第7話 ヒーロー呼ばれる

あの組手から二週間後、ケットシー達の集落がある場所の裏山で、大きな音がこだましていた。

大きな大木の前で、小さな拳を固めて、必死に正拳を打ち込んでいる。

飛び散る汗と、木が軋む音がシンクロしていた。


「くそっ……くそっ……くそっ!!」


そんな時、後ろの茂みがガサガサと音を立てる。

ばっと振り返ると、彼の妹が心配そうな目でこちらを見ていた。

手に籠を持っている。

薬草か何かをとっていたのだろう。


「お兄ちゃん……。」


「なんだ、お前か。」


兄もとい、ヴェリオは鍛錬をやめて、切り株に腰を下ろした。


「先生のところに行かないの?……学校、あんまり行ってないよね?

……もしかして―――」


「余計な勘繰りをするんじゃない。ちょっと一人になりたいだけだよ。」


そうは言ってみたものの、あながち間違いではなかった。

葵がいるから、気まずいからではない。

ヴェリオは単純にがっかりしたのだった。

子供のころから、エネミーガーディアンの伝説は暗記できるほど聞かされた。

憧れた。今でも、いや、今だからこそ、その伝説級の強さが欲しかった。

だが実際会ってみればどうだろう?

伝説?救世主?希望?

力も、エネミーガーディアン自身の気概も、ちゃんちゃら話にならなかった。


「ふざけるなっ!いや、なにを頼りにしているんだ……俺が、俺がやらなければいけないんだっ!!」


「お兄ちゃん……」


ヴェリオは立ち上がり、森の奥へ入っていく。

ヴィッキーは悲しそうな顔で木のように立ち尽くしたままだった。


「ひゃ……ひゃあああああああぁぁぁ―――――くうううぅぅぅぅ――はあああああぁぁぁちいいいいぃぃぃ―――――ッッッ!!!!」


「ガハハハ――そうだ!筋肉をいじめろっ!もっとぉ!もっとぉ!」


青空の下、爽やかな絶叫が波紋のように辺りに広がる。

目をむき、腕をプルプルさせて、絶叫の主、葵は腕立て伏せをやっていた。

野次を飛ばしているのは、はれて全快したゴブリンのドボルグだ。

奥でムスっとした表情でヴィヴィレオが髭をいじっていた。


「まったく筋肉バカが……」


「あー、えー?何か言ったかな?ヴィヴィレオくぅぅぅーん?」


ドボルグは勝ち誇っていた。

ヴィヴィレオが当面葵の指導をする予定だったが、予想よりドボルグの回復が早く、もともとの指導係に全権が戻ったのだった。


「フン、いやね、ずっと体力強化もどうかと思ってね。私ならもっと効率的な訓練メニューをやるがね。」


「はっ、分かってないなお前は。戦闘経験が皆無なアオイにとって優先させるは体力だ、筋肉だ!あって損はないだろう?頭空っぽにしてひたすら鍛えるのが一番なんだよ!――おらぁ、アオイィィ!休んでんじゃねぇぇっ!」


