第17話 魔王、輝く
憧れというより、幼少期の葵はよくそんなことができるもんだと感心していた。
とある果実から生まれた、とある勇者が、三匹の動物を連れてオニタイジに行くというストーリーなのだが……
今思えば、葵は冷めた子供だったのかもしれない。
「なんだか思いだすなぁ……オニタイジ」
「オニタイジ?なんだそれ?」
葵は慌ててなんでもないとかぶりを振って、笑って誤魔化す。
「な、なんでもないよ!それよりこっちであってるの?」
「うん。町の人の情報を整理するとここら辺りで間違いないはずよ。気を抜かないでね」
【イルニール】に着くまでに通ってきた森の道とは違い、まさに斜め上に続く山道を一向は歩いていく。
町からそれほど離れてはいない、標高の低い山だ。
「それで聞いておこうと思ったんだけど、元部下ってどんな人、あー……魔族なの?」
「種族として多くの個体がこの世に存在しているとは言えないやつね。珍しい、もしかしたらこの世であいつだけしかいない、特殊な魔族よ」
「姿を自在に操ることが出来る能力で、誰もこの私ですら本当の顔を見たことがないわ」
目線を少しもずらすことなくエルは歩きながら説明していく。
息が上がり始めていた葵はへぇと簡単な相槌で済ませて彼女達についていくのに専念することにした。
はぁ……はぁ……同じなのは人間の見た目だけか。
エルを見て葵はこの時ばかりは人間の身であることに落胆したのだった。
この辺りと言っても明確な場所が分からないので、その後もしばらく一向は歩き続けた。
道中魔物に出会うことはなかった。
森や山の奥になれば、一般的には魔族より低位とされている魔物が出てきてもおかしくはないのだが。
にも関わらず、目に見えない寒々しい緊張感が、奥にいくほど強くなっていく。
痛々しい鋭い葉を生やした奇怪な草のそばを通り抜けて、葵はふと空を見上げる。
「あれ、曇ってきてる。この世界でも山って天気が変わりやすいんだね」
「雨が降る前に終わらせたいところね」
灰色の暑い雲が気がつくと空を覆っている。
生暖かい風が脇をすり抜けていった。
「おーおーこりゃぁ……懐かしい顔だぁ……だが一体全体こんな所で何してんだ?」
「「「!?!?!?」」」
突如頭上から浴びせられた言葉に一向は足をピタリと止めて辺りをばっと確認する。
その声は間違いなく頭上、つまり木の上か
ら聞こえていた。
「……魔王様、あれを!」
「っ……やはり…」
ヴェリオが指差した奥の木に何かが確かにいた。
「黒い……猿??」
葵の目で確かに確認できた姿はゴリラのような類人猿の姿だ。人型で二本足、しっかりと木の上に立っている。
葵達が息を飲む中、その獣は足場の木をタンッと蹴り、目の前ほんの数メートルのところに降り立った。
近くで見ると、確かに類人猿だ。
だが、その大きさは人間どころか太古の類人猿と同じかそれ以上ほどもある。
よく木の枝が折れなかったと葵はその巨体を頭から爪先まで見回した。
「エル……まさかこれが……」
「ええ。久しぶりね。ジャバウォック・ジャナガイア」
黒装の類人猿はまるで本物の人間であるかのように口の端を吊り上げて膝を叩いた。
「ハハァ……ホントに懐かしいぜ、エル王!
