第2章 魔女の集会②

 エルザは鶏の檻から回収した卵が入ったかごを片手に玄関をくぐると、まだ私が中を確認していなかった三つめの扉に向かった。扉の先は厨房だった。

 エルザは慣れた手つきでかまどに火を入れると、鍋に水を張り、卵をいれて火にかけた。もう一方への空いているコンロにはやかんを乗せると、頭上の棚から黒麦パンの塊を取り出して切り出した。

 エルザが朝食の準備にかかっている間、私は手持ち無沙汰に厨房の入り口に立ち、彼女の背中を眺めていた。

 「どうした?何もないのなら座って待っているがいい。」

 私はわずかに首を縦に振ると、茶の間に戻り、二人人掛けのソファに座った。ソファの革張りは色あせ、表面は剥げており、かなり年季が入っているようだった。

 わずかな間ソファの上でじっとしていたが、やがて、立ち上がって本棚の中を眺め始めた。どの書物も丁寧な装丁が施されており、一見して高価なものばかりだと思われた。読み書きもまともに習っていなかった私には、背表紙に書いてあった本の題名は分からなかったが、いずれの書籍も子供にとっては難解な内容であることは推測できた。

 「本に興味があるのか?」

 振り返ると、両手に皿を持ったエルザが厨房から出てくるところだった。エルザは皿を食卓に乗せると、私の隣に並んで本の列を眺めた。

 「どれも王都の書店で取り寄せたものばかりだ。学術書が大半だが…ああ、これなら子供にもわかるだろう。」

 そういうと、私の目線の高さにある列から、本を一冊引き抜いた。手渡された本は分厚く重かった。外側は鮮やかな緑の装丁が施され、銀色の文字で大きく題名が記されていた。中を開くと、いずれのページにも、動物の絵が描かれていた。どの動物も全身絵だけではなく、頭や足、爪や牙の形状なども丁寧に描写されており、図以外の空間は解説文らしき細かい文字で埋められていた。

 「『新動物学図解・第三版』おそらく、現存ずる動物学の学術書の中で最も詳細な内容であり、最もわかりやすい本だ。」

 頭上からのエルザの解説を聞きながら、私はページを繰っては現れる動物たちの絵を夢中で眺めた。

 ふと、頭の上に何かが置かれる感触がした。本から目線を上げると、エルザが私の黒髪をクシャクシャとなでていた。

 「さあ、朝食にしよう。席につきなさい。」

 私はまたわずかに首を縦に振ると、本を書棚に戻し、食卓に向かった。そこで、この家の食卓には椅子が一脚しかないことを思い出した。

 エルザもそれに気づいたらしく、先に座るように言うと、私が寝ていた寝室から小さな椅子を運んできた。

 「長く一人で暮らしているものでな。不要なものは大概処分してしまうんだ。」

 小さな椅子に腰かけながらエルザは言った。

 食卓の上には、黒麦パン、先ほど採ったばかりの卵、肉の燻製の切り身、葉物野菜のサラダ、干しブドウが並んでいた。エルザがポットから注いでくれたお茶からは、甘い香りがした。エルザは胸の位置で手を握り合わせると、小さな声で食前の祈りを唱えた。私もそれに習って手を合わせた。

 お祈りを済ませると、エルザはまずお茶を一口すすり、黒麦パンをちぎって食べ始めた。食事の時もエルザの姿勢は綺麗なものだった。

 私もまずお茶に口をつけてみた。村で飲んでいたものとはちがう葉っぱのようだったが、甘く、香ばしい香りは私を落ち着かせてくれた。採れたての卵は硬くなりすぎないように茹でられており、黄身は滑らかな舌触りだった。葉物野菜のサラダは酸味の聴いた調味が施されており、肉の燻製との相性が良かった。食事の間、私たちは一言も交わさず、黙々と食べ物を口に運び続けた。

 皿の上の物が無くなると、エルザは空になった皿を厨房の流し台に運んでいった。私は残った干しブドウを摘まみながら、お茶の残りをすすっていた。

 厨房からの洗い物の音以外には窓の外からの小鳥のさえずりが聞こえるだけだった。自分の家でも感じたことのない、静かな時間が流れていた。

 やがて洗い物を済ませたエルザは席に戻ってくると、ポットから私の分と、彼女自身の分のお茶のお代わりを注いだ。

 「ありがとうございました。助けてくれて。」

 私はそう言うと、頭を下げた。目覚めて以来、ようやく口にすることができた感謝の気持ちだった。

 顔を上げると、エルザの青い瞳と目が合った。

 エルザは黙ってお茶を一口すすると、杯をおいて小さく嘆息した。

 「礼を言われるほどのことではない。お前をあそこで見つけたのは偶然だ。なにより、私もお前に聞きたいことがあるのでな。」

 エルザはそういうと、腕を組んでまっすぐ私を見つめた。

 「あの夜、お前の村で何があった?」

 その質問に、心臓の鼓動が早くなるのをはっきりと感じた。食事をとった直後の鈍い思考はすぐさま冷たいものへと切り替わり、脳裏にあの地獄の景色がよみがえった。内臓をわしづかみにされるような鈍痛を腹に感じ、私は荒い息を吐いた。息を整えるまでに時間がかかったが、私はようやく質問に答えた。

