第2話 トモダチのこと

洗濯物の山からひとまず解放され、のろのろと部屋へと向かう。

今からは何も用事はないから、しばらくは自由時間だ。


こんな風にぽっかりあいた時間が、昔は少し苦手だった。

いろいろなことが分からなくて苛立って、なんとなく、いらないことを考えてしまうから。


それでも今となればもう、慣れたモノだ。

空き時間も、答えの出ない思考も。

ぐるぐる回って、何も感じない境地に入ってしまったらしい。

さあ、今日は何をしよう?

そんなことをぼーっと考えていたら、遠くの方からだんだん声が近付いてきた。


「ホトリちゃーん、どこー?」

よく通る高い声。

この声はミハルだ。


ミハルはあたしの親友だ。

きっと、ここへ来る前から。

記憶をカケラほどしか持ち合わせていないあたしの、数少ないその断片にほとんど存在しているのだから間違いないだろう。


ミハルはとてもキレイな子だ。

その顔を見るたび、神様は不公平だなぁなんて思う。

白い肌はガラス細工のように透き通り、唇は花びらのように赤く潤んでいる。

くっきりした二重まぶたから覗く目は黒々として大きく、常に優しい光を湛えている。

そんな美女があたしを見るたび、「ホトリちゃん!」と嬉しそうに駆け寄ってくるのが、どうにも不思議でならない。


あたしは、ミハルにとって、何なのだろう?


「ミハル、どうした?」

自分の中に生まれた疑問を押し殺しつつ、出来る限りの優しい声でミハルの前に立つ。

そのミハルはというと、私を探すためか必死に走ってきたようで、美しい黒髪が少しもつれてしまっていた。

その髪を梳くように撫でながら、ミハルのまっ黒な目を覗きこむ。


「うふふ」

何が楽しいのか、ミハルはずっと楽しそうに笑っている。

「これ見て!」

と差し出してきたのは白い花冠で。

「どうしたの?これ」

「さっき、お庭で作ったの」

花冠を持って天真爛漫にほほえむ姿は、見る者すべてを魅力するだろう。


それこそが、彼女の悲劇の始まりなのだけれど。


「上手にできたね」

頭を撫でてやると、嬉しそうにキャッキャと声を上げる。

まるで年の離れた妹みたいだ。

「ホトリちゃん、これあげる」

ミハルはあたしの頭に出来たての冠を載せる。

「せっかく作ったのに、いいの?」

私が問いかけると、ミハルは大きく頷いた。

「いいの。だって、ホトリちゃんは、ミハルの大事な友達だから!」

それだけ言うと、ミハルは風のように去って行ってしまった。


「はぁ…」

溜息を一つ。

ミハルと会話した後は、ひどく疲れてしまうのだ。

ひどいことを言っている自覚はある。

親友相手に「疲れる」と思っているなんて、知ったらミハルは傷つくかもしれない。

けれど、こればっかりはどうしようもないから、もう、罪悪感を抱くことすらやめている。


「大事な友達、か…」

あたしの疑問は奇しくも解決してしまったのだけれど。

その言葉の重みをどこまで信じればいいんだろう。

もちろん、ミハルのことは大好きだ。

それでも。


まるで5歳児のようになってしまった同い年の彼女をどう受け止めればいいのか、あたしにはいまだ分からないのだ。


あたし自身、ここへ来る前のこと、そしてなぜここへ来たのか、全く覚えていない。

それでも、もう二度と昔の自分に戻れないということだけは知っている。


ただ、ミハルは違った。

ミハルは、ここへ来たことと、ここへ来て行われたことにより、精神が崩壊したのだ。


唯一、昔の自分と今をつなぎ合わせる存在だったミハルが幼児退行してしまったことを、あたしはどこかでまだ受け入れ切れていないのだろう。


いつでも、一緒にいたのだ。

このままずっと、一緒に大人になっていくんだと思っていた。

なのに、ミハルは5才のままだ。

美しい女性の見た目で、何も知らない無垢な子どもの心を持っている。

そんな姿をまざまざと見せつけられると、あたしはどうしても、自分を酷く汚いモノのように思ってしまうのだ。


「あーーー!」

何となく沈んでしまった気持ちが鬱陶しくて、意味もなく叫んでみる。

その拍子に頭の冠が落ちてしまい、さらに自己嫌悪に陥る。

かがんで拾った花冠は、少し歪にゆがんでしまったけれど、それでもまだ瑞々しい白い花びらが咲き誇っていて。

どうしてかそれが今のミハルの姿と重なってしまい、さらに深い溜息をつく。


歪んでいる。

この世界も、ミハルも。

そんな歪んだ世界で平然と生き長らえているあたしもまた、いびつな生き物なのだ。


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