「は、はぁ、ひゃ、ひゃああああああ―――AAAAAAAA――!!」


実際、ドボルグの言っていることは正しかった。

分かっているからこそ、自分の出る幕のないヴィヴィレオはムスッとしていたのだった。

そんな葵はというと、もはや声にならない叫びをあげていた。

腕の筋肉が、喉の筋肉が、悲鳴を上げてはちきれそうとしている。


「も……も、もう無理……」


葵はとうとううつ伏せで倒れ込んだまま動かなくなってしまった。


「おいおい、ダラしねぇえなぁ。まだあと192回残ってるぞ!それにそのあと腹筋、背筋、体幹とやることは山積みだ!あ、あと反射神経を鍛える回避の特訓もあったな。」


ドボルグはポケットからメモを取り出して、楽しそうに読み上げた。


「ぜぇ、ぜぇ……な、なんで僕がこんなことやらないといけないんだ!?」


辛さを超えて、怒りすら感じる。

葵の中で煮えたぎるような思いが渦巻いていたのだった。


「なんでってそりゃあお前、?」


「……っ!」


命。

それは、各人が一つしか持っていない、金であろうとなんであろうと、何物にも変えがたい代物。

葵は自分でもわかっていたのだ。

この異世界マルシナで生き延び、元の世界に帰るためには、少なくとも、自分の身を守るための強さが必要であることを。

なぜなら、葵にはベルトがあるからだ。


「全部ベルトコイツのせいだ。これが僕を不幸に貶める……」


葵にとってベルトは不幸を呼ぶまさに悪魔の道具であり、皮肉にも、身を守る力が、身を危険にさらす出来事を呼び寄せるという悪循環であった。

文句を言うことをやめ、葵はなんとか立ち上がる。

腕が痙攣どころの騒ぎではない。ピクリとも動かなかった。


(100回でこれって、さすがに情けないな。

日頃の運動不足の弊害かな……)


葵が打ちひしがれているなか、ドボルグがまた張り切った声で背中を叩く。

例のごとく葵はツンのめってしまいそうになる。


「ワハハーーーッッ!!よぉし、じゃあ、休憩した分もう20回増やして、再開だぁっ!」


「ええっ!?嘘!?あなたは鬼ですかーっ!?……あ、鬼か。……じゃなくて……」


そんな葵が涙目になり、あたふたしているところに、救いの声をかける者がゆっくりと近づいてきた。


「その辺にしておけ、ドボルグ。スパルタはいいことだが、アオイが壊れてしまっては元も子もない。訓練係はやはりヴィヴィレオの方が適任だったかな?」


叱りながらもどこか優しい。

長い黒髪を風になびかせ、エルゼルダートは颯爽と登場した。


「ま、魔王様!ですが………うぬぬ、分かりました。自重しやす。」


「自重?とんでもない。いっそ交代したまえ、そして隠居なされよドボルグ殿?」


「やかましいわっ!!」


ああ見慣れた光景だなと葵は思った。

思わず自分の疲れを忘れ、微笑んでしまうこの空気。


「人間って偉大だ。とんなところも馴染むことができるのだから!……それっていいことなのか?」


葵の頭は疲れでうまく働かなかった。


「ところで、ヴィヴィレオ。子供達の様子はどうだ?なに、報告によると中々手のかかる子がいるみたいだが?」


エルゼルダートはそう言ってヴィヴィレオに向き直った。

ケットシーの子供、それに話からするとヴェリオのことだろうが、そんな些細なことにまで注意のいく目の前の魔王という存在に葵はまた舌をまいた。


「元……がつくけどね。」


「(こ、心が読まれているのか!?)」


エルゼルダートがこちらを向いて笑うことで葵の顔が青くなる。ヴィヴィレオはといえば難しい顔のままだった。


「ええ、まぁ……我が私塾も、最近サボりがちになってきておりますな。森の奥で何やら一人黙々と鍛錬をしているようですが……」


ヴィヴィレオは自分の無力さを痛感し、目を伏せていた。

さすがのドボルグも何も言わずただヴィヴィレオをまっすぐに見つめている。


「そうか。……デリケートな問題もあるし、深くは追求できないのも理解している。他の生徒のこともないがしろにはできないが、気にかけてやってくれ。」


「言わずもがなです。お気遣い感謝いたします。」


片膝をついて頭を下げるヴィヴィレオを見て、エルゼルダート少し笑って踵を返す。


「それでは、私はこの辺りで。畑の様子を見に行かなくてはならないからな。アオイ!気にしないで、。がんばれ。」


こんどは大きく髪をなびかせ帰っていく。

これが魔王の器かと思うと、葵はなんだか自分が本当にちっぽけな人間なんだと気付かされるようで、居心地が悪かった。


「自分の身の不幸より、自分の周りで起こる災難より、人の心配……か……。」


ヒーローはどっちなんだろうな?

