第36話藍の決意
3人は元来た道まで戻り、電柱から家を眺めた。
「………雫、さっきの話本気?」
「うん、そのつもりだけど。とは言っても実際にやってもらうのは藍だけどね」
「でも、やっぱりこれしかないのか?不法侵入なんて」
藍は躊躇いがちに雫を見上げる。
雫が思いついたこととは玄関から入らず、雫の部屋に忍び込むことだった。
「不法侵入?住人の一人の私がいいっていってるのに?」
「いや、あなた死んでいますから」
「冗談だよ」
くすっと雫は玖月におどけて見せる。
「でも、やっぱりこれしかないと思う。チャンスは今日だけだと思うし」
「でも、良心が咎めるよ。忍び込むなんて」
藍は渋い顔をしながら雫の部屋を見上げる。忍び込むとしたらおそらくあの窓からだろう。しかし、いくらなんでも無断で家の中に入り込んでもいいのだろうか。決断の早い藍もさすがに躊躇いがちになる。
「じゃあ、帰る?」
「え?」
「私はもちろん絶対見つからないようにサポートするよ。でも、そんなに嫌なら無理強いはしない。確かに藍の性格じゃこういうの嫌だよね」
雫は少し俯く。そんな雫を見て、藍の目から迷いが消える。
「ごめん雫。私、考えが甘かった。元々雫の死の真相を突き止めることは危険が伴うことだって教えられていたのに、それでも協力したいって言ったのは私だった。こんなことで怖気づいちゃったらダメだよな。正攻法だけじゃこの事件の真相にはたどり着けないって改めて思った」
藍はまっすぐな瞳と声音を向けた。まるで、決意表明するかのように。
「単純」
玖月は藍の耳に聞こえないようにぼそりと呟いた。
「でも、入るとしたら一体どこから入ればいいんだ?」
家を取り囲む塀は雫の頭の上くらいあり、扉以外の入り口も隙間も見当たらない。
門扉はシルバーグレイの横格子の両開き式で鍵がかかっている。もちろん、指が入る隙間は一切ない。
「実はね、裏に隠し扉があるんだ」
「隠し扉?」
藍は家の塀をじっと眺める。やっぱり、吹雪が応対してくれた扉以外の入り口は見当たらない。
「ちょっと見たり触っただけでは絶対に見つからないし気づかれない扉だよ。入るとき、ちょっと面倒な手順があるんだけど教えてあげる」
「なんで、そんな扉があるんだ?」
「いざってときのものなんだ」
「いざって」
「いざはいざ………いや、待ってよ」
「雫?」
雫は言葉を途切れされ、考え込む仕草を見せる。
そしてゆっくりと首を振る。
「隠し扉はやめておいたほうがいいかも。もし一回でも間違えちゃったりしたら大変なことになるし」
「大変なこと?」
「大丈夫。隠し扉以外にも入る方法ってあるから」
「それって一体………でも、入ったはいいとして誰にも見つからずにってなるとやっぱり難しいと思うぞ」
「まぁ、一番良いのは家の中に何人いてどこにいるのかって知ればいいんだけど」
雫と藍は考え込むように唸った。
「あの、僕と雫さんなら家の中に何人いるかすぐに確認できると思いますよ」
「「あ」」
玖月に言われるまですっかりその事実に気づかなかった。
もう自分は人の目というものには縁がないということを。
「じゃあ、確認してくるね」
「ああ」
雫と玖月は塀をすり抜けた。
「雫さん、いいんですか?」
家の中に入り込んだ時、見計らったかのように玖月が話しかける。
「何が?」
「いくら僕らがサポートするとはいえ、殺し屋の家に一般人を潜入させるんですよ?もし、見つかりでもしたら」
「確かにね。物事に絶対なんてものはないし。その時は………」
「その時は?」
「その時はその時だよ」
「………」
「軽蔑した?」
「いえ、別に」
「それにいざとなったら玖月くんから聞かされた“アレ”があると思うし」
「………それは……あまりアテにしないほうがいいと思いますよ」
玖月はため息のような息を静かに漏らした。
「わかってる、いざだから」
とにかく、何人いるか家の中を確認しよう。
◇◇◇
一つの大きな塊の雲が全体に広がりつつある空模様。
雲のわずかな隙間から漏れ出している光には肌を焼き付けるような熱はこもっていない。藍はぼんやりと灰色になりつつある雲を眺める。
