第21話銀のフォーク
「……ごめんなさい、私が悪かったわ。本当に、本当に……ふ………」
緑の体はもう首しか動かせない状態だった。今、床に置かれた体をなんとか支えている手を誰かが軽く押したら、体はすぐに横に倒れるだろう。緑は神妙な顔を伏せ、声を震わせる。
「ふ……ふふ……ふふふ、はは、なんて言うわけないでしょ、このグズ!!」
緑は顔を歪ませながら吐き捨て、穂積の存在を全否定するかのようにあざ笑い始めた。
「あんたみたいなグズでバカの弟をここまで育ててやったのよ!?顔しか取り柄のないあんたを使ってあげたんだから感謝されこそすれ恨まれる筋合いはない! この恩知らずが!セックス以外価値のないクソのくせに!私は悪くない!あんただって男に突っ込まれて悦んでいたくせに!どうせ、その白髪頭の男の汚いモノに釣られたんでしょ!?この変態の―」
「――」
穂積が唇を動かし、何かの言葉を発音した。
そして次の瞬間だった。
「ぎゃああああああああ!!」
鋭利な何かを緑の左目に思いっきり突き刺した。左目に走る強い激痛という衝撃に緑は絶叫し、床に勢いよく倒れる。左目からどくどくと血が流れだし、そこいらに散乱する。毒で体中が麻痺状態の緑は左目から流れる血を抑えることができず、陸に上がった魚のようにぴくぴくと体を痙攣させるしかできなかった。
「がっ、あぐう……」
悶え苦しむ緑を穂積は凝視ていた。そして、喘ぎ続ける声を無視するかのように今度は残った右目に鋭利なモノで狙いを定めている。
「ひ!?や、やめ」
緑はさきほど左目に突き立てられたきらりとしたものを目にした瞬間、穂積が次に己に何かをするのか一瞬で理解する。緑はそれから逃れようと必死で顔を動かす。唯一今、動かせる首を動かすしか狙いを外す方法はなかった。しかし、穂積はそんな緑の顔を乱暴につかみ、痛みで目が充血している右目にも一切の躊躇なく突き刺した。
「うぎゃああああああああ!!」
緑は再度の激痛と視界を完全に奪われた衝撃で再び絶叫する。両目からとめどなく血が流れ、緑の髪にも染み渡っていった。
「み、見えない……ひっ……やっ」
緑の世界は真っ赤に染まる。自分の知らない赤黒い世界に緑は恐怖し、がくがくと震えだす。
そんな緑を穂積は膝立ちで冷たく見下ろす。とても冷たく無機質な瞳で。
穂積の右手に握られていたのはさきほど拾い上げた出雲の銀フォークだった。銀のフォークの先端からポタポタと血が滴り、床に小さな血溜まりをつくる。
「あぐ……う……」
穂積は緑の悶え声など聞こえていないかのような素振りで再び狙いを定めようとフォークを振り上げる。
次に定めている箇所は喉元だった。穂積は喉元めがけてフォークを振り下げた。
「待って」
振り下ろした穂積の腕を吹雪が止めた。
「まだ、まだ……」
両手で穂積の腕を握りしめている吹雪はよく見ると肩で息をしていた。
「……まだ、言ってもらってない。変態って……気持ち悪いって。喉を刺したりなんかしたら、言えないわっ、だから、ちょっと待って」
吹雪は興奮気味に声音を震わした。吹雪は両目を潰された緑に近づき、屈みこむ。
「ねぇ、聞こえる?もう一回言って?変態って。いいえ、今度はさっきよりも酷い言葉を僕にっ!」
「目が……いた、い。見え……ない」
しかし、緑は吹雪の呼びかけに反応しなかった。口から出るのは緑の欲する罵倒の言葉ではなく嘆きの言葉だった。
「もう一回言ってよ。もっともっと僕を罵って!」
「ああああああ、いや、いやぁ」
「ねぇ」
「ああ、止まらない。血が……流れている」
「……はぁ」
吹雪は屈んだ体を起こし、残念そうに息を吐きだす。もう、罵りの言葉は出てこないと判断したからだった。それどころか、悪態すらもつけないようだ。
「僕、部屋に戻る」
吹雪は感情を抑えるかのようにくぐもった低い声を出した。
「……次にどんな罵倒をしてくれるかと期待していたから、なかなか熱が萎えなくて。部屋に戻って早くどうにかしなと、僕……。ああいう直球の罵倒は久しぶりだから、余計にっ」
ふらふらと後ずさる。そして、痺れた体を引きずるような足取りでリビングを後にした。
「せっかく耳障りな豚声を潰せたのに、余計なことを」
ずっと眺めているだけだった出雲は舌打ち交じりに囁いた。
「そこどけ」
出雲は膝立ちになっている穂積を一旦離れされ、飛び散っていた床のギリギリのところまで近づき、しゃがみこむ。ぼんやりとした出雲の視線の先は目から溢れ零れる血で、汚れた緑の顔。
「醜いな」
薄い唇を上げ、出雲は嘲笑する。
「お前は勘違いをしている。私が男を喰らうんじゃない、喰らわせてやるんだ」
出雲は不遜に笑う。美しい男の笑みは肉食獣のような獰猛さと蠱惑的な妖しさを醸し出させている。
「うぐ、ふ……は、はあ?」
緑は呻き声を出しながら耳に入った言葉を必死で聞き返そうとする。
出雲は立ち上がりながら、ちらりと横目で穂積を見上げた。穂積はその視線に反応し、ピクリと指先が動く。
「私も部屋に戻る。さっきも言ったが、私のフォークを使わせたんだ。返すときは絶対に汚い赤を残すな」
出雲は振り返りながら穂積が握っているフォークを眺める。銀のフォークからぽたりと一滴の血の雫が床に垂れた。
「それにここは臭くてたまらない」
周辺に漂う鉄の臭いに出雲は顔を歪ます。緑の目から零れる血で徐々に血溜まりが広がり、臭いの範囲も広くなってきている。臭いが濃くならない内というように、出雲はリビングから出ようとする。その時、出雲のシャツの袖を穂積が指先で摘み、引き留めた。表情こそ変わらないが、その仕草はまるで弱った子供が縋り付くようなたどたどしさがあった。
しかし、出雲は不快そうに振り返り振りほどく。
「何度言えばわかる。触られるのは嫌いだ」
神経質な出雲らしいはねのけ方だ。穂積はそれに対し、何か言いたそうにしながらも落胆するように腕を下げる。そんな穂積に出雲は一歩前に踏み出し、ポケットから常備しているもう一つのフォークを素早く取り出した。穂積が今握っているものより大きく、先端が鋭い銀のフォーク。そのフォークで穂積の服の胸元を巻き付け、乱暴に引き寄せる。身長差があるため、穂積はつま先立ちにならざるを得ない。
「引き寄せるのは常に私からだ。忘れるな」
それは慰めの言葉ではなかった。気遣いのかけらもない、高慢なもの。
服に巻き付けたフォークを外す動作も乱暴で、穂積は大きくよろける。しかし、あんまりな扱いをされたにもかかわらず、穂積の瞳の奥から落胆の色が消えた。
出雲はリビングから完全に出ていこうとするときピタッと立ち止まり、振り返った。
「早く、やらせたらどうだ」
振り向いた先には零時がいた。零時が応答の代わりに口角を上げる。一言告げた後出雲は階段を上り、己の部屋に戻っていった。
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