最後の言葉は、ドボルグの飛ばした次なる司令でかき消されたのだった。

その後も数日、葵は休む間もなく訓練を重ねた。

訓練といってもやはり基礎体力作りの延長で、葵の身体は筋肉痛やら関節痛やらで毎日ボロボロで身悲鳴をあげていた。

だが、この異世界マルシナの薬草および、木の実というものは葵の世界のものとは比べものにならないくらい優秀らしく、緑色とも青色とも言えないような不思議な薬を塗られると、次の日にはいくらかマシになり、動けてしまうのだった。


そんなある日の事、いつものように広場で葵が筋トレに励んでいると、数人分の影が近づいてきた。


「お、やってるなぁ……アオイ!ちょっといいかーっ?」


「はぁ……くっ、え?」


葵が顔を上げると、そこには私塾で知り合ったケットシーがいた。

トラ猫そっくりの元気なケットシー、ヴォルキオ。

錆猫の色に眼鏡が似合う知的なケットシー、ヴァニート

最近ではすっかり顔なじみのヴィッキー。

そして―


「ヴェリオ君……」


その兄のヴェリオを合わせた四匹(四人?)が葵を見下ろしていた。

相変わらずヴェリオはムスっとしている。

余談だが、この兄妹は、葵の世界でいうところの三毛猫にそっくりであった。


「俺達さぁ、じー様やばー様に頼まれて、これから森に薬草を摘みに行くんだけどよ、アオイもいかねーか?」


「人数も多い方がこちらとしても助かる。」


ヴォルキオとヴァニートがそれぞれ笑う。

続いてヴィッキーも話を持ち掛ける。


「毎日修行というのも体……心的にもよくないのではないですか?

気分転換だと思って……ね?」


「気分転換……か。森ってどこまで行くつもりなの?」


葵が少し考えてから聞き返すと、ヴォルキオがいんやと答える。


「少し奥かな……あ、いや!そんなに奥ってわけでもねぇんだ。でも近いかというと……」


葵が見ると、何故か三匹が少しバツの悪そうな顔をして笑っている。

どうやら、その辺というわけでもなさそうだ。

しかし、残りの一匹、ヴェリオだけが不敵に笑った。


「ふふふ。大丈夫だろう?なんてったって、こいつは伝説の戦士様だからな?」


「おい、ヴェリオッ!!」


「お兄ちゃんっ!!」


ヴォルキオとヴィッキーがたしなめるが、聞こえないといった風に、ヴェリオは森の方に足を向ける。

葵は気にしなかったが、どうして自分が頭数に入れられているかが分かったようなきがした。


(なるほど、護衛ってわけか。僕が付いていれば周りの目も気にしなくて済むということか。……参ったな、また面倒なことに……あんまり森には入りたくないんだけど……でもこのまま断るのもなんか腹が立つし……)


「分かった。僕も同行するよ。」


こうして一行は森に出かけた。

この前の騒動が起こったところではなく、また別の森のようだ。

葵達がいる集落周辺は完全に山々で囲まれている。

今度の山は木々や草などの植物が多く、道も凸凹していた。

ヴォルキオを先頭に、奥の薬草があるポイントに向かっていった。


「さっきはごめんなさいアオイさん……兄が、その……」


「えっ……あ、ああそんな、君が謝ることじゃ……」


少々遅れ気味の葵に速度を合わせるようにして、ヴィッキーが隣にやってきた。


「その……兄はきっと、どこかあなた……伝説の戦士に期待していたんだと思います。もちろん私も含めて、みんな。でも……その、あの……」


言いにくそうに目を伏せたヴィッキーを見て葵は乾いた声で笑う。


「ははは……それは、その、がっかりするよね、僕みたいな普通の人間じゃ。きっと僕もみんなの立場ならがっかりすると思う。」


「い、いいえっ!!そんな風には全然!ドボルグさん達の窮地を救った事も聞きました。すごいと思います。あなたが真剣に向き合ってくれているから、その姿勢を知っているから、特に兄は……どうしたらいいのか自分でもわからなくなってしまったんだと思います……。」


