第32話永遠の退屈と時間
昼時が過ぎ、朝よりも強い日差しが地上に降り注ぐ。雫は五月雨家の近所の公園の入り口辺りの生活道路で行ったり来たりしている通行人を眺めていた。照り付ける日差しに対し皆、不快な表情で歩いている。
「生きてたら、皆みたいに暑い暑いってるんだろうなぁ」
死者である雫は灼熱の太陽の下だろうが極寒の地であろうが意に返すことがない。ただ、ゆらゆらと揺れる陽炎や白い日差しに目がくらんでいた。
「どうせならうるさい蝉の音もなんとかしてほしいな」
鳴りやまない蝉のしつこい鳴き声に雫は不快感を示した。夏の風物詩の一つである蝉の音は暑さへの助長を錯覚させてしまうほどのけたたましさがある。四方からずっと耳に強制的に鳴らされると実際の蒸し暑さを嫌でも思い出す。
藍と待ち合わせをした公園は日影が極端に少ない公園だった。使い古されたブランコに一台のベンチ、所々錆びた滑り台が置かれたそれほど広くない公園。そして、枝の少ない木がまばらにあるだけだった。
太陽が頂点に近い現在、誰もいない。
すべり台の金属製の傾斜部分が太陽の光で反射しているのが目に付く。触れなくてもこの暑さでかなりの熱がこもっているとわかる。揺らめく陽炎、眩い白い日差し、鳴りやまない蝉の鳴き声のせいで普段感じていた暑さへの不快感を嫌でも身体が思い出し、神経に障る。
「夏ほど早く通り過ぎてほしい季節ってないな。頭はくらくらするし汗臭くもなる。こういう日の仕事って憂鬱なんだよね。炎天下での待機2時間ってザラだからさ。殺し屋に労働基準法なんてないようなもんだから」
雫は緩く動くブランコをぼんやり眺めながら呟く。
「雫さん、それさっきも言ってましたよ」
傍らにいた玖月は汗を拭きながら歩く通行人たちに目をやっていた。
「そうだっけ?」
「今ので3回ですよ」
「だって、なんか暇なんだもん」
雫は大きなため息を吐いた。
今日雫の家へ、藍と共に向かう。一緒に向かうため公園で合流する予定。しかし、連絡手段がないため二人はただじっと公園で藍を待つしかなかった。特にすることがない待ち時間は、完全な手持無沙汰な状態だった。
「幽霊ってすることなさすぎるね。まぁ、死人が何かをする必要はないんだろうけど」
幽霊は人や物に触れない。人の目に映らないということはもちろん人と話すことはできない。幽体の身体が食事を必要としないため腹は減らないし、睡眠も必要としないため身体を休ませる必要もない。
要するに幽霊は何かをする必要がないし、何かをすることができない。
「最初はいいかもしんないけど、だんだん飽きてくるんじゃない?」
幽霊である雫には話し相手として送り人である玖月がいる。しかし、もし話し相手が一人もいなくなったらどうなるだろうか。
「ずっとはちょっときついかもね」
幽霊は生への呪縛は解き放たれたかもしれない。しかし、その代償として永遠の孤独と退屈を味合う羽目になる。死んですべてが終了になるわけではないことを身を持って知った。
「僕は少なくてもほっとしてますよ。もう二度と学校の連中や家の人間と顔を合わせることはないんですから」
視線を通行人に移したまま、玖月は応える。魂だけの存在となったこと否定気味に捉えている雫に対し、反論するような口調だ。
玖月は送り人であり、雫が殺した元生者でもある。しかし、雫が命を断とうとせずとも玖月は現世に見切りをつけていた。今でも、その選択に後悔はしていないようだ。
「でも、そう言えるのは玖月くんが今、送り人だからじゃないの?地獄にも堕ちず、幽霊になって現世を漂ってないから言えるんじゃない?」
その言葉に玖月は顔をゆっくりと動かす。表情は変わらずとも瞳の奥は重く、射貫くように鋭い。自らの意志で出した選択に口を挟むような雫の物言いには眉を潜まずにはいられなかった。しかし、相も変わらず雫はまったく意に返さず、言葉を続ける。
「まぁ、私は地獄に落ちるから関係ないと思うけど。もし、私がこの世に何年も漂う羽目になったらちょっときついなって思う。幽霊ってずっと欲求を抱えたままでいることなんだよね。ドーナツが目の前にあるのに絶対食べられないなんて拷問よりも苦痛だと思う」
「あなたの基準って結局それなんですか」
玖月は馬鹿にしたかのように息を吐き捨てる。
「僕は生前、欲求に近い感情を抱いたことはありませんから、そういうのはわかりません。それに僕は人と一緒のときのほうが何よりも苦痛でした。永遠とも思う地獄よりも永遠と感じる孤独のほうがマシです」
普段、口数の少ない玖月が饒舌に語る。
「そっか、たくさんいるんだろうね君みたいな考えの人間が」
雫が虚空を見つめながら静かに呟く。
「誤解しないでね。私はあくまで主観で言っただけ。別に玖月くんの考えにいちゃもんつけようなんて思ってないから。気に障ったのなら謝るよ。ただ、そういう理由で死にたいって人の気持ちはわからないから」
詫びの言葉を口にしつつも物言いはどこか皮肉がこもっている。
雫は玖月が生前、どんな環境で生きていたかは知らないし深くは聞くつもりはない。そもそも、興味がないため価値観を否定も肯定もしようがない。
雫は玖月の生前の苦悩を実質、理解できない。だからこそ、理解者にも共感者にもなれない。
雫はそれでいいと思っている。
「別にいいです。中途半端に共感するふりや慰めの言葉なんかよりはずっといいです」
「そう」
玖月は別段、雫に何かを求めてはいないため生前のことを詳細には話すつもりはなかった。
もし必要性があるなら話す、それだけだ。
しかし正直に心の内を明かされ明かすこの関係性に双方、気を少し緩ませていた。
ふと、雫は空を見上げた。正午前は雲一つない晴天だった空にちぎれた小さい雲が流れている。
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