第2話 ヒーロー知る

真っ暗の道を少年は走っていた。

爆走していた。

おそらく、軽自動車ぐらいなら負けない勢いで走り抜けていた。

辺りは静かで少しヒンヤリとしている。

世界中を探してももうあまり見つからないほど夜の闇は濃く、それゆえか月明りが不気味なほど輝いていた。


「はぁ……っはぁ……っはぁ……はぁっ

冗談じゃないっ!」


見知らぬ土地で、いきなりの死の宣告。

どんな勇者でも震え上がる内容をカミングアウトされた青野葵(17)は無我夢中で足だけを動かしていた。

ここから逃げ出さなくては!

もっと、遠くに……遠くに……っ!


「はぁ……でも、どうやって帰るんだ?

ここが異世界だとして、本当に帰ることができるのか?」


一瞬の思考に気を緩めてしまった葵はついつい道の脇にそれてしまう。


「……っ!えっ……うわあぁぁああーーっ!」


葵は自分の体が浮く感覚を覚えた直後、体を巻き込みながら転がるように夜の闇へと吸い込まれていった。


どうやら、道を踏み外してしまったらしい。


「いてて……ちょっとした段差で助かった〜……あぁ、くそっ!何やってるんだろ……」


葵はふと、果てしない空を見上げた。

星は旅人に希望を、万人に願いを抱かせる、この世が生み出したいわば大いなる願望機である。

しかし、今、葵にとって星は願望機などではない。

遠い異世界に放り出された少年に、孤独と不安を抱かせる悪魔の微笑みのようであった。


「うう……少し、寒い。よく考えれば僕、寝巻きのまんまだし、このプチ崖、登れるかな?」


葵は少し、その場で飛んでみたりしてみた。170あるか、ないかほどの葵の身長をもっても、少し高い。


「あんまり、痛くなかったから気付かなかったけれど、結構高いな……」


葵は諦めて、夜が明けるのを待つことにした。

夜は不安であった。

星が怖い。月が怖い。闇が怖い。

そして、あの魔族が怖かった。


「死ぬのか……こんなところで……い、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ……っ!!」


座ったところで、落ち着けるはずもなくうずくまって葵は頭を抱えた。

そんな時、夜の静寂に何かが近づいている音がした。

葵はすぐにハッとして顔を上げる。


「お、音がする。……まさか、あいつらが……追って……」


全ての神経を冷水に漬け込んだような、緊張感。

葵は、声も出さずに震えていると、その音、正確には足音が途中で途絶えた。


「えっ……!?」


ヒュンッ


何かが飛んだ音。

葵が気づいた頃には、は既に葵の前に降りたっていた。


「どこに行ったのかと思えば……探しましたぞ、アオイ殿。」


「ひっ……う、う……っ」


目の前の闇にまた一つ、闇の物体が現れた。

先程の静かな着地音が嘘のような大きな体。

闇に溶け込むような漆黒のマントに身を包み、表情がまったく読み取れない仮面で顔は覆われている。

そして頭に生やしたおおよそ、葵の脳内データベースには一切記載されていない企画外のツノ。


「ひっ、う……」


「お、おいアオイ殿!」


葵はとうとう耐えきれずに暗転してしまう。

気を失ってしまったのだった。


どれくらいの時間が流れたのか。

いつごろからなのか何か暖かな光を見た気がしていた。

温度は感じられない。

だが、そこにあるだけで、幸福な、温かい気持ちになれる。

葵はそんな光を感じていた。


「……はっ、ここは……」


バッと起き上がって辺りを見回してみる。

葵はそこで、自分の前にランプが一つ置かれていることに気がついた。

夢ではなかったのだ。


「起きたかアオイ殿。その、大丈夫か?」


「は、はぁって、うえええぇえ!?」


気を失う前とまったく同じ光景。

図体のでかい魔王が上から葵を覗き込んでいる。


「かっ……は……は……」


すると魔王は慌てて、それでいて失念していたという風にかぶりをふった。


「あ、ああ…すまない。……はぁ、やはりな。アオイ殿はやはり……不本意だが、仮面とマントコレを取らないとマトモに話も出来ないか……よいしょ……」


魔王はそう言って、仮面とマントを外した。

すると、


「えっ……なぁ……っ!?」


葵は舌を巻いた。

仮面を外すと、黒い霧が霧散するかのように、何か特別なベールを剥ぎ取ったように、

仮面の下の魔王は葵の想像の上の上を行った。

その3メートルはあろうかという巨体は無くなり、葵よりも小さい華奢きゃしゃな体が現れた。

ツノは消え失せ代わりにつややかな黒髪が広がる。

どこか幼さを残しながらも、切れ長で美しい瞳。

なんとそこには、葵と同じ歳ぐらいの少女が立っていたのだった。


「うえ!?……へっ?……何が、どうなって……」


ツノも取れていた。