そう言われると、葵は心に何か小さなトゲが刺さったような感じを覚えてしまう。

あの時も、そして今この状況も、全てが偶然の代物なのだ。

決して、葵自身が本物のヒーローのように自らの意志で行動したわけではなかったのだった。


「……僕自身も、どうしていけばいいのかわからないよ……。」


誰にも聞こえない小さなつぶやき。

そうこうしている間に、一向は目的地である、薬草が生えている開けた広場に着いた。

なるほど、遠すぎるわけではないが、集落からは離れている。


「おっしゃあ!!とるぞーー!」


ヴォルキオの号令で一斉に腰をかがめ始める。

薬草はと言えば、葵の見覚えのあるヨモギのような緑色のものから、真っ赤な草花、トゲが無数についたものなど様々だった。


「ど、どれが使えるものなの?」


「ふふふ……大方全部ですよ?」


戸惑う葵にヴィッキーは優しく捕り方などを教えていた。

こんなにも和やかな空気を感じたのは、葵にとって久しぶりのことであった。

薬草摘みも半ばに差し掛かったころ、ヴェリオがいきなり立ち上がっる。


「おい、何か聞こえないか?」


そんな一言に一同は顔を上げて周囲を確認する。

しかし、これといって特に異常は見当たらない。


「おいおい、脅かすなよ。何だっていったい……」


「……違う、!!」


警戒レベルを最大限にまで引き上げていたヴェリオは異常の元になっている空に向かって大声を張り上げた。

見ると、黒い球のようなものが徐々に落下してきている。

そして、その落下物はなんと途中で飛散したのだった。


「なっ……!?」


素早く反応し、葵とヴェリオはかわすことができたが、広範囲に落ちてきた網は他の三匹の上に覆いかぶさり、動きを封じた。

すると、それを見計らっていたかのように、茂みの奥から二人の男の声が聞こえてくる。


「やったぜぇ!兄貴のゆー通りだ!薬草なんてチンケなものよりお宝が手に入ったぜ!」


「喜ぶにはまだ早いぞ、弟よ。あと一匹取り逃がしている……。」


筋骨隆々で、髪を後ろで結んだ巨漢と、小柄ながらもその目つきは人の良さなどが微塵も感じられない男がそろって出てきた。

口ぶりからどうやら巨漢が弟分らしい。


「あ……あなた達は……」


捕獲者ハンターだ!!」


ヴェリオはありったけの憎悪を込めて、ハンターを睨みつけている。


(この人達がヴィヴィレオの言っていた……ヴェリオ達の親の……)


「妹達を離しやがれ!!腐れハンターがっ!」


ヴェリオが一歩踏み出し、凄んでみせる。

しかし、まったく臆した様子もなく、逆に巨漢の男が声を張り上げた。


「なんだぁこの生意気な化け猫はぁ!おい、お前、大人しく捕まるってんなら楽にイケるぜぇ?」


身の丈が倍もありそうな男の声に、葵は震え上がってしまう。

しかし、ヴェリオは、今度は一言も発さずに、足を少し引いてその短い間合いを一気につめた。


「……こ、コイツ……!?」


音も、気配も無く一瞬で前に現れたヴェリオに男は一瞬たじろいでしまう。

だが、瞬時に両手に力を込めて、何やら呟く。すると、手のひらから魔法陣が顕現し、光が集まって大きな塊になる。


「はぁあああっッーーー……なっ!?」


大きな衝撃音の後に、小枝が折れたような小さな音が葵の耳に届く。


「があああああーっ、う、腕が、腕がぁ……」


声高く、そして鋭い絶叫が今度は葵の鼓膜を貫いた。

そこには、葵が目視できるほど、いや、ヴェリオだけでなく葵までもが簡単に潰れてしまうほど大きな鉄球が二つ、男の前に堂々と転がっていた。


「ふあー、危ねぇ、危ねぇ。そう言えばケットシーは不思議な体術を使うんだっけか?

