち直し、再度気持ちを引き締める。
雫はあえて己の不安とは向き合おうとはしなかった。
己の中のもう一つの得体のしれない恐怖心。雫の家の中に入ってしまったら、何も知らなかった自分に戻れなくなる。あそこには見てはいけない何かがある、と。真っ直ぐに向き合ったらきっと動けなくなる。
「出てきたよ」
5分くらい待っていると吹雪が門扉から姿を現し、雫たちがいる正反対の通りに歩いていった。3人は吹雪の姿が完全に見えなくなるまで、眺める。
「よし、行動開始だな」
「気を付けて」
藍は肩にかけたスポーツバックを後ろに回した。
◇◇◇
小柄で体重の軽い藍は塀を一つ、二つとバランス良く渡り、雫の家の塀まで足を進める。
「今更で気づいたんだけど」
「どうしたの?」
「スポーツバック置いてきたほうがよかったかも。すっごく邪魔だから」
藍は後ろに回したスポーツバックをポンと叩く。
「あぁ、言われてみれば………でも、もしかしていざってときに役に立つかもしれないよ」
「いざって、どんないざ?」
「いざはいざだよ。たとえば、今とか。ちょうど良い足場になるはずだよ」
「あ、そっか」
地面から塀の上までの高さは170センチほどある。小柄な藍がそのまま固い地面に飛び降りたら反動で身体にわずかな衝撃が走るかもしれない。それを防ぐため、藍は地面にスポーツバクを落とし、そこに目掛けて飛び降りた。スポーツバックのおかげで上手く地面に着陸する。
「ほら、役に立った。次のいざもあるかもしれないからそのバック持っていこう」
「どんないざかはわかんないけど、こんなところに置いておくわけにはいかないからな。見つかるかもしれないし」
藍はスポーツバックに付着した土埃を軽く払って肩にかけ、立ち上がる。
「雫の家に初めて入ったけど改めて見ると大きいんだな。庭も綺麗だし」
「あ、そっか。家の場所しか教えてないんだったね」
藍は周囲を一瞥する。
塀の外からだと塀からはみ出た高木くらいしか確認できなかった。しかし、今はこうして敷地内全体を直接目にしている。
緑を豊富に揃え、足元には密にそろった芝生を敷いた庭。門から玄関へと続くレンガ道を歩きながら四季折々で景色を楽しめるように造られている。自然な庭を意識しているのか雑木や宿根草が多く、主庭には緩やかなS字カーブの花壇と流れるような土間のレンガが伸びており、全体的に柔らかな空間を演出している。素人目から見てもよく手入れをされているのがわかる。
「庭に入ったはいいけど、これからどうすればいいんだ?」
家の玄関はオートロック式。裏口は鍵が掛かっている。
一階の窓もすべて閉まっている。どこからも家の中に入れる気がしない。
「あそこ」
雫は上方を指差す。
「あそこって」
「そう、私の部屋」
指差した方向はカーテンが風で揺れている雫の部屋だった。
「また、登るのか」
藍の言葉に雫は肯定という意味でにこりと微笑む。
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