積もる話は……まぁ無いか…ハハハーーッ」
何がそんなに面白いのか、葵には理解できなかったが、今にも転げそうな勢いで笑い飛ばしている。
しかし、エルは何故かピクリとも表情を変えることなく淡々と話を進めていく。
「確かにそうだな。お前が私の元を離れて何十年になるか……思い出話もよしておこう。
だいたいお前、何故私が出向いてきたか検討はついているんだろう?」
類人猿はまだ肩を震わせながらも徐々に笑うのを抑え、ほどなくしてすっと顔を上げた。
「っっ……」
「………」
葵とヴェリオはその顔を見て思わず顔をしかめてしまう。
それは人間が、動物が、おそらく魔族ですらも見せていいとは言えない目つき。
どす黒く、怪しく、熱く、冷たい光を放っていたのだ。
「大方、
「ふざけるなよジャバウォックッ……一体なんの目的であんなことを……」
「あんなこと?あんなことだって?俺は魔族として、人間共に恐怖と絶望を与えてやったまでのこと……闇の化身としての本質を遂行したまでだが?」
「別れたとはいえ、私の理念は知っているだろう?いや、知っているから別れたのだろう?看過することはできないぞ……」
「ああ……そういや、アンタは馬鹿みてぇな理想掲げてたっけなぁ……いやぁ、時の流れは怖いねぇ忘れてたぜ」
「貴様、魔王様に向かってっ……」
我慢の限界からか、ヴェリオが一歩踏み出そうとした時、エルは無言のままそっと肩に手を置いてそれを静止させた。
その間、ジャバウォックの舌は止まらずまわり続ける。
「それに、こんなの今に始まったことじゃねぇしな」
「なんだとっ!?」
ここにきて初めてエルが驚愕の表情を浮かべた。
「貧弱な人間なんて正直知ったことじゃねぇが一応大惨事にはならねぇように気をつけたんだぜ?オレが求めるのは虐殺だの
言い終わると、ジャバウォックの体が黒い渦に巻かれて一瞬姿が見えなくなる。
渦が巻き終わるとジャバウォックの容姿が先程とはまったく違う。
「変身した……黒い、騎士?」
まるで手品でも見ているような早技に目を奪われた葵は突如として現れた漆黒の
大きさも人間と同じくらいで、おまけに金属が重なるカシャカシャという音も忠実に再現されている。
そんな騎士がかぶりを振って肩を落としてみせたのだ。
「騒ぎを起こせば聖騎士だの冒険者だのが飛んでくるのまでは良いが、歯応えもクソもねぇ……オレはぁなぁ……オレはァ……」
一拍置いて騎士が突如胸を膨らませ、天に手を広げながら咆哮した。
「退屈なんだよぉぉぉぉぉおおおーーーーーーーーッッッッ!!!!」
物質的な音声が、精神的恐怖が、葵の鼓膜と肌を一緒にビリビリと振動させ震え上がらせる。
目を見開き鼓動が速くなる。
戦いの時に葵を襲う、あの緊張感ではない。
しかし、どこか嫌悪感にも似た生々しいプレッシャーが、どれほど異常なものを目の前にしているかをはっきりとさせていた。
「そうだ!!オレが求めるのは強者との死闘!!一瞬でも気を抜けばゲロっちまいそうなあの緊張感の中でお互いの骨を砕き、肉を割き、血溜まりを共作していくあの死闘ッ!何事にも代えがたい最高の絶頂を迎えられる命のやり取りがたまらねぇぇ……だからオレはアンタの
身振り手振り、声量も全てが激しく熱い。
しかし、壊れた機械のような危なげな激しさだ。
落ち着きなくウロウロして、
雑な亀裂を四方にはしらせ、大木はゆっくりと倒れていく。
絶句して立ちすくむ葵に遅れてその衝撃が伝わってきたのだった。
ジャバウォックの言葉から察するにエル達が壊滅的な状況に追いやられていることを知っているらしい。
それに引き換え、エル達は身を隠した生活を続けていたためジャバウォックの所業を知らなかったのだ。
「ジャバウォック……いや、もう何も言うまい。強者との闘い、戦乱を望むというのであれば私が相手になろう。そうしてお前の狂気を砕いてやる」
ジャバウォックは笑い続けた。
そうしてまたぐるぐると自身の体を渦で包み、騎士から巨大な獣へと姿を変えた。
四足獣で犬歯を鋭く携え、黒い毛皮をまとっている。
「冗談キツイぜエル王……今のアンタにオレを相手するだけの力なんてねぇだろうが」
それについては葵も賛同しかなかった。
「エル……それはちょっとまずいよ。……ここは、くっ…」
葵がすっとベルトに視線を移すと、それを否定するかのようにエルは一歩踏み出していた。
「魔力は無くなったからといって、ずっとそのままというわけではないのよ?この前は後もう少しのところまで溜まっていたのだけれど……私の奥義は燃費が特に悪いから。でも大丈夫。今はいけるわ」
心配そうな葵に向けられたエルの眼は、不安の色が全くない。
油断なく静かに澄んでいた。
「……へぇ…確かにアンタは嘘やハッタリをかまさねぇ真面目魔王だからな。