感が鈍っていたが、悪いな小僧。予習済みだ。」


男は信じられないことにその鉄球をまるで風船のように軽々と持ち上げ、振り回し、薬草どころか周りの木々も粉々に砕いていく。

その余波や破片が葵やヴェリオに降り注いでいた。


「うわああーっ……そんな…強化魔術も見られないのに……あんな……はっ、ヴェリオ君!」


なんとか近くの木にしがみついた葵だったがヴェリオはそのあおりをもろに受け、ボロボロで地面に這いつくばっている。


「おい、生け捕りにしろと言っておいた筈だが?」


「わかってるって。でもほら、俺も退屈で暇してたからよ……ついな。」


確かにヴェリオは動き回ることは叶わなかったが、なんとか起き上がろうとしてもがいていた。

そんな兄の姿にヴィッキーは力の限り叫ぶ。


「お兄ちゃーーーーんっ!!もう、やめてください!!」


その叫びを受け、男二人は一瞬顔を見合わせたかと思うと、辺りにこだますほど笑い声をあげた。


「ギャハハハハーーーこれは傑作だぜ!おい、そこのケットシー、お前悔しくないのかよ!?女に、妹にこんなに心配されてよぉー」


「自分達の立場や状況がよくわかっていないとはな。いや、自らを顧みず、兄を心配するこの気丈さを褒めるべきか?」


そんな笑われている中ヴェリオは震えていた。

ダラリと動かない右腕からの痛みが伝わってきて震えていた。

ヴィヴィレオの所では、教わることのなかった本番いう恐怖から震えていた。

あの日の、最悪の日のことを思い出して震えていた。

こんなにも無力で呆気ない自分への怒りで震えていた。

そんな震えるヴェリオの目の前にいきなり何かが立ち塞がった。

ヴェリオがゆっくりと見上げると、自分と同じように震える者が立っている。


「は……はやく逃げてヴェリオ君。僕が、なんとか……なんとかするから。」


はっと目を見開いたヴェリオは噛みつくような勢いで立ち塞がった葵に向かって叫んだ。


「な、何言ってんだ!お前こそさっさと逃げろ!震えるお前にいったい何ができるんだ!それに、俺はお前なんかに助けてもらわなくても……」


「………っ!!!」


さらにまくし立てようとするヴェリオの頭に、慣れない軌道で葵は思いっきりゲンコツを落とした。


「馬鹿言ってんじゃねーぞっ!!!」


「????!?」


葵は口調が一瞬変わってしまうほど激昂状態になりそのままヴェリオの衣服を掴み上げた。


「僕の事はどう思おうと構わない。僕が、ヴィッキーちゃんや周りが思うような高尚な人間じゃないことは確かだよ!ただ、こんな僕でも、君のような分からず屋を助けるつもりはない!」


