羽根と爆弾

マフユフミ

第1話 空のこと

空から雪が降ってきました。

真っ白で、ふわりと風に揺れて。


それを見た少年は言いました。

「ねぇ、空から羽根が降ってきたよ」

もう一人の少年は言いました。

「おい、空から爆弾が降ってきたぞ」


ほんのり冷たい雪でした。

手のひらに落ちてきたそれは、何も言わず、静かに静かに消えてゆきました。





―羽根と爆弾―





あたしは空を見るのが好きだった。

それは昔からだったのか、ここに来てからのことだったのか、もう忘れてしまったけれど。


とにかく、何かイヤなことがあったとき、嬉しいことがあったとき、気が付けばいつでも空を見上げていた。


空はいい。

何が良いかって、あの青だ。

青は波立った心を落ち着けてくれる。

どんなことがあっても、いつもの私を思い出させてくれる魔法の色だ。


そして、「抜けるような」とか「透き通った」とか、空には様々表現があるけれど、あたしにとって空は鏡だ。


あたしの心が澄みわたり凪いでいるときは、空は透き通るような水色をしている。


あたしの心がどんよりと沈んでいて汚い感情に塗れているときは、空は暗い青の上に重い灰色を背負っている。


あたしはあたしを映す鏡としての空を信じているし、それを見上げることを迷うことなく好きだと断言できる。どちらかというと、依存していると言っても過言ではないだろう。


だって、事あるごとに見つめてしまう。


別に見つめたからと言って、空があたしに何かをしてくれるわけでもないのに。

むしろ、何も言わずにこちらに真実の姿を突き付けて、突き放して、好き勝手あたしの心を掻き乱していく腹立たしい相手であるはずなのに。


なのになんで、こうやって空ばかり見てしまうのだろう。


むなしい片想いだと、人は言うだろうか。

ただ見つめているあたしを、報われないと人は笑うだろうか。


笑われても別に構わない。

あたしはこの空への思いを、隠すことも晒すこともない。

あたしがあたしであることと同様、あたしが空を思うことはごく普通のことだから。


今日もまた、日常の雑多な事情をかき分けて、誰も居ないベランダから空を見る。

薄曇りの空の隙間から、時折日の柔らかな光が零れ、空の水色が溢れてくる。


はぁ、と溜息を一つ。

こんなに澄んだ水色を全身で受け止めていたら、何かを思い出してしまいそうだ。

あたしが今のあたしになる以前のことを。

この無機質で感情のない、だだっ広い箱の中。

一見自由なようで、両手両足を見えない鎖で縛られた現在の暮らしに至る以前の、無垢な少女であっただろうあたしを。


むくむくと沸き上がってきそうな記憶にフタをする。

思い出したところで、一体何になるというのだろう。


微かに残っている記憶のカケラにいるあたしは、明るく笑っていたりする。

何がそんなに楽しかったのか、あたしの周囲にあるもの全てを疑うこともなく無防備に笑っているのだ。


今のあたしは疑うし、憎むし、楽しめない。

あの頃の記憶が、間違いなく自分の記憶であると分かっているのに、その事実すら信じられないでいる。

それならもう、触れないのが一番だ。


どうにもならないのなら、思い出さないのが一番いい。

きっと戻れないから。

ただ毎日がまぶしく楽しかった純粋な日々には決して帰れない。

それだけは、なぜか確信として心の中にあるのだ。

あたしはあたしの知らない間に、様々な澱みをこの身に纏ってしまったから。


昔の記憶の断片を見てしまったあとは、ひどく背中が痛む気がする。

普通の人間では有り得ない、あたしの背中。

これはもう、ただの傷痕だというのに。

目に見える、立体的な傷痕。

痛みはあたしの空を灰色に染めてしまいそうだ。


だめだ。

こうやって気持ちがブレていては、あの子に心配をかけてしまう。

知能は子どもレベルなのに、妙に他人の心の機微に敏感なあの子。

あの子だけは、あたしが守らなければ。


なんとか感情をコントロールし、あたしは日常へと戻る。

大量の真っ白な洗濯物を干すのは、無心になれて好きな家事の1つだ。

風を受けはためくシャツ達を見ていたら、なんだか全てがどうでもよくなってくるから不思議だ。


単に、あたしが単純なだけかも知れないけれど。


あたしが何を考え何をして、どんなことを感じようと、空はただ空としてそこにある。

それはきっと、あたしがもう記憶にも留めていない、純粋に笑えていた頃から変わらない事実で。

それだけが、空を思うことがたった1つ、あたしに与えられた自由なのだから。

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