いいぜ……暇つぶしに遊んでやるよ、そら……かかって……」
「
「なっ……」
緩みきったジャバウォックの顔に衝撃が走ったかと思うと
「――――ッッッ!!!!!」
声すらも出させないエルの拳が獣の横面にめり込み、そうして木々の奥へと吹き飛ばしていった。
木々に衝突する音と共に砂塵が高く舞い上がる。
「す、すげぇ……魔王様すごい力だ」
「エル?」
砂塵の隙間から見えるエルの姿を目にして、葵は違和感を覚えた。
目を奪われそうな黒髪はどこにも見当たらず、思わず目を背けてしまいそうになるほどのマゼンタ色の髪が風に揺れている。
視線に気づいたエルが葵の方を向いたとき髪と同じ色の瞳が飛び込んでくる。
葵とヴェリオは慌ててエルのそばへ駆け寄る。
「エル、その姿は一体……い、いやその力は」
エルは困惑する葵の姿がおかしかったのかふっと笑って髪をかき上げてみせた。
「ふふ、これが私の奥義、
「す、すごい!これが魔王の力なのか……」
「ご立派です魔王様!感動しましたっ!」
褒められてうれしいのか、本編始まって初めて魔王らしいところを見せることができて嬉しかったからか魔王は満足げに鼻をならした。
「そうだろうそうだろう!……本当はもっと早くできればよかったんだけどね。……ついでに言っておくと最強と無敵は同意ではないわ」
「えっ……うわっ!」
エルは葵とヴェリオをそっと、しかし高速で突き飛ばし、右腕を前に突き出したかと思うと、その位置に黒い物体が矢のように飛び込んできた。
空気を震わせ、衝撃がエルのマントをばたつかせる。
オークのような巨人がパンチを繰り出していたのだ。
「不意を突かれた……いや、言い訳だなこりゃ。それにしても久しぶりにゾクゾクきたぜぇ……」
黒いオークは舌なめずりしたかと思うと後方に飛び距離をとった。
エルは少し地面に沈んでいたが表情一つ変えることなく右手を軽く振ってみせる。
「この世は道理で成り立っているわ。神は二物以上のモノを与えたとしても、完成された力を与えることはないわ」
「いや、まだ続いてたのその話!?」
驚いてしりもちをついて起き上がれない葵とは違い、エルは相手の攻撃など気にならないらしい。
「まず初めにこのクラス、
オークは大股に走り出し、空中で回転、得られるすべての力で拳を振るう。
エルも軽く跳躍、エルの顔よりも太い腕に蹴りを加えていく。
「ぐうぅ……」
葵の眼で二発、実際六発の蹴りが放たれた時ジャバウォックは呻き声と共に後ろによろめく。
「はぁぁぁぁ……ッ!」
がら空きの大きすぎる胴に向けて魔王は雨のような打撃を浴びせる。
肉を討つ音が広い森に一瞬のうちにこだましていく。
「ぐあああああッッ」
「ラストッ」
虹彩放つ長髪を際限なく四方に揺らせ、エルは高く跳躍した。
回転して右足を投げ出す。
吸い込まれるようにその
「しゃらくせぇ!!」
葵が瞬きした瞬間、オークの姿は霧散し真っ黒な二又のネコに姿を変えていた。
「ネコ、いや、ケットシー!?」
「同族にまでっ……パターンは無限か!」
エルのかかと落としは失敗に終わり、地面を壊す轟音だけを残していた。
ケットシーはすぐに形を変化させ、騎士の姿をとる。
「カカッ……いいねぇ、最高だぜ!ならもっとペース上げるぜ!」
ダンッと地を蹴った騎士の右腕だけが怪しく揺れる。
拳が交差しようとした瞬間
「むっ……!」
ブオォォンッッ
エルは背をそらせて間一髪でその剣撃をかわした。
ヒラヒラと前髪の先が落ちていく。
「剣!?でもどこから?」
「見ろッアオイ!右腕が剣に変化しているぞっ!」
「そういえば部分変化もできるんだったな」
空を切ってジャバウォックの右腕がエルに迫る。
右、左、右と最低限の身のこなしでエルは剣をかわしていくいくが、気が付くと大木を背にしていた。
ドンッ
「むっ」
「その首もらったぁぁ――――ッ!!」
左腕も右腕より大きな剣に変えて、ジャバウォックは腕をエルの首元で交差させる。
「そんなものどうとでも……ッ!?」
腕を上げようとしたがその腕が上がらない。
驚愕してエルは目線を足元に這わせてみると
「ナーガ!やつの右足かッ!」
「遅ぇぇぇよばぁぁぁ―――――かッッ!!」
ジャバウォックの右足は蛇のようなモンスターに変化しており、背負った木ごとエルの動きを封じていたのだ。
「エル――ッ!!」
「ぬおおおおおおおぁぁぁぁ――――ッッ!!!!」
あり得ないことにエルは力一杯足から頭まですべての筋肉に力を通わせ、背負った大木を引き抜き、空に向かって飛んだのだ。
巻き付けていた右足ごともちろんジャバウォックも上にいく。
「「なぁあ!?」」
葵もヴェリオも、ジャバウォックまでもが驚き方を忘れたように目を白黒させて、飛び散る砂を顔に浴びていく。