「雨、降りそう」
風が運んでくる雨の匂いが鼻腔をくすぐる。
雨が降り出す前兆のようだ。天気予報が外れたとはいえ、常に折り畳み傘を常備しておくべきだった。
「早く、来ないかな」
藍は周辺を少し見回す。雨が降る空模様のためか家から外に出歩いている住民も街道を行き来している通行人もいない。ただ、藍だけがひっそりと電柱の影に佇んでいる。
「…………っ」
藍は言いようのない不安に駆られ、ぎゅっと己の拳を握る。頬を撫でる風は生暖かいはずなのに、身体が震える。この不安の原因は雨のせいなのか、一人のせいなのか。
いや、なぜなのかはもうわかっている。
藍はゆっくりと雫の家に視線を移す。
二人が戻ってきたら、雫の家に侵入する。その目的は雫の手がかりを探し当て、家族がその死に一切関わっていないと証明すること。
雫の死に関しての手がかりはほとんどない。わかっているのは雫の死因は病死でも事故死でもないということ。そして、雫の周囲に何かしらの異変が起こっているということ。
緊張と怖れでどくんと心臓が脈打つ。やらなければいけないと意気込んでここまできたが、怖気づく自分もいた。一人になった途端、見て見ぬふりしていたものがあふれ出てきた。
心がざわつく。自分は霊視を覗けば自分は平凡な人間。身体能力も頭脳も飛びぬけて高いわけでもない。そんな自分が雫の不審死の手がかりを探すなんて大それたことができるのだろうか。
いや、これはできるかできないかじゃない。しなければいけないことであり、自分にしかできないこと。
藍もそう考えたから、自分の元に赴いてきたんだろう。
藍は大切な友達。
雫と初めて会ったのが2年に上がった始業式のホームルームの自己紹介の時だった。最初の印象はただ、珍しい苗字だという認識だった。そして、少し似通っていると。
自身の名は「藍」だが「らん」ではなく「あい」とよく間違われる。自己紹介の時、教師に名指しされた時もあいと間違われ、訂正させた。雫の順番が回った時教師は「五月雨」の読み方がわからず言葉に詰まり、その時雫がさみだれと気さくに笑いながら教えていた。
名前で詰まられたのは二人だけだったためか一脈通ずるものがあると思い、雫自身にも興味を持った。それからクラスメイトとしてあいさつを交わし、少しずつだが他愛のない話をするようになった。そしてあるきっかけで、一段と親しくなり今では学校でよく一緒に行動する仲になった。
雫はのんびりとしたもの怖じしない性格だった。自分には霊が視えると話した時も雫は訝しがることも好奇の目を向けることもしなかった。霊を見聞きできることを相手に知られたときの反応は大抵どちらかの反応なのに、雫は「へぇ」の一言だけで特別な反応は見せなかった。何でもないことのように振舞われることが新鮮ですごく、嬉しく感じたのを覚えている。
雫とはもっと色々話をしたいと思った。自身のことを話したように雫ももっと自分のことを話してほしいと思った。雫とは
願うなら、雫も同じような気持ちを自分に向けてほしかった。
頼り頼られる、そんな関係になりたいと。
でも、そんなささやかな願いはもう叶わない。
雫は死んでしまったからだ。
藍は目頭の熱を感じながら、天を仰ぐ。いつのまにか灰色の雲が広がり、蒼い空はもうほとんど見えなくなっていた。
霊体の雫と言葉をずっと交わしていたためか、強い感傷には浸れなかった。
しかし一人内心雫が死んだと唱え続けると実感が湧いてきた。息苦しいほど。見て見ぬふりしてきたものが今になって揺れ動いてくる。
藍はそれをぎゅっと唇と拳に力を込め、押さえつける。
今はまだ、悲観に暮れてはいけない。もうそろそろ二人は戻ってくる。そして自身もすぐに雫の家に忍び込むことになるだろう。今、感情を吐き出したりしたら何もできなくなってしまう。
少なくても別れを惜しむのは今じゃない。
雫が霊になったとしても繋がり消えるわけではない。たとえ、この感情が時間とともに褪せたとしてもこの一瞬一瞬の感情は偽りじゃない、確かなものだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます