第13話出雲の部屋
「………」
「ご感想は?」
「………白い」
「それね。ほんと、精神と時の部屋なのかって感じだよね」
「何ですか、それ」
「わかんないなら、いいや」
出雲の部屋は上下左右どこを見ても白一色だった。床、天井、壁はもちろん家具、インテリアすべてが白しかない。
落ち着かない。霞の部屋も色や武器が散乱していて、生活するのにふさわしい部屋とはいいがたかった。しかし、この部屋の落ち着かなさはその比ではなかった。膨張色である白は光を反射し閉寒感を軽減させるが光を反射しすぎる分、眩しくストレスを感じさせると言われている。淡い色が少しでも混じっていればその負担はたいぶ軽くなるはずだが、この部屋はそんなものはどこにもない白一色部屋だった。
これほど、ずっと留まるのにふさわしくない部屋はあるだろうか。
そんな部屋に出雲は一日のほとんどをこの真っ白な空間で過ごしている。
「ずっとここにいたら吐くと思う、私。まぁ、幽霊だから吐くも何もないんだけど」
その部屋の主である出雲は真っ白なシーツの上で、白い枕を抱えながらうつらうつらとしている。
「なぜ、こんなに白いんですか?」
表情は変わらないが、声色で少し辟易としているのが伝わってくる。
「言ったでしょ。潔癖症だって」
「それにしても」
「だよね、度を越しているよね。ほんと異常だよね。だから異常なんだよ」
雫は、ははっと軽く笑いながら、ベッドで丸まってる穂積の傍に近寄った。
「幽霊でなきゃ絶対にこんなに長いこと部屋に居させないだろうね。ほらほら、部屋に私がいるよ?聞こえる?なんてね」
雫は出雲の顔を覗き込むように屈みこみ、手をひらひらと動かす。ベッドでまどろんでいる出雲の表情はまるで子供のようなあどけなさが見え隠れしていた。しかし、この無垢な美しさを持った男は五月雨家の殺し屋。何人もの人間を屠ってきた恐ろして美しい危険な男でもある。
「ほんと憎たらしいくらいの美形だなぁ。生まれ持ったものに感謝しなよ?それ以外は救いようないんだから」
淡々とした表情と口調だが、物言いがまるで相手をあざけているようだった。言葉を投げつけられた出雲は半ば閉じた目をぼんやりと虚空に漂わせている。目の前に雫がいても、決して視線が交わることがない。
「目がチカチカするだろうけど、一回見て回ろっか」
「ええ」
二人は背中合わせで部屋を見回した。やっぱり、どこを見ても白しかない。
白以外の色を探すのが難しいほどすべてが白い。
出雲は潔癖症で神経質。見たところ、小さな汚れや細かいゴミは一切なく、全体的にすっきりしている。家具や小物の位置もこだわりがあるかのような置き方をしている。壁に掛けられている四角い掛時計は一切のズレを許されないかのように真っ直ぐに掛けられ、インテリアや小物は形で分けられて配されていた。唯一、白以外のものがあるとすればベッドのサイドテーブルに置かれた銀のフォークだけだった。
「なんか、こうきっちりしすぎていると崩したくなる。ほんと、せっかく部屋に入れたのに幽霊であることが惜しいよ」
雫はわざとらしく肩を落としてみせる。
「さきほどから思っていたのですが、雫さんは出雲さんのことが嫌いなんですか?」
玖月は振り返り、雫の背に問いかけた。
「え?」
「他の3人のことを説明しているときと比べると刺々しさがあるような」
雫が兄妹を説明しているときは淡々とした口調でどこかおどけており、余裕さえあった。しかし、今は言い回しが皮肉めいている。
「まさか、嫌いなんて思ってないよ」
雫は振り返りざまに答えると満面な笑みを浮かべた。
「ただ殺したいとは思っているけどね♪」
「………」
「あ、この場合はもう『殺したい』は変か。『殺したかった』になるね」
がくりと肩を落として見せた。
「意外ですね。なぜですか?」
一見、雫は細かいことにこだわらない無頓着さと人を食ったかのような掴みづらさのある少女だ。砂霧の悪意でさえ柳に風として受け流していた。だから、出雲の不遜な態度もそこまで重くは受け止めていなかったのではないか。
雫は深く息を吸い込み深い息を吐いた。
「出雲さん、私のドーナツをあろうことか踏みつけたんだよ」
「…………」
またしても予想斜め上の返しだった。涼しげな表情が多い雫が感情をわかりやすく表に出したのはこれが初めてかもしれない。
「なんですか、それ。非常識な振る舞いに嫌気や不快感を感じているのではなく?」
「それはたいした問題じゃない」
きっぱりとした口調で返される。
「………問題じゃない」
「先週の日曜日だったかな。その日はね、行きつけの店の期間限定一日百個しか売らないもちもちふんわりドーナッツの即売の日だったんだ。そのドーナッツすっごいおいしいから午前中からすっごい並んでた。私ももちろん2時間待ちで並んだ。炎天下の中で並んだんだから。そして、汗だくになりながらようやく私の番になったとき、ちょうど残り3個だったんだ。私嬉しすぎて泣きそうになったよ」
雫は目元を押さえた。