油断して拘束を緩めたのが運の尽き。
エルは空中で大木を下方に蹴り飛ばし、依然としてナーガ形態の足を掴み着地と共に縦に振り回した。
「フンッフンッフンッフン―――」
「がぁ、がはぁ…ガババァ――」
最後にエルは釘を打ち付けるように地面に突き刺して葵たちのすぐ目に飛んできた。
最強の体といえど疲れは感じるらしく肩で大きく息をしている。
「すごい、すごいよエル!!これなら一気に……」
「……いや、それは…ハァ、ハァ、どうだろう。まずいな……」
「?????」
状況呑み込めない葵とは別に、エルの表情が曇っている。
またも大きな音と共に、ゆっくりとジャバウォックが近づいてくる。
確かにボロボロではあったが、歪んだ笑みに、焦りの色は微塵も感じられない。
獣人の姿で口から黒い血を垂らしている。
「燃えてはきたが……やっぱり暇つぶしだよ。ハハハ!なんたってオレは倒れないことには自信があるからなぁっ!!なんの工夫もねぇ物理技で倒れっかよ」
「攻撃は当たってはいるが、致命的ダメージにならないようダメージを受け流している。打撃系が効きづらいスライムの変化をつかっているな。いや、私の方に問題が……ぐっあ……あああああ!」
「エル!!!」
滝のような汗をかきながら、短く絶叫したエルはそのまま膝から崩れ落ちてしまった。ヴェリオと葵が急いで抱き起こすと髪が毛先からみるみるうちに黒く染まっていきまとった光のオーラがかすんで消えていく。
「時間切れみてぇだな!!だが久しぶりにいぃぃい闘いだったぜ。そこのテメェ……あ?お前よく見ると人間じゃねぇか!?」
「うえっ!?」
ずんずん速足で近づいてきて、獣人は上から葵を見下ろした。
「なんで人間が魔王と一緒にいるんだ?エル王は変王だからなぁ……ま、関係ねぇか。とにかくもう興味は失せた。エル王連れてとっとと下山しな!」
「はぁ……はぁ……くそっなんたる体たらくだ!ジャバウォック勝負はまだついてないぞ!」
「ボケたこと抜かしてんじゃねぇ。本調子には程遠いアンタの意地に付き合ってやったんだむしろ感謝しろや。おい人間、さっさと失せな」
葵はエルを見た。
決して失望からではなかった。
闘う姿は本当に魔王そのもで感動すらした。
だからこそあれがエルの、魔王の真骨頂だと思い込んでしまったのだ。
もはや魔王のそれではない少女の顔をしたエルの眼は、体とは裏腹にまだ光を失っていなかった。
「一ついいかな。キミはこれからどうするの?」
葵は獣人を見上げて言葉を投げかけた。
不意を突かれて驚いてみせたジャバウォックだったがすぐにまた狂気の笑みを浮かべて言い放った。
「はっ何かと思えば、決まってんだろ!暴れて暴れて強い奴が出てくんのを待つんだよ!聖騎士の幹部クラス、もしくは……」
エネミーガーディアン!!
「「「えっ」」」
三人は驚いて黙り込んでしまう。
「風の噂、下級魔族どもが騒いでんのを聞いたんだよ。伝説が復活したってな!魔族を守る救世主!絶対的な力をもった真の強者だとよ!」
「……そんなことのために暴れるのか」
「そんなこと?人間風情が言うじゃねぇか。言っただろ?オレは進んで虐殺はしねぇ!まぁ絶対の保証はできねぇが命は取らないんだぜ?文句はねぇはずだ」
葵の脳裏にジャバウォックの言葉が、洞窟で滴る水滴の音のように隅々まで響き渡っていた。
人は戦う理由が無ければ拳を振るうことさえできない、極めて理性的な生物だ。
この世に星の数ほどある善悪の区別を、つけることもできない。
しかし、この時の葵は自然と拳を握って、振るう覚悟ができていた。
この時ばかりは、正義は我にあり!と叫んでもいいような気がしていたのだ。
「お、おいアオイ!」
「アオイ……何を!?」
ゆらゆらと立ち上がって葵はゆっくりと獣人の前に立ちはだかった。
「人間、なんのマネだ?」
「確かに命があることが、一番幸せだし大事なことだ。だけど、人間はそれだけじゃやっていけないんだ!!幸せは命とともに人間の営みでできてるんだ!!それを脅かすアンタの所業を見過ごすわけにはいかない!」
葵は肩から袋を外して、真っ赤に光るベルトを抜き取り腰に打ち付けるようにして巻き付けた。
ベルトが放つ異常なオーラにあてられたのか、ジャバウォックは遠目でも分かるほど瞳孔を開ききって裂けそうなほどまた口元を歪めた。
「はっははははははぁぁぁぁぁぁぁ――――――――ああああッッッ!!!!感無量の嬉しさと失望がいっぺんに襲ってきた気分だ!いいぜ、いいぜひょろガキ!オレを止めてみろよ!」
「……不本意極まりねぇがな。いくぜ変身ッッ!!」
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