第28話カゲオチとは

「成れの果て?」


「前にも言いましたよね、死者が死を意識したら死の色に染まると。しかし、死人の誰もが黒く染まるわけではありません。地獄逝きの魂は黒に染まり、天国逝きの魂は白に染まります。生前の罪が重いほど黒に染まります」


雫は死を意識した瞬間、制服が白が一切残っていない黒一式に染まった。それは罪人らしい、重々しさがある闇の色。雫の制服は目にした瞬間、生前どれほどの罪を犯してきたのがすぐにわかる。


「じゃあ、さっきのって」


「罪を犯した魂が現世にずっと留まると、あのようにカゲオチになってしまいます。己という概念は完全になくなり、ただ彷徨うだけの存在に」


「ちょっと待って、ずっと留まるって言ったけど玖月くんみたいな送り人が迎えに行くんでしょ?それに死んだら皆、私が最初にいたあの狭間に行くんだよね?」


「雫さん、世界で一秒間に何人の人間が死んでいるのか知っていますか?少なくても4人は亡くなっています。一日で統計すると数十万人になります。実は送り人の数はそれほど多くないんです。ベテランの方なら一回で数十人、魂を送れますがすべてを完全に送ることは不可能に近いんです。休日を潰し、残業を増やしてもすべてをさばくのは無理でしょう」


「そうなんだ。ていうかあるんだ、残業とか休日出勤とか」


「それに実はすべての魂が自動的に狭間に送られるわけでありません。死ぬ直前、感情の念が強い魂はその地に縛り付けられることがあります」


「感情の念?」


「主に憎悪、絶望、悔恨、執着です」


「なるほど私の場合、死ぬ直前の記憶がまったくないからあの狭間にすぐに送られたってことか」


「そうです。負の強い感情でずっと現世に留まり、送り人に放置された魂はカゲオチになります。人型にしか保っていないカゲオチは送り人にとってもかなりやっかいな存在なんです。なにせ、カゲオチは死者を喰らうんです。特に罪人の魂が大好物で」


「え、食べる?」


雫は思わず声を上げる。


「そして送り人は取り込まれてしまいます」


「………私らって結構危なかったんだ」


カゲオチとすれ違った瞬間、雫の背中に悪寒を走った。死者である雫は本能的に危険を察知したんだろう。まるで草食動物が腹を空かした肉食動物に遭遇したかのように。


「危ないとは言ってもカゲオチは動きはかなり遅いし一定以上の距離を保てば目を付けられることはありません。でも、危険であることには変わりはありません。見たところ、あのカゲオチはかなりの魂を喰らっていますね。おそらく十年、いえ二十年は放置されているでしょう」


「え~、ちゃんと仕事しようよ」


「さっきも言いましたがすべての魂をさばくことができるほど送り人の数は多くないんです。それに僕のような新人にはカゲオチはまだ手に負えないと思います。見た限り、あれはベテランの方でもかなり手こずるでしょう」


玖月はカゲオチがいるであろう向こうの通りを横目で見る。


「話を聞く限り、私もそのカゲオチになる可能性はあるってことなの?でも私、罪人ではあるけど死ぬ直前、生に対しての感情の念とかは別になかったんだけど。今もだけど」


「でしょうね」


玖月は視線を向こうの通りから元に戻した。


雫は自分の掌を確認する。今のところ、何の変化もない。


「カゲオチってずっと送り人に放置されるとなっちゃうんだよね。私の場合、君がいるから大丈夫なんじゃないの?」


「そう、僕も思いたいです。でも、あなたのように狭間から現世に戻る魂はかなり珍しいので、イレギュラーなことが起こってもおかしくないと思います。地獄逝き確定の魂だと尚更………」