思わず絶句してしまうヴェリオ。

構わず葵は続ける。


「僕は君のためじゃない、に今こうしてるんだよっ!本当は僕だって逃げ出したいよ!!でも、君には見えないのかよ!目の前の、本当に自分を思ってくれている人のことが!」


ヴェリオはおそるおそる目の前のハンターが繰り出した網の中にいる仲間たちを見た。

気づかなかった。

妹はもちろんのこと、ヴォルキオやヴァニートまでもが、自分の身を構わず、必死にヴェリオの名を叫んでいたことに。

気づかなかったのだった。


「あ……う……」


復讐を誓ったあの日からただただ強くなりたかった。

努力もした。苦労もした。

だが、いつのまにか、失ったものに執着することで、本当に大切な、守らなければならない未来をヴェリオは見失ってしまっていたのだ。

そう気づくと、不思議と静かに涙が頬を伝った。

その様子に葵もどこかホッとしたように笑ってまた敵を見据える。


「待ちなよ!その子達を連れて行かせはしない。その子達を思う人達のためにも!ほんとは嫌だけど、見せてやる!!変……あれ……!?」


かっこよく言い放ったはいいものの、葵がベルトを巻こうとした手は虚しく空をきる。


「「………………」」


「ゴチャゴチャ言ってんじゃねぇぇ!!大人しく捕まりなぁーっ!!」


絶句したまま葵とヴェリオが見つめ合う中、我慢の限界という勢いで鉄球の男が右手を振り回した。


「あの一匹は捕まえろ。後は好きにするがいい。」


叫びを了承の合図として、男はさらに飛び上がる。

巨漢と遠心力から放たれる衝撃は、この狭い空間では十分すぎるほど威力を発揮していた。

飛ばされて木に叩きつけられる二人。

しかし、その先で運良くヴェリオの顔にベルトが飛んできた。

男の着地とともに少しだけ見せたスキをついて、ヴェリオは力いっぱい反対方向に飛ばされた葵に投げる。


「……ったく、世話の焼けるだぜっ!!」


「……!ヴェリオ君……っ!」


ぱしっと受け取った葵は素早く腰に巻きつける。

そしてーーー


「変身ッッ!!」


葵の体を青白い光が包み込む。

巻き起こる風は木々を揺らし、放たれるオーラは木の葉を舞い上げた。


「な、なんだコイツ……変化系の魔族だったのか……っ!!くっ……だがまぁいい。まとめてひねり潰してやるぜぇ!!」


一瞬はたじろいだ巨漢の男だったが、すぐに気持ちを切り替え、鉄球の鎖を振り回す。

右手、左手、また右手。

パンチを繰り出すかのように、鉄球は水平に繰り出されてくる。

空を切り、音を濁ませ、それらが葵に降りかかり、肉薄する。


「……うわぁわああ……っ!」


巨大な鉄球ゆえに逃げられる場所が限られらてくる。

上下に飛んだら跳ねたり、バックステップをしたりと、無様ではあったがなんとか回避することができていた。

球速が遅いのが幸いであった。


「ちぃっ……ちょこまかと……だが!」


「はぁ……はっ……なあっ!?」


ドンッ!!


気がつくと、葵はいつのまにか大きな木を背にして、つまり、この狭い平地の一角に押し込まれ、とうとう逃げ場がなくなってしまったのだ。

巨漢の男の口角が鋭くつり上がる。


「これでぺしゃんこ……グチャッて派手な音聞かしてくれよぉぉーっ!!」


「ッ……!!」


葵は瞬時に頭を働かせる。

回避は難しい。

球速は遅いが、明らかに相手の助走は高く、くらえば本当にぺしゃんこになってしまうだろう。


「よけるにも鉄球の範囲が広くて……これじゃ……くそおおおっ!」


鉄球は待ってはくれず、とうとう陽の光を隠すほどにまで落ちてきていた。

葵はとっさに拳を握りしめた。


「アイツ砕くつもりか!?バカ、よせ!」


ヴェリオの抗議の声が遠くに聞こえる。

自分の腕が、鉄球の硬さを物語っている。

しかし、葵の感覚は緊張と恐怖とで使い物にならなくなっていた。

本能に近い一瞬の閃き。

葵はそれによって拳を握りしめたのだった。


「はぁ……はぁ……頼むっ……おおおおお」


葵の願いが天に通じたからか。

はたまたベルトが生きるという意思を汲み取ってくれたからか。


葵の握った右の拳に、エルゼルダート、いや、カタストフィア家の紋章が突如浮かび上がり、光に変わった。


まさしく空を覆う、黒い球。

葵はその球を迎えるように、風船に針を突き刺すように、己の右腕を突き出した。


瞬間、硬く重いはずの鉄球に、スイカを割った時のような光の亀裂がくわわり、バラバラと激しい勢いで砕け、飛散した。


「そ、そんなぁああ……俺の鉄球がぁーーーーーっ!!」


「ぐおおお………ッ」


辺り一面を吹き飛ばすかのようなその勢いは2人のハンターを吹き飛ばし、ついでに葵も後ろに吹っ飛ばされる。

木に叩きつけられたが、右手の熱さの余韻を残しつつ葵はよろよろと立ち上がった。


「なんだったんだ……今の。前もこんな……まさか、これって……」


あの時のキックの!


