第30話協力と朝食
二人が部屋をすり抜けるとすでに藍は身支度を整えていた。寝ぐせのあった髪を直し、黒に染まる前の雫と同じセーラー服を綺麗に着こなしている。振り返った藍の顔立ちはさきほどまでの寝起き顔ではなく、凛としたすっきり顔になっていた。
藍はじっと二人を交互に見据え、口を開く。
「ます、聞きたいことがある」
「何?」
「彼は誰だ」
「そっちか」
藍は玖月に視線を定める。
「彼は玖月くん。送り人なんだ」
「送り人………」
玖月は無言で軽く会釈をした。
「私をあの世の送る担当らしい。」
「じゃあやっぱり雫………」
「そう、残念なことにね。だから、こんな制服が黒くなっちゃったんだ」
苦笑いを浮かべる雫に対し藍は目を見開き、呆然とする。目を伏せ口元を手で覆う仕草をし、ショックを隠そうとしない。静かな沈黙がその場に流れる。
「昨日の夕方、一体何があったんだ」
その沈黙を破ったのは藍だった。
「それがわからくて」
「え?」
「実は藍に協力してほしくてここに来たの」
雫は藍に昨日、何があったのかを話した。
携帯のメッセージを送った後、いつのまにか生と死の狭間に迷い込んだこと。その直前の記憶が切り取られたみたいになくなっていること。死の真相を究明しないと、あの世に逝けないこと。
地獄に逝くことには一切話題に出さずに。
藍はそんな雫の話を真剣な表情で聞き入る。
「真相を解明しないと私、カゲオチになっちゃうらしんだ」
「カゲオチ?」
「黒くてのっそりとした動きをしている存在。自我のない悪霊みたいな感じかな」
「………時折、見たことがある。あれってそんなに危険な存在だったのか」
「霊を喰らうんだって」
「霊を!?」
強い霊感の持ち主である藍はもちろん、カゲオチも見たことがあるだろう。しかし、藍の様子から察するにカゲオチが一体なんなのか知らなかったようだ。送り人という存在も含めて。どうやら、藍はただ視えるだけの人間らしい。
「私、カゲオチになりたくないし食べられたくないもない。だから霊が視える藍に協力してほしくて―」
「わかった」
「はやっ」
迷いのない即答だった。
「いいの?」
「藍は私にとって大切な友達だ、カゲオチになんてさせたくない。それに藍が死んだ理由も私を知りたい。だから、協力する。いや協力させてほしい」
藍には雫の死は事故ではなく事件である可能性を伝えている。雫たちに協力するということは危険が伴うということでもある。藍だってそれを十分理解しているはずだ。藍はそれを承知の上で協力を申し出している。藍は真剣な眼差しで雫を見つめていた。その面持ちからは恐怖心や躊躇が全く感じ取れない、芯の強さが見え隠れしていた。
「ありがと」
雫はふわりと微笑んで見せた。雫が藍の元に赴いたのは霊が視えるからだけではなかった。
藍の真っ直ぐな性格を承知したうえで、藍を拒絶したりしないと踏んでいたからだった。
「まずは………」
「藍、まだなのかい?もうとっくに朝食の用意はできてるよ」
藍が言葉を発しようとしたとき扉の奥から藍の父親の声が響いた。
「まずは腹ごしらえだ」
藍の凛とした表情が父親の声を聴いた途端、表情が幼くなった。
藍は廊下を軽やかな足取りで居間にやってきた。藍と玖月も一緒に。
「おはよう、藍。今日も暑いね」
藍が居間に入ると、キッチンで紅茶を淹れていた藍の父である和彦は背中を向けながら穏やかに話しかける。
「おはよう、父さん」
藍は返事を返しながらテーブルについた。
「本当に藍さんにしか見えないんですか?」
玖月は隣にいる雫に話しかけた。
「そのはずだよ。たしか親族の中では藍にしか見えないって言ってたから。そうだよね?藍」
「うん」
話を振られ、藍は小さく頷いた。
藍がいる居間はダイニングと兼ねて6畳ほどの広さだった。
古めかしく且つ整頓された家具が整然と配列されていた。部屋の中央には四角テーブルがあり、その上には朝食が並んでいる。朝食は半分に切ったフレンチトースト、ポテトサラダ、コーンスープ、ハチミツ入りのヨーグルト。
「いいな、藍のお父さん料理が上手で」
雫は藍の後ろに立ち、朝食を羨ましそうに眺める。
藍の父、和彦は小鳥遊神社の宮司。全体的に伸びた髪を頭下部で束ね、穏やかさが漂った目元に眼鏡をかけている。普段は白い着物に紺色の袴という姿だが今は鶯色の作務衣を着用し、キッチンに立っている。
「優しくてなによりお菓子作りが得意で―」
突然、ガチャンと何かが割れた音がキッチンから聞こえた。目を向けると和彦がカップを床に落としていた。床は紅茶で滴り、破片が散らばっているのが見える。
「大丈夫?父さん。またやったの?」
藍はキッチンを覗こうと顔を動かす。
「ああ、ごめん。またやっちゃったよ」
キッチンから和彦の申し訳なさそうな声が耳に入る。
「気をつけて」
「ちょっとドジなところもいいかもね」
昨日、雫が訪れたとき藍の父親はコップを3枚割っていた。それは日常茶飯事らしく割れる音が聞こえるたび、藍は苦笑いを浮かべていた。
「アラフォーなのにドジなのがいいのか?」
「少なくてもうちの父さんよりはいいって。あの人、料理とかできないし子供に対する優しさとかもあんまりないし。ちょっとした隙があったほうが人間味があると思うよ」
「そういうものか」
藍はいただきます、と両手を合わせ朝食を食べ始めた。
「そういえば、昨日廊下に落ちてたキーホルダーって雫ちゃんのだったんだよね?」
和彦はカップの欠片を拾いながら話しかける。どうやら、キーホルダーを最初に見つけたのは和彦だったらしい藍はトーストをごくんと飲み込んだ後、ちらりと雫を気にしながら口を開く。
「うん、今度学校で渡すつもり」
「そっか。じゃあ、その子に伝えて。腕をふるってまたドーナツもごちそうするからいつでも家においでって。本当にドーナツが好きだったからね、雫ちゃん」
「ん」
藍は和彦に聞こえるかわからないくらいの声で返事をし、もそもそとトーストを口に運び、雫はその様子をただぼんやりと眺めた。
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