 「…殺されました。父さんも、母さんも、村の人たちも。みんな殺されて、焼かれました。」

 エルザはわずかに目を細め、次の質問を口にした。

 「誰に、いや、何にやられた?」

 私は記憶の中の恐怖に耐えながら、村の惨状を引き起こした犯人について語った。

 「あれは…死神でした。黒い羽の塊で、大きな烏のようでした。」

 それを聞いたエルザの目が一瞬光を帯びたかのように見えた。

 「『渡り烏』…やはりか。」

 彼女はそう、小さくつぶやいた。

 エルザの口ぶりに、私はすぐさま反応した。

 「知っているんですか?」

 エルザは組んでいた腕をほどき、顎に手を当てると、窓の外を一瞥して答えた。

 「いいや、知らない。姿を見たこともない。私が知っているのは、今までにその者が現れた村は全員が殺され、全焼した、という事実だけだ。」

 エルザが口にした言葉に私は愕然とした。

 「ほかの村でも…あんなことが…?」

 「そうだ、過去五年間でお前の村を含めて同じことが三件あった。わずかな生存者が犯人のことを外の人間に伝えたが、彼らも怪我や火傷がひどく、間もなくして息を引き取った。」

 エルザは掌を組むと、その上に顎を乗せた。

 「お前だけだ。今までに、無事に生き残った者は。」

 私は茫然としたまま目線を下げた。無意識のうちに杯を握る手に力がこもっていた。慌てて杯を放したが、手先は震えたままだった。今までに、虐殺され、焼かれた村が自分の故郷以外に二つもある。そして、自分は唯一の生き残りだとエルザは言う。震える自分の指先を見つめながら、私の頭に浮かんだのは、ひたすらに疑問ばかりだった。『何故、自分の村が襲われたのか』『何故、両親は殺されなければならなかったのか』『何故、自分だけが生き残ったのか』

 ふと、自分の手の上に、別の手が重ねられた。顔を上げると、一対の青い瞳が目に飛び込んできた。重ねられたエルザの手の温もりに、私は思わず、両手でしっかりとエルザの手を握った。エルザもまた、私の小さな手を両の掌で包んだ。エルザは何も言わず、ただじっと私の手を握り続けてくれていた。


 私が落ち着いた頃合いを見計らって、エルザはさらに詳細な説明を求めた。私はできる限り、あの夜に起きた出来事を順番に、こと細かく伝えるように努めた。幼い子供のもつ語彙力でどの程度上手く説明できたかはよく覚えていない。だが、エルザは辛抱強く、私の言葉を聞いてくれていた。

 一通り説明し終えたところで、エルザは腕を組んで考え事をするように宙を眺めた。

 私はすっかり冷めたお茶で喉を潤すと、エルザに尋ねた。

 「エルザさんは、どうして、その『渡り烏』のことをそんなにも気にしているのですか?」

 エルザは視線を宙に投げたまま答えた。

 「私は、やつを、『渡り烏』を追っている。」

 「それは…」

 どうして、と続けようとした私の注意は、窓の外から聞こえる乾いた小さな音に向けられた。窓の外には、大きな鳥が止まっていた。丸く、大きな目玉を瞬きさせると、その鳥はくちばしでまたコツコツと窓を叩いた。

 エルザはすぐさま椅子を立つと、窓を開けてその鳥に左腕を差し出した。後に知る、フクロウという名の鳥は、慣れているかのようにエルザの腕に飛び乗ると、首を回転させてエルザと私に交互に視線を送っていた。

 エルザは右手の甲でその羽をやさしくなでると、足に括り付けられていた小さな木製の筒の蓋を開いた。

 「しばらく頼む」

 エルザはそういうと、鳥が止まっている方の腕を私に差し出してきた。

 おそるおそる突き出した左手に、彼は軽快に乗り移ってきた。

 エルザはというと、書簡入れから取り出した小さな紙片に目を下ろしていた。

 私は、左手を占有する主のガラス玉のような眼を見返しながら、しばらくにらめっこをしていた。まったく表情を変えない相手に飽きた私は、やがてエルザに視線を戻した。彼女は明らかに険しい顔で私をにらみつけていた。彼女の眼光の鋭さに、私はすくみ上がった。

 「お前は…」

 そう言うとエルザは深いため息をつき、窓の外を眺めた。

 「…お前は、ある集会に招待された。おそらく、人の子としては初めての参加者になるだろう。」

 エルザが口にした「集会」という言葉に、私は胸騒ぎを覚えた。

 「何の、集会ですか?」

 「『黄昏時の集い』、『忘れ去られた寄合』、いくつか呼び名はあるが…」

 窓から差し込む陽光を背景に、エルザの表情はよく見えなかった。

「『魔女の集会』と、私はそう呼んでいる。」

 私の左手に止まった訪問者が短く鳴き声をあげた。


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