「それから?」
「さっそく、家に帰って食べたんだ。予想以上の味だった。今でも忘れられないなぁ。最後の一個を食べようとしたとき、ベランダで洗濯物を大量に干している穂積さんがいて。私、その日は暇でドーナツを食べること以外することがなかったから、干すのを手伝うことにした。洗濯物を綺麗に干したら清々しい気持ちになって、より最後の一個を楽しめると思ったし。でも、それは叶わなかったんだ」
「叶わなかった?」
「手元が狂って、一枚の洗濯物を地面に落としちゃったんだよね。なんと、それが出雲さんのシャツだった。そしてその時、タイミング悪く………」
「出雲さんに見られた?」
「察しがよくて助かるよ。いつもは部屋の中に引きこもってるくせになんでよりにもよってこんなタイミングでって思ったよ」
雫は乾いた笑顔を玖月に向けた。淡々とした語りをなおも続ける。
「私、謝ったんよ、ごめんって。そんなに汚れてなかったんだけど、もう一回私が洗濯するとも言ったんだよ。普通だったらそれで終わりだと思うよね。終わりなはずだよね」
空気が徐々にピリついていく。
「それなのにあの人、事もあろうに私の最後の一個のドーナツを私の目の前で踏みつけたんだよ。無言で、思いっきり。潔癖症のくせにさ、ほんと意味不明」
笑顔で語っているが、目が笑っていない。雫の瞳の奥には禍々しい怒りが宿っていた。
「しかも『汚い』って言いながら、靴下脱ぎ捨てて何事もなかったかのように部屋に戻ろうとしたし」
「それで、どうなったんですか?」
「『無』だよ」
「無?」
「突然のことだったら、数秒ほど『無』になった。そして、気が付いたときには皿の上のフォークを『無』の感情のまま、出雲さんに振り下げていた。出雲さんもフォークを持ってたから防がれちゃったけど。しばらくはフォークとフォークの攻防戦。穂積さんと吹雪くんが止めなかったら、どっちかが致命傷を負うまでやめなかったろうな」
「くだらない」
「は?」
「くだらないですね。僕が無になりましたよ」
笑顔を張り付けてたまま己の苛立ちを抑え込んでいた雫に向かって、玖月は冷めた口調と視線を向けて言い放った。
「だろうね」
雫は玖月を一瞥した後、冷笑を浮かべた。そして、己の熱を放出するかのように深く息を吐きだした。
「私、基本的にはあんまり怒らないんだ。ムカッとするようなことがあってもあんまり後には引かないし」
玖月に清々しく一喝されたおかげなのか、さきほどよりも雫のしゃべりに余裕がでてきた。
「でも、ドーナツのことに関しては別。すっごい後に引くし、執念深く相手を恨む。だから、あれから出雲さんと二人っきりは個人的にちょっとダメ。まぁ、向こうも嫌だろうけど」
「話を聞いていると、雫さんが出雲さんに対して明確な殺意があるように聞こえますが、逆は不鮮明に思えます」
「確かにね。でも、出雲さんにどこにブチ切れる地雷があるかよくわかんないんだ」
出雲の非常識な思考や行動は五月雨家の家族でも読めない時がある。穂積の例もあうように、突発的に刃を向けるため止めようがない。
「だから、可能性はある。犯人かもしれない。犯人である可能性は高い。もう犯人でいいんじゃない?もう犯人でいいよ。犯人にして道連れにしたい」
「………」
「冗談だよ。でも、姉さんの次に犯人の可能性があると思ったのはそういう個人的な理由だけじゃない」
「というと?」
「出雲さんは凄腕のスナイパーでもあるんだ」
雫は銃の形になるように人差し指と親指を立て、すっと横になっている出雲に突き付けた。
「狙撃の腕は裏社会で5本の指に入るほどの相当なものだよ。まぁ、本人は硝煙の匂いが体についたり発砲音とかが耳障りだから銃は好きじゃないらしいけど」
「そうなんですか」
「でも、私をどうしても殺したい理由があったら実行したかも。死角になっている建物から遠距離射撃で打ったとか。普段引きこもっている出雲さんが外に出るとか皆あんまり考えないだろうから、そこを突いた可能性もある」
雫は手の銃で出雲に向けて撃つ仕草をした。
「まぁ、遠目でしか死体を見てないから銃殺かはまだわからないけど」
「後で調べてみましょう」
「うん。さてと、特に気になるものはなさそうだし次に行こう。というか私がここにいたくない」
軽く苦笑しながらおどけて見せた。
「ええ」
玖月はぐるりと見回した後、ゆっくりと頷いた。
「…………あ」
部屋から出ようとしたとき、雫は何かを思い出したようで足をピタッと止めた。
「どうしました?」
「これたぶん、関係ないかもしれないけど一応言っとくね」
「はぁ」
「出雲さんってゲイなんだ。しかもバケモノ級の性欲の持ち主」
「…………は?」
「じゃあ、行こっか」
早々に部屋から出ようとするとき、雫は一瞬だけ出雲のほうに目を向ける。相変らず出雲はベッドからほとんど動かず瞼を半分閉じ、空を彷徨わせていた。
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