第12話出雲と穂積

華やかな顔立ちの20代前後の男だ。


淡雪を思わせる白い髪、妖しさが宿った翠眼、瞼を覆った長い睫に薄い唇の人目を惹く妖艶な容姿。白いシャツを着崩し、不機嫌そうに髪をかきあげる仕草でさえ見るものをドキリとさせる色気があった。


男は寝起きなのか目の焦点がはっきりしておらず左右に揺れている。そして、ずっと同じような動作で頭部をさすり続けていた。


「彼が砂霧さんの日記に書いてあった『零時兄さん』ですか?」


玖月は男に見入ったまま、雫に声をかけた。


「いいや、2番目の兄さん」


返ってきたのは雫の冷淡な低い声だった。雫はそのまますっと目を細める。


「私たち兄弟の中で一番の問題児で社会不適合者、って私は思ってる」


男はなぜか右手にシャツを覆いかぶせながらうつらうつらとした状態で何かを探すようにきょろきょろ見回している。


「社会不適合者?」


「今にわかる」


その時、階段から誰かが駆け上がってくる音が二人の耳に入った。男にも当然聞こえており、ピクッと反応している。


足音の正体は穂積だ。小走りになりながら、焦りの色を表情を出している。


「なぜ、廊下にいなかった?絶対に動くなと命令したはずだ」


頭部を左手に置いたまま穂積を見下ろし、眉を潜ませる。穂積は素早くポケットに忍ばせておいたメモ帳とペンを取り出した。そして、ゴミ出しや後片付けをしていたことを伝えようとさらさらと書き出す。

穂積は首の裂傷のせいで声が出せない。言葉を話せないので、意思を相手に伝えるために常にメモ帳やペンを常備していた。


「もういい。相変らず、使えない」


しかし男は自分で聞いたにも関わらず、答えを待とうとはしなかった。不機嫌そうに眉根を寄せながら、ゆっくりと穂積にシャツを被せた右手を押し出すように突き付けた。


「汗をかいた。洗っておけ」


突き出した白いシャツは見るからにシワだらけで少しよれている。


「………」


穂積は唐突とも言える用向きだというのに動揺することも怒ることもなかった。ただじっとシャツを見つめ、わずかに頷いただけだった。


穂積はすっと右手を差し出した。その右手に男は少し腕を上げ、その開いた右手めがけてするりと落とした。シャツを落とされると、隠されていた右手が露わになった。露わになった男の右手には銀のフォークが握られている。普通のフォークに比べ全体的に大きくて長く先端が鋭く尖り、二つに分かれていた。


男は握った銀のフォークの上にシャツを覆わせて、部屋から出てきたのだった。穂積は慣れた手つきでシャツのシワを軽く伸ばしながら畳み、腕にかけた。


「っつ」


左手でさすっていた箇所がいまだに鈍い痛みが走っているのか男はわずかに顔を歪ませる。あからさまに苛立っている原因の一つはその痛みも含まれているのだろう。


「こぶができてる。まだ痛い」


さすりながら忌々しそうに吐き捨てた。部屋から出てきたとき、寝起きだったためか足取りがかなりおぼつかない様子だった。うつらうつらした状態だったため、ベッドのヘッドボードか壁にぶつけたのだろう。穂積は心配そうに、そんな出雲にゆっくり手を伸ばした。

その瞬間、男の眼光が鋭く光り、俊敏な動きで持っていたフォークを穂積の喉に突き付けた。穂積はその目にも止まらぬ速さにうまく反応できなかったのか、わずかに目を見開くだけだった。


「忘れたのか?ばい菌がつくからお前からは絶対に触れるなといつも言ってるだろう」


男は穂積の喉に鋭いフォークを突き付けたまま、底冷えするほどの声色を発した。


「私が物覚えの悪い馬鹿は嫌いだと知っているだろう。また同じことを繰り返すな」


フォークが皮膚に食い込む寸前のところで止めながら、穂積を見下ろす。射貫くような眼光と放たれた殺気で、脅しなどではなく本気だということが穂積の肌にピリピリと伝わってきていた。