「マジかい」


「何にしても、地獄逝き確定の雫さんが現世に留まるのはあまりよくないことなんです。それほどの黒に染まった魂は現世にも影響が出る可能性だって出てきます」


「影響って?」


「念じるだけで物体を移動させたり何もないところを発火させたり音を鳴らしたり」


「それってもしかして、ポルターガイスト現象?」


「そう言われてますね。ほんの少しでも物を動かせるようになってしまったらカゲオチの入り口だと思ってください」


「カゲオチねぇ」


静かに話す玖月を後目しりめに雫は己の姿を確認するかのようにふわりと少し浮かび上がらせながら見回す。

やっぱり見慣れている自分の身体だ。どこを見ても変化はない。


雫は振り向きながら玖月に向き合う。


「たぶん大丈夫だと思うよ。制服以外どこも黒くなってないし、感情の念とやらだって特にないし。ただドーナツは食べたいなぁって思うだけで―」



地面に立ちながら2、3歩歩く。


そのとき――。


こつん。


雫の足元にあった小石がほんの少し転がった。一瞬のことだが二人の耳に小石が転がる音が確かに入る。


「………玖月くん今、風出てた?」


「さぁ」


雫は小石をじっと見ながら動くように念じたり、蹴ろうと足を動かす。しかし、小石は微動だにせず雫の足をすり抜けるだけだった。



「………………」


「………………」


「まさかとは思うけどドーナツへの欲がきっかけになっちゃってたりする?」


「笑えない冗談ですね」


二人はもう転がる様子のない小石を凝視する。


「本来、送り人はずっと一人の死者に付くことはないんです」


「そうなの?」


「僕の直属の上司はやり手ですがかなり厳しい人なので、もしずっとカゲオチになる可能性の死者の担当をしていると知られれば、最悪カゲオチになる前に消滅されるかもしれません」


「消滅?私を?」


「はい」


「それ嫌だな。なんか地獄に逝くよりもやだ」


「狭間に移ればカゲオチになる心配はないんですが………」


「あそこにずっと居られないから、ここにいるんだけど」


雫と玖月が狭間から現世に移ってきたのは雫の死の真相を突き止めるためだった。何もない空間にずっと居れば埒が明かないのは目に見えている。


「いろいろとやばいじゃん」


「僕も考えが甘かった自覚はあります。現世に戻れば記憶も徐々に思い出してくれると思ったので。まさか、これほど頭を抱える状況になるとは」


「微妙に責める言い方だ」


「これからどうしますか?とは言っても僕らにできることはかなり限られてますけど」


「いろいろと詰んでるね、私たち」


雫は自嘲気味に笑いながら天を仰ぐ。


現場は見た。遺体も見た。

自分の部屋も見た。家族の様子も見た。家族の部屋も見た。


次は一体何ができるだろう。


「せめて凶器がどこにあるか分かればなぁ。制服のポケットにはなかったと思うけど」


凶器が雫の持参しているナイフであることがほぼ特定できているが、まだ見つかっていないため決定打を打つことができない。


「私たちの代わりに探したり確認したり、誰かに聞いたりできる人がいればいいんだけどなぁ」


雫は腕組みしながら、考えあぐねる。


「そんなことできるわけ」


「あ」


雫は何かを思い出しように声を上げる。


「………でも、あれが本当だとしたら逆に面倒くさくなる気もするなぁ………どうごまかせばいいか。でも、背に腹は代えられないしこの状況を打破するチャンスかもしれないし」


「なんですか、一体」


ぶつぶつと独り言をつぶやく雫を玖月は訝しげに声をかける。


「ま、いっか。なるようになるか」


雫はあっけらかんとした態度で結論を出した。


「今って何時ぐらいかな」


「時間ですか?おそらく、7時か8時くらいかと思いますよ」


雫は少し考える仕草をした後、軽く玖月の腕を引っ張った。


「よし、行こっ」


「行くってどこに?」


「移動しながら説明するよ」


この行動で、鬼が出るか蛇が出るか。

どの道、八方塞がりな状況の次善の策のはずだ。

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