「ふぅ……まぁ、色々あってだな……この仮面とマント、魔道具の一種だがこれで姿を隠していたわけだ。すまない。」


声の質もさっきとは違い、とても澄んだ綺麗な声だった。

葵は思わず、恐怖も忘れ、ぼーっと答える。


「は、はぁ……いや別に……」


長い沈黙。

夜の静かさがあいきわまり、数秒が何倍にもなって、葵の中を流れていった。

すっかり調子が狂ってしまった葵は、幾分か落ち着きを取り戻し、目の前の少女におずおずと声をかけた。


「あの……すいません。何がどうなってるのか全然わからないので……詳しく、状況とここについて教えてもらえませんか?」


するとタイミングを見計らったかのように、空に広がっていた分厚い雲がはれて、月明りが二人を幻想的に照らし出した。

月の光を一身に集めたその魔王は少し思案して、改めて葵の方へと顔を向ける。


「……いいだろう。確かに、アオイ殿には、知っておいてもらいたい話だ。」


そう言ってなんの躊躇もなく、葵の隣に腰を下ろし、静かに話を始めた。

かつてここマルシナでは、東西南北にそれぞれ魔王がおり、魔族が主に支配していた。

竜帝りゅうてい】が治める、北に位置した竜族による弱肉強食の厳格国家。

魔賢師まけんし】が率いる、西に位置した学問と魔術に特化する学研国家。

遊大ゆうだい】が繁栄させた地方を結ぶ、南に広がる広大な貿易国家。

そして


「カタストフィア家が代々治めてきた、いや今は東地方を統治するのが【慈愛王】、この私だ。」


葵は少し黙っておずおずと聞き返した。


「えっと……構造はわかった。その、失礼かもしれないけど魔王なのに、慈愛なの?」


すると、魔王は怒るでもなく自嘲気味に笑って応じた。


「はは、笑ってしまうだろう?だが、それでいいのだ。東地方は、このカタストフィア家はずっと昔から。」


「えっ!?」


魔王は遠い目をして話を続けた。


「四つの地域には、ある程度、住んでいる種族が決定されているのだ。」


葵は先ほどの説明を思い返す。


「そして、その種族や、それぞれの族はその地域の魔王に忠誠を誓った時にコイツが浮かび上がる。」


魔王は手袋を外して、手の甲を葵の顔の前に掲げた。


「い、イレズミかな?いや、こう言う場合は刻印?」


「そう、その通り。これはカタストフィア家の刻印だ。コレが有るとその魔王の庇護下に入った証となり、魔王による恩恵が受けられる。」


さっと手袋をはめながら、魔王は息を吐いた。


「カタストフィア家、東の魔王は主に刻印のない魔族や、下級魔族を積極的に受け入れ、守ってきた。代々な。まぁ、竜帝の地域以外は異種族混合なんて珍しくないのだがな……」


なんでも、竜帝のいる北には9割以上が竜族らしい。


「だから【慈愛】……皮肉というか、何というか……そ、それでその、どうして僕がこの世界に?」


「あ、ああそうだな。実は……」


魔王は先程とは打って変わり、深刻そうな顔をした。

六十年か、五十年ほど前、魔族が主体の現状を打破するため、人間達は召喚術をさらに昇華させ、異世界から勇者を喚びだした。

呼び出された、一人の勇者はその後その術式を応用し、元いた世界で自分に仕えていた、家臣を喚びだし、一団を形成した。

四人の魔王が代々中立地帯としてきた、真ん中に位置するコロホというところに居城し、魔族への抵抗を開始したのだった。


「断っておくが、我が東大陸は比較的人間達と有効的に共存していたのだ!南の方でも、貿易の点で言えば東以上だし、今、人間の冒険者や魔術師が使っている魔術は古来、西の魔王が創り出したものなのだぞ!?」


熱くなっているのか、興奮気味にまくしたてるようにして、魔王は言う。


「へ、へぇ……あれ?じゃあ、まさか……あなたが、いや東地方を治めていたって……」


「……そうだ。異世界の一団やつらが手始めに進軍したのは、ここ東地方。三代目のこの私が治めていたところだ。」


ここにきて、初めて葵は話が繋がったような気がした。


「我々は元々さっきも言ったように、構成されている魔族は弱い種ばかりだった。勿論私も含めて腕の立つやつもいる。だが、やつらはこの世界の勇者や冒険者も手中にし、その頃にはさらに大きな集団と化していた。結果はひどいものだ。」


魔王は多くの家臣や眷属を失い、命からがら逃走。残った数人の家臣を連れて、現在は身を潜めているのだった。


「そんなことが……」


葵の感受性が豊かからなのか、目の前の魔王だった黒髪の少女が悲痛そうに話すからだろうか。

葵は人間でありながらも、魔族の境遇に胸をいためずにはいられなかった。


「その後は?その、異世界の一団はどうなったのですか?」


「今はさっき言ったコロホにいる。おそらく、次の標的の様子を探る、いわば膠着状態こうちゃくじょうたいというやつだろうな。東はともかく特に北には迂闊に手を出さないだろう。