葵自身、この感じというより、このミニ爆発には覚えがあった。

あの時よりも威力は低いが、それでも、この場で放つには十分な威力であった。

少し離れたところで、ヴェリオ達ケットシーがどういうわけか全員まとめて転がっていた。

幸いなことに、全員怪我はしていたが、命に関わるほどのものではなかった。


「うっ……くっ、は、ハンター達は!?」


遅れながら、ヴェリオが敵の状況を気にしだす。

見ると、巨漢の男は数メートル先でなんとか立ち上がろうとしており、小柄な男は結局大した活躍はせず普通に伸びていた。


武闘派ではないらしい。


「なんなんだ……あの化け物……こんな、こんな……」


怒りか、恐怖か。

巨漢の男は少なくとも今までに覚えのない超常現象を目の当たりにして、歯をカチカチと鳴らしていた。


「……おい、貴様、さっきはよくもやってくれたな。」


「ヴェリオ君、手負いのこの人をさらに追い詰めるのはちょっと……」


前に出たヴェリオをなだめるように葵は言葉を濁した。


「別に、命を取ろうってわけではない。ただ……」


妹を怖がらせた分だぁっ!!


ヴェリオはそのまま、一瞬にして、詰め寄り、男の腹部めがけて正拳突きを叩き込む。


あの小さい手のどこにそんな力があるのか。

それとも魔術かなにかなのか。


男の体は少し跳ね、そのまま声もなく崩れ落ちる。

見たところただ気を失っただけのようだ。

その後、葵はベルトを外して、変身を解除しヴェリオと2人がかりで網を取り除いていく。

網が全て取り除かれると、ヴィッキーがすぐに、兄に飛びついていった。


「お兄ぢゃゃゃゃゃーーーんっ」


「ば、バカ、よせよ!人前でこんな……」


倒れ込んだヴェリオの顔に朱色がさす。

引き剥がそうとしたが、途中でそれをやめて、震える背中をそっと抱きしめた。


「ごめんな。……ほんと、…ごめん。」


勝利の歓声は、兄妹の美しい絆によって生み出された嗚咽と涙に変わったのだった。


一通りの片付けを終え、今回の報告のためにも一向はすぐさま下山の準備を終え、坂道を下り始めた。

途中でさりげなくヴェリオが葵の横に並び、しどろもどろ聞こえないぐらいの声でそっと耳打ちする。


「おい、……その、悪かったな。それで……その、……あ、あり、……ありり……」


「はぁ、はぁ、結構ペース早いんだね……疲れた体にはちょっとキツイ〜……えっ、なんか言った?」


下りることに必死の葵には到底届かず、ヴェリオは顔を真っ赤にしたままそっぽを向いた。


「べ、別になんでもねーよ!!のさっきの無様な戦いについて何か言ってやろうと思ってだなぁ……」


「ああああーーーーーッッッッ!!!」


「!?!?!?」


葵は思わず大声で叫んだ。

これまた思わずの出来事でそれこそ思わずヴェリオはすっ転びそうになる。


「今、僕の名前呼んだ!ね、ね?今呼んだよね?」


「な、なんのことだか……お前の空耳だよ!ほ、ほらぼさっとすんな、置いてかれてんぞ!」


「う、うん。」


困惑気味の葵を置いて、ヴェリオは前に追いつくため速度を上げる。

前組も葵の叫びで止まっていたのだ、すぐに追いつけるだろう。

若きヒーローもつまずきそうになりながらも必死に小さな背中を追いかけるのであった。

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