第35話藍への不審

藍は外塀に設置しているインターホンを押した。

緊張の面持ちでしばらく待っていると足音が近づき、門扉が開いた。


「はい、誰ですか」


出てきたのは吹雪だった。

どこかに出かけようとしているところだったのか、身支度を整えた格好をしている。


「あれ、君は………」


「こんにちは、小野寺藍です」


藍は吹雪に向かってペコリと頭を下げる。


「どうするの、藍」


後ろにいる雫が声をかける。


「雫はいますか、上がらせてもらっていいですか?」


緊張しているためか、少し上擦った声になった。


「おお、直球だ」


吹雪の目元が己より頭一つ分以上先にあるため、藍は首をぐっと上に向けている。

じっと己を見入る藍に吹雪は呆気にとられた表情になる。


「………雫に用があるの?」


しかし、呆けた顔を見せたのは一瞬だけで吹雪は気さくに微笑んだ。


「え、えっと」


勢いで来たはいいが、用向きの理由を何も考えていなかったみたいで藍は目を泳がせた。しどろもどろになりながらも意を決し、口を開きはじめた。


「あ、あの、雫の忘れ物を届けに来ました」


「忘れ物?」


「昨日、キーホルダーが家の中に落ちていたので」


藍の後ろで雫がああ、と声を漏らす。


「そういえば死ぬ少し前にそんなやりとりしていたね」


そのときのことを思い出す。昨日、キーホルダーが家の中に落ちていたとスマートフォンでメッセージを受け取り、学校でそれを受け取る約束をしていた。藍はそのキーホルダーを用向きの話題に出すことを思いついたらしい。


「ちょうど部活が終わったので帰りに届けにいこうかなって思いまして」


「帰り?君の家って確か、反対方向だったよね」


「は、はい、実はこっちに用があったのでそのついでに」


藍は一瞬ギクリとさせたが、動揺を表面上に見せないように懸命に装った。


「吹雪くん、実はオネエであること学校で隠してるんだ」


雫は玖月にだけ聞こえるように声を潜ませながら耳打ちする。


「言ってる場合じゃないでしょう」


玖月も同じように声を潜ませながら返した。


「ごめんね、実は雫は今いないんだ」


吹雪は申し訳なさそうに笑って見せた。

藍とは違い、一切の動揺を見せずに。


「まぁ、そうなるよね」


藍の後ろで雫は息を吐きだす。


「あ、あの、えっと」


藍は話を終わらせないようになんとか言葉を続けようとする。

少しでも敷地内に入り、情報を得る方法はないかと。


「い、家に上がらせてもらえませんか?」


それは咄嗟に出た言葉だった。


「えっと……その……」


「………雫は今いないんだけど」


「………あの」


藍はこれ以上、どう言えばいいのかわからず言葉を濁らせる。

特に親しくもない相手と話を続けるのは難しい。藍にとって吹雪は生徒会副会長であり雫の兄。それだけの認識。学校で雫と一緒にいるときたまたま遭遇し、あいさつ程度の言葉を交わすくらいだ。吹雪のほうもその程度の認識のはずだろう。藍は妹の友達でそれ以上でもそれ以下でもない存在。

だからこそ藍は狼狽した様子を見せ、そんな藍に吹雪は困惑の笑みを浮かべる。


「え、えっと、雫が来るまで待っててもいいですか?」


「雫が来るまで?でもいつ帰ってくるかわからないし、僕もこれから駅前のホームセンターに行こうと思ってるからさ」


ごめんねと肩を軽く竦める。


「だから今日のところは―」


「あ、あの少しだけでもいいので家に入れてくれませんか?」


話を切り上げようとする吹雪を必死に引き留めようとする。


「君………雫となにかあったの?」


藍の奇妙なほどのしつこさにさすがの吹雪も怪訝な顔を見せはじめる。


「藍、これ以上はちょっと不自然すぎるって。ここは出直したほうがいいと思う」


雫は藍の耳元で小さく囁いた。


「………っ」


確かに雫の言う通りだ。これ以上の無理を押し通すと下手をしたら、雫の死に関わっているのではないと思われかねない。ここは一度、引くべきだろう。


「すみません。帰りま―」


「そのキーホルダー、なんだったら僕が渡しておくけど?」


背を向ける藍に吹雪は声をかける。

背を向けている藍に吹雪がどんな表情をしているのかは見えない。


「持ってきたんだよね?」


「………いえ、学校で直接雫に渡したいので」


藍は振り返らずにその場を立ち去った。



◇◇◇



「………変だった?」


「うん、かなり変だった」


「うっ」


雫たちは一旦雫の家から離れ、さきほどの公園にやってきた。小走りになりながら離れたため、藍の肌から汗がポタポタと固い地面に滴り落ちる。


「向こうが私がいないって言ってるのに家に入るのはやっぱり無理があるって。ていうか、キーホルダーだって持ってきてないんでしょ?相変らず猪突猛進というか無鉄砲というか」


「最後気づかれたかな?」


「微妙なとこだね。でも変に思われているかとは思うけど、あれくらいならまだ学校で私と何かあったか程度くらいだと思う」


吹雪は藍の態度になにかしら不審を抱いたかもしれない。しかし、まだその程度だろう。その不審がさきほどのやりとりだけで藍は雫の死の真相調べをしていることに直結するとは思えない。


「出直したほうがいいと雫さんは言っていましたが、また訪ねるのは不自然ですよ」


玖月はきっぱりとした口調で言い放った。


「さてと、どうしよっか………急いだほうがいいかもね、なんだか振りそうな空模様だし」


「え?」


きょとんとする藍に雫は上空を指差す。ちぎれていた雲が大きな一つの塊になりつつあり、太陽を覆おうとしていた。青空と薄暗い雲との境目がはっきりとしている。


「あれ?雨降るって天気予報で言ってたか?」


「にわか雨だと思うけど。傘は持ってきてる?」


「持ってきてない」


「まぁ、どっちにしても調べるなら今日中だと思う。時間が経てば経つほど調べにくくなるし」


「今日中って………さきほども言いましたが、あの様子では家の中には入れてもらえないと思いますよ」


玖月は上空を見上げながら呟く。再び家に訪れたら、わずかな疑心以上の感情を抱かれ、下手をしたら藍の身に危険が及ぶ可能性だって出てくる。


「たしかに無理だろうね。玄関からだったら」


雫は何かを思いついたらしく、ふっと口角を上げる。


「藍って運動神経いいよね?なにせ運動部だから」


「………まぁ、運動自体は好きだし」


「木登りは得意?」


「え?」


藍は雫の質問の意図がわからなかった。

ここで木登りができるかどうかを聞くなんて脈絡がないにも程がある。


「足をひっかける部分がちゃんとあったら、できると思うけど」


「もしかして、雫さん」


玖月は雫が何を言わんとしているのか察したらしく、口を挟む。


「まずは、さっきの電柱辺りに戻ろっか」


「雫、一体何を………」


「行きながら説明するよ。ほら早くしないと雨が降るって」


戸惑う藍に構わず雫は背を向け、足を動かした。

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