なにしろ、隠遁生活をしているとは言え、初代竜帝は健在だ。やつらとて、タダでは済まない。」


葵は一通り話を聞いて思った疑問を口にしてみた。


「人間の僕が言うのはおかしいけど、その、魔王同士で力を合わせて……っていうのはできないんですか?」


魔王はうーんと言った風な顔をする。


「それは、難しいだろうな。元々我々はお互い干渉しないというのが初代からのルールだ。それに、うまくいけば他の魔王の領土を手に入れることも可能だ。さらに言うなら、私は三代目だ。南の魔王もそうだが……北は初代が健在。西も二代目に変わってまだ浅い。私のような新顔では相手にもされないだろう。」


葵は改めて魔族の世界の厳しさを知る。


「……よく分からないけど、言い分は理解できた。本題は……」


魔王は一つ頷いて、これが最後だと言うように語気を強めて言った。


「そう。というわけで、だ。アオイ殿。貴方あなたには我々東の残党魔族を。」


「……………はぁっ!?!?」


異世界に来て、一番大きな声で葵は叫んだ。


「私が貴方と同じように、人間の姿をしているのには訳がある。激しい戦い、そして、貴方の召喚にほとんどの魔力を消費してしまったからだ。情けないが……今の私は非力な人間とそう変わらない。……だからこそ、アオイ殿!どうか、皆を……」


先程の魔王オーラは消え失せ、葵の手を取る、その少女は悲しげな人間にしか見えない。


「そんなこと、急に言われても……だ、第一、忘れていたけどあなた達は僕を殺すんでしょう!?」


「いやっ!!」


少女魔王はさらにギュッと葵の手を握りしめ、まっすぐに葵の目を見つめた。


「そんなことは……貴方を殺すようなことは絶対にしない。誰が何と言おうと。私は君を殺さない。この世界に喚びつけた者として、仮にも魔王、エルゼルダート・カタストフィアとしてっ!」


「うっ……」


葵はその真剣な目にたじろいでしまう。


「で、でも、守るって……戦うってことですよね?だったら尚更、僕すごい力なんかないし、ケンカの一つもしたことがない、もやしっ子ですよ!?」


羞恥で真っ赤になりながら、葵は手を振りほどいた。


「それなら心配はいらない。」


「えっ?」


魔王は不敵に笑いながら、言った。


「君が戦闘向きでないことも、その……非力そうなところも……見てれば何となくわかる。」


「よ、余計なお世話だよ!」


「だが、力が無いのは違う。確かに召喚に失敗することもあると聞く。だが!自慢ではないが、……なにかはきっとあるはずなんだ!」


葵はなんだか呆れてしまって逆に冷静さを取り戻した。


「何をそんなに……あ、そう言えば、初代の遺品がどうって……」


「そう、まさにそれだ!アオイ殿。貴方には我が家の初代、オリオレノ・カタストフィアの遺品、【エネミーガーディアンのベルト】が触媒に使われているのだ!!」


「エネミー……ガーディアン??」


弱き魔族を守り、時には竜族をも、何者をも寄せ付けない力を発揮し、伝説最強とまで言われた、オリオレノ・カタストフィアを魔王にしたベルトらしい。


「そんなものが僕に……でも……」


にわかには信じられない話だったが葵は立ち上がったまま動けずにいた。

目の前の魔王の瞳は何かにすがっているようで、何かを強く信じているような目だったからだ。


「……分かりました。とにかく色々聞いて、ちょっと混乱しているから今回はこの辺でお願いします。……どうするかはさておき、僕は、元の世界に帰りたい。今すぐは無理でも……帰ることができるなら……」


魔王は少し気落ちしたようにしながらも、努めてそれを出さないようにして答えた。


「……無論、帰る方法もある……と思う。

なにしろ召喚されて元の世界に帰還した者の話は聞いたことがない。だが、この世界には私よりも遥かに魔術に精通している者は沢山いる。そやつらに当たれば……」


葵は決まりだなといった風に決意を固めた。


「じゃあ、僕が帰れるようになるまで……本当にそんなに力があるというなら……できる限りのことはやってみます。」


魔王もそれを聞いて安心したのか、嬉しいのか、初めて顔を綻ばせて頷いた。


「では、ひとまず村に戻ろうかアオイ殿?まだこの時期は夜の風は冷たい。」


すると葵は言い忘れていたように付け加えた。


「あ、そうだ!その、アオイ殿っていうのやめてもらえませんか?その、僕はそんなに大層な者でも……もしかしたら、いや、かなり高い確率であなたの、みんなの期待に応えられないかもしれないから……」


葵は言っていて情けなくなったが、事実なので思いきったのだ。


「…………そうか。では、アオイ、と。ならば貴方もいや、アオイも私に敬語は不要だ。アオイはいわば客人のようなもの。家臣ではないからな。そうだな……私のことは、エルとでもよんでくれ。」


黒髪の美少女は少し照れ臭そうに振り向きざまにそう言った。


「わ、分かった。……その、エル。」


なんだか気恥ずかしくてお互い赤面した顔を背けたまま沈黙が続く。

そんな二人の頭上を夜空の星が一つ流れていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る