転 ホームセンターへ
翌朝、彼女の悲鳴で目を覚ました。
「そ、外! ゾンビが、ゾンビが!!」
慌ててカーテンを開く。そこにはゾンビの大群が押し寄せていた。ゴーグルと窓を越して見えるおぞましい光景に、俺は吐き気を覚える。立て籠もるか? しかし限度がある。現に建物はきしみ、扉の外からはガリガリと爪で引っかく音が聞こえてくる。突破されるのは時間の問題だろう。
「クソッ、なにか……なにかないのか……」
周囲を見渡す。ベッドは動かせないが、ソファなら動かせそうだ。しかしその程度のバリケードは簡単に突破されてしまう。根本的な解決にはならない。窓から飛び降りるにも、建物そのものがゾンビに取り囲まれていて逃げ場がない。なにか、なにか、なにかないか。
「いや、待てよ」
ここは角部屋だからなのか、窓がもう一つある。そちらのカーテンを開け放つと、近くまで隣の建物のベランダが突き出していた。ここに飛び移ることができればなんとかなるかもしれない。
幸いにも、一日寝たおかげか身体の重さは解消している。これに賭けるしかない。
「逃げるぞ、こっちだ!」
彼女の手を引き、俺は走る。そう言えば、彼女の名前が思い出せない。一度聞いただけなので、仕方がないことではあるのだが……。
「ここだ。あっちに飛び移る!」
窓を叩き割って、隣の建物を指差す。しかし彼女は怯えていた。
「む、無理だって! こんなに高いのに、そんな」
「逃げるしかない!」
一際大きな音が鳴る。扉が突破されたのだ。それからすぐに、廊下と部屋を繋ぐもう一つの扉を叩く音が鳴り響く。昨日よりも動きが良くなっているのか、階段を上がるのに手間取っている様子がない。
「わかった。まず俺が飛び移る。そしたら向こうで受け止めてやる。だから、早く行くんだ!」
まずは手本を見せよう。俺は窓枠によじ登り、素早くベランダへと飛び移った。こんなおじさんでも飛び越えられる距離だ。女子大生の筋力であればなんてことないだろう。
「さあ、こっちだ! こっちに来るんだ!!」
しかし彼女は怯えていた。涙と鼻水でぐちょぐちょになった顔は、生来の可愛らしさを消し飛ばしている。歯茎を打ち鳴らし、悲鳴と混ざった音が口から漏れ出す。
「む、むり……むりだから……」
ノブが回り、扉が開け放たれた。
「早く!」
「むり! むり! 戻ってきてよ! た、助けてよ、ヨシミチさん!!」
半狂乱で叫ぶ彼女の肩を、ゾンビが掴んだ。
「――ッ!? 待って! 待ってよ! まって! やめて! やめて! やめ――」
見ていられなかった。
俺はベランダから屋根へと飛び乗り、悲劇の現場から必死に逃げ出す。助けられなかった。あんなに美味しそうだったのに。
※
どうやらゾンビの群れは巻いたらしい。
どこかもわからない道をひたすらに歩く。腹が減った。せっかく持ち出した食料も置いてきてしまった。もうどうすることもできない。
不意に足音が聞こえた。無意識に木の陰に隠れる。ゾンビだ。小規模の群れがこちらに近づいてきている。俺は息を潜め、彼らが通り過ぎるのを待った。
……行ったか?
木の陰からそっと顔を出す。ゾンビはすぐに通り過ぎ……最後尾の一人と目が合った。まずい。慌てて隠れる。
しかしゾンビは俺を無視した。確かに目が合ったと思ったのだが。
それから何度もゾンビと鉢合いそうになり、その度にギリギリで助かった。やはりこの防護服のおかげなのだろうか。試しにゾンビの前に飛び出してみた。イチかバチかの賭けだったが、どうやら勝利したらしい。ゾンビは俺をスルーしてどこかへ去っていった。
これは使える。俺はゾンビに襲われない。
しかし無事に逃げられたところで、逃げた先にはなにもない。ただただ時間がけが過ぎていく。腹が減った。
誰かと合流できれば、この特性を活かして協力関係を築けるのに。
それからどれだけ歩いただろうか。人の気配を感じた。ホームセンターだ。確か、全国展開している有名なチェーン店だったはずだ。定番といえば定番だろう。ここなら誰か居るだろうし、食べ物もわけてもらえるかもしれない。最悪、ペットコーナーでもいい。俺がゾンビに襲われないことを証明すれば、良い待遇もありえる。
シャッターの下りたホームセンターをぐるりと一周。見張りと思しき男が居た。
「生き残りか?」
「あー、そーだ」
うまく声が出ない。そのせいで自分のセールスポイントが紹介できなかったのだが、しかし無事な人間であることは伝わったらしかった。男は慎重に扉を開け、俺を中へと誘う。
中に居たのは五人だった。どうやら交代で見張りに出ているらしく。俺もすぐにそのローテーションに組み込まれる。食べ物をくれる見返りと考えれば、致し方ないことなのだろう。防護服についても適当に叫んでればなにも言われなくなるし、最高だ。飯は久しぶりの肉だった。念願の物体に、俺は思いっきりかぶりつく。美味い。とても美味い。
しかし、なぜだろうか。
どれだけ食べても、腹いっぱいにならない。
「もっと、わけてくれ」
「貴重な食料だ。これ以上は与えられない」
「なんでだよ!」
俺はカッとなり、男の顔を殴りつけた。俺の腕が折れた。
「お、おい、大丈夫かあんた。脱いで見せてみろ」
「ぬぎたくない!!」
「いや、でもこれじゃあ治療できないだろ。ほら、マスクを取るんだ」
「やめ、やめろ!」
「そんなに怖かったのか? ほら」
防護メットを取られた。俺の顔を見て、男は真っ青になって逃げ出した。変なやつだ。騒ぎを察知し駆けつけた残りの四人に向かって、男は言った。
「ゾンビだ! 知能のあるゾンビだ!!」
みんなが俺を指差している、俺なんかしちゃいました?
ガラスの棚に俺の顔が写った。ぼんやりとした思考では、その現実を認識するのに時間がかかってしまった。
腐っている。
黄土色になった肌はところどころ剥がれ落ちていて、それが顔であるのかすら判然としない。でも顔だ。目があって、口があって、鼻がある。しかしこの姿は、もはや人間ではない。そう、近いのは――
「おれ、ぞんび?」
五人はそれぞれに武器を構えていた。もう一度ガラスに写った自分の顔を見る。そうか、そういうことだったのか。
最初からこうだったのだ。
ただ防護服を着ていたから気づかれなかっただけで、俺は最初からゾンビになっていた。だからゾンビに襲われなかったのだろう。あいつらは一度も共食いをしていない。俺だってゾンビなんか食いたいとは思わないからな。
ただ、運がいいのか悪いのか、防護服のせいで誰も気づかなかったのだ。俺でさえも、気付いていなかった。
案外、他のゾンビにも知能が残っていたのかもしれない。ただ並々ならない食欲に支配され、肉を求め続けていたのだ。
なら、俺も戦うしかないだろう。幸いにも、五指はまだ動いていた。
俺は適当な棚からチェーンソーを持ち出して起動する。重さで腕があらぬ方向に曲がったが、まあいい。
ゾンビ新世代だ!
「あー、あー!!」
俺はデタラメにチェーンソーを振り回して駆け出した!
肉が食える肉が食える肉が食えるぞ!!
この世界で俺だけがゾンビに襲われない 抜きあざらし @azarassi
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