「………」


穂積はゴクリと唾を飲み込み、ゆっくりと小さく頷く。


「ふん」


出雲はしおらしい穂積の態度に納得したのか、やっと腕を引いた。しかし、機嫌はまだ直っていないらしくまだ空気がピリついている。


「ベッドに戻る」


頭部の痛みが和らいできたのか手を頭から離し、自分の部屋に半歩下がる。


「さっきも言ったが、ちゃんと見張っておけ。今日は騒がしくて鬱陶しい。またくだらないことで呼びつけられるのはたまらない。絶対に私の部屋をノックさせないようにするんだ」


出雲は眠そうにあくびをした。再び惰眠を貪ろうとしているのは見て取れる。


「まったく不快だ」


澄まし顔のまま、3人が集まっているであろう雫の部屋に目を細めながら向けた。

それぞれの部屋には防音対策がされている。閉まっている扉の向こう側で3人がどんなやりとりをしているのか、ここからではわからない。

男は部屋から出てきたときと同じくらい音が鳴るほど扉を強く閉め、部屋の中に引っ込んだ。静まっていた廊下では余計にその音が響き渡っている。


「いや、その不愉快は私のせいじゃないと思うけど。そもそも、見張ったままだったらシャツは洗えないって」


雫は呆れ声で男の言われた通りにその場で立ち尽くしている穂積を見ながら呟いた。穂積は理不尽なことを言われたにも関わらず、ぼんやりとした表情で扉を見つめている。


「とりあえず、見た以上説明するよ。あの人は次男の五月雨さみだれ出雲いずも。二十歳で大学生。潔癖症で神経質でかなりの人嫌い。だから、基本は部屋の中に引きこもってる」


「彼、大学生ですよね?」


「ああ見えて頭は良いから、出席日数ギリッギリしか行ってなくてもレポートや試験では常にオール秀なんだ。とは言っても大学でもあんな感じっぽいからかなり浮いてるみたい」


雫は閉じた扉に視線を向けている。他の兄弟たちのことは話していたときと比べ、視線や声音はどこか冷淡さを感じさせた。


「ねぇ、玖月くん。私の言った意味わかった?」


“私たち兄弟の中で一番の問題児で社会不適合者、って私は思ってる”


「意味はわかりましたが。兄妹の中で一番ですか?」


他の兄弟のインパクトが強かったせいで、問題の大差がわからなくなってきていた。それほど、ここの家の人間の個性が突出している。その時、雫はその問いに応えるようにトントンと指先で軽くつついた。


「穂積さんの首の傷、出雲さんがやったんだよ。愛用のフォークで」


雫は首元を指先で抑えたまま、視線を扉から穂積の首元に移した。皮膚を裂いた真一文字の傷が二つあるのが見える。ちょうどフォークの先端の形と適合している。切れ目の部分だけ赤黒く皮膚が変色し、見るからに痛々しい跡だ。

穂積は深々と裂かれた傷のせいで声を出すことができない。


「なぜです?二人の間に何かあったのですか」


「声が不快だったんだって」


「は?」


聞き返せずにはいられないほど、予想の斜め上の返しだった。雫は抑揚のない口調で続けた。


「穂積さんを雇ったばかりの頃だった。初見で二人が顔を合わせたとき、穂積さんの声がよっぽど気に入らなかったらしくて「耳障りだ」って言ったんだ。でもあの時、寝起きですっごくイライラしてたから八つ当たりもあったかもしれない」


「それだけですか?」


「うん、それだけ。私たちも悪かったんだよ。出雲さんと話をするときは慎重になったほうがいいって忠告してなかったし。穂積さん、いきなり寝起きの出雲さんに話しかけちゃったから」


雫はふうとため息を漏らした。


「いつも思うけど、出雲さんの言うこといちいち聞く必要なんてないのにな。まぁ、しかたないのかな」


穂積は扉の前から微動だにしなかった。表情もずっと変わらない。


「しかたがない?」


「出雲さん、人嫌いのくせに相手にされないとすぐにふてくされてめんどくささが3倍増しになるから」


雫はやれやれと肩をすくめる。


「私の言った意味わかった?」


「ええ、かなりわかりやすく」


五月雨出雲。気分次第で刃を振り下ろす美しさと獰猛さを兼ね合わせた危険な男。


「出雲さんの詳しい詳細は部屋に入ってからにしよう。当然、調べるよね」


「はい、もちろん」


二人は壁をすりぬけて、出雲がいる部屋の中に入った。

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