第33話何気ない会話と発見

「玖月くん」


雫は流れる雲を眺めながら何気ない口調で声をかけた。


「何ですか?」


「好きな食べ物とかってある?」


「何です、その脈絡のない問いは?」


「暇だから。私はもちろんドーナツ。揚げたのもヘルシーなのも王道なのも全部好き」


「僕は………特にないですね」


青空を見上げている雫に対し、玖月は目線を少し下げながら応える。


「ないの?野菜系、果物系、お菓子系、肉系、揚げ物系、ご飯系、パン系とかそういうの」


「ないですね」


「味の好みとかはないの?甘いのとかしょっぱいのとか辛いのとかすっぱいのとか」


「ないですね」


即答する玖月に雫はパチパチと何回もまばたきをする。


「いや、なんかあるでしょ。これじゃあ、会話終わっちゃうって」


「ないんだから、しかたがないじゃないですか」


「ポンと浮かんだものとかないの?」


玖月は雫のしつこい追及に面倒と思いながら答えを何とか絞り出すため、少し黙った。その玖月の考え込む仕草から食の関心や味の好みが本当に薄く、好きなものがどうにも思い浮かばないことがわかる。どれを挙げようか迷っているのではなく、何もないから答えようがないようだった。


少しの沈黙から、やっと答えが出たようで口を開く。


「強いて言うなら」


「言うなら?」


「汚れてもなく腐ってもなく砂が付いてもなくカビが生えているのでもなく虫がたかっているのでもなく臭くもない、人の口に入れても安全な食べ物ですね」


「………」


今度は雫が黙ってしまった。


「暗い」


そう呟くだけで食べ物の会話が終わった。


「趣味とかは?」


「今度は趣味ですか」


玖月の口調に苛立ちが交じり出す。


「だって食べ物の話が終わっちゃったしね。送り人にも休日とかあるんだよね?何してるの?


「………掃除ですね」


「それだけ?スポーツとか読書とかは?というか、そっちにあるの?そういうの」


「前にもいいましたが、送り人の半分は元人間なんです。人間界の知識を元にし、道具を用意すれば大抵のものは作れるみたいです」


「それってテレビとかもあるってこと?」


「ええ、どういうシステムかはわかりませんが時折人間界のドラマやアニメも流れています」


「そうなの?随分と都合のいい世界だな。ちょっと見て見たいかも」


話を聞く限り、玖月がいる世界は人間社会に似通っているらしい。何がどう違い、どう同じがこの目で見てみたい気もする。


「雫さん、あなたは………」


「わかっているよ。私は地獄に逝くから見れないんだよね」


雫はわざとらしく肩を竦めて見せる。


「話が脱線しちゃったけど掃除以外はないの?」


「ないです。そもそも好きだから掃除をしているわけではありません。必要なことだと思うからしているだけです。休日は掃除をするか仕事をするかです」


「え、休日を潰して?もったいない」


「淡々と業務をこなしているほうが楽なんです。よく趣味や好きなことを見つけるべきだと、先輩の送り人に言われますがやりたくもないものを無理矢理やってもあまり意味ないでしょう」


「そりゃそうだ」


趣味というものは心の底から楽しいと思わないと長続きしない。無論、強制されるものでもない。趣味を持つ、持たないのは個人の勝手。無趣味を否定する人は無意識的に心の底で見下しているからだ。

しかし玖月の場合、思わず口を出してしまいたくなるほど玖月の全体の雰囲気が暗いとも取れる。毎日がつまらなそう、生きがいがないと思われてしまいがちになるほど玖月の表情筋はほとんど動かないし、全体的にも覇気がない。


「それに死んでまで強制なんてされたくないんです」


玖月は聞こえるか聞こえないかの声量で吐き捨てた。


「私の趣味はドー…」


「言わなくてもわかりますよ」


「あらら」


答えがわかりきっているため、玖月は雫の言葉を遮る。


「じゃあ、次は笑ってよ」


「じゃあって何ですか?脈絡がなさすぎですよ」


「だって玖月くん、自分から話を振るようなタイプじゃないでしょ?それにこういう世間話だってしようとも思わないはずだし。というかおしゃべりってだいたい脈絡なく始まるもんだよ」


基本、話を振っているのは雫で玖月がそれに応える形が続いている。

玖月は他人との雑談に楽しみを見出したいと思っていないので話を振ったり広げたりは業務に必要性だと思わない限り自発的にはしようと思わなかった。

雫が会話を終えようとしたら沈黙が流れるだろう。


「それがなんで笑え、なんです?」


玖月は冷めた表情を雫のほうに向けた。


「暇だから。今まで玖月くんの笑った顔みたことないから見たいなって思ってさ」


雫は両手を後ろで組み、飄々とした笑みを浮かべる。


「笑った顔見せてよ」


雫は横にいる玖月のほうに体を向け、顔を覗くように近づく。


「嫌ですよ」


玖月は能面のような表情で雫を見据える。呆れ返って言葉が出ないといった様子で。


「なんで?」


「なぜ、あなたの一時の暇つぶしのためだけに笑わなければいけないんですか。それに馬鹿にされているみたいで癪に障ります」


「別にいいじゃん、減るもんじゃないんだから」


「嫌ですよ」


雫が笑ってと微笑みかければかけるほど、玖月の表情が消えていった。


「君って顔の造形はけっこう悪くない………むしろかわいいんだからもったいないって」


玖月の容姿の各パーツ自体は決して悪くない。しかもほっそりとした体格で腰や腕も細く、肌も抜けるように白い。遠目だけだったら、少女に見紛われても不思議ではなかった。


「はぁ?」


消えかけていた玖月の表情が、一瞬で不快な表情に変わった。感情に乏しい玖月があからさまに不機嫌に表情まで歪ませるのは珍しい。


「そんなに嫌だった?顔がかわいいって言われるの?」


その変わりように雫は思わず、呆ける。


「ええ」


低い声で舌打ちまでしそうな勢いで吐き捨てる。


「言われて嫌な言葉の中で一番、嫌いな言葉です。僕、自分のこの顔が嫌いなんです。かわいいって褒められるたびに碌な目に遭いませんでしたから」


碌な目とはおそらく、生前のことを言っているのだろう。玖月の変わりようから決して女顔がコンプレックスだからというわけではないと手に取るように理解できる。


「私、別に悪口言ったつもりはないんだけど」


「それでも、それだけは嫌なんです」


残念と雫は軽く肩を竦める。


「色々、言ったけど安心したよ」


「安心?」


玖月は不愉快な心境が見て取れる表情のまま、またしても脈絡ない一言を言った雫をちらりと見る。


「不機嫌なことも不愉快なものも生前の話がほとんどみたいだから。ということは、送り人である今はあんまりそういう苦痛は味わっていないみたいだね」


「!」


雫は目を見開く玖月の頭をポンポンと優しく撫でる。


「よかったよかった」


「やめてください」


玖月は雫の手を軽くはたいた。


「それも少し不愉快です。それにあなたが言うことではないですよ」


「たしかに私が言うことではないね」


雫ははたかれた手をひらひらさせながら、下げた。


「早く来ないかな、藍。あと何時間くらい待たなきゃいけないのかな?」


雫は、隣にいる玖月に少し寄りかかる。

今、唯一触れられる肩の感触を感じながら再び、ぼんやりと空を仰ぐ。


「さぁ」


玖月は雫を突き放すことはしなかった。玖月も同じように空を仰ぐ。

青空にはちぎれていた雲が集まり、ひとつになりつつあった。

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