第21話 邪魔な女

 音無花音。

 最大の警戒対象。お兄ちゃんをストーキングするだけでは飽き足らず、衣服や体操着の匂いを嗅いで、さらにマーキングまでした。

 もっと許せないのは、そんな変態が身の程知らずにも告白をしたことだ。


 お兄ちゃんに取り入り何を企んでいるのか、しばらく調査する必要がある。

 本当は関わりが薄いうちに排除するつもりだったが、お兄ちゃんだけじゃなく、誰であっても近付けば逃走する。

 そのせいで接触はおろか、会話まで持ち込めなかった。


 そして事件は起きてしまった。

 お兄ちゃんの体操着から漂う女の匂い。

 最初は綾波千尋のものかと思ったが、そうではなかった。あれも音無花音が付けた匂いだった。

 許せない……絶対に許さないッ!


「なのに……なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、なのにッ!! どうしてお兄ちゃんは……あんな女と仲良くしようとするの?」


 自分をストーキングして、あまつさえ体操着の匂いを楽しむ変態と一緒の時間を過ごして、帰りが遅くなった。


「それに何よ『かのちゃん』って……お兄ちゃんに愛称で呼ばせるなんて……ッ! それに『陽ちゃん』なんて……」


 ずっと盗聴器越しに聞いていた。

 音無は声を出さなかったけど、どうやらメールかラインで会話しているらしかった。そのせいで、内容はあまり分からなかった。

 お兄ちゃんの言葉で、何となく音無の言い分を想像することしか出来なかった。

 それに──。


「お兄ちゃんの膝の上に座ったな……私の、私だけの特等席なのに……ッ」


 時折聞こえる音無の声が、かなり鮮明に聞こえたのがその証拠だ。

 お兄ちゃんが何処かの椅子に座ったのはすぐに分かった。その後の慌てようと、布が擦れるような音が聞こえたことから、まず間違いなく膝上に座った筈だ。


「早く引き離さないとね。出来れば二度と関わらないように……」


 今日になって急接近した事実は変えようがない。そこは諦めるしかない。

 たけどその後もしつこく付き纏い、万が一『麗菜』への愛が揺らいでしまったら……。

 考えたくはないけど、その可能性がちょっとでもあるのなら、何とかして引き離す。

 いずれは『麗菜』にも消えてもらうけど、今はまだまだ早過ぎる。


「『麗菜』はあくまで繋ぎ……『莉音わたし』がお兄ちゃんと一つになるためだけに存在する傀儡くぐつなんだから……」


 そして問題は音無花音あいつだけではない。

 ──そう、綾波千尋。


「いつもいつも近くにいるから憎かった。でも、あくまでも友人関係の枠から出る事はなかった女……」


 ──なのに今日。

 お兄ちゃんと綾波は珍しく気まずくて、側から見れば甘酸っぱいような雰囲気を醸し出していた。


「お兄ちゃんと『麗菜』のために、和服コスとか言うのを作るのはいい。寧ろ作らせて、それで今度お兄ちゃんとエッチしたい……」


 怒りや憎悪が薄れて、脳内はピンク色の妄想へと切り替わる。

 確かに『麗菜』は、和服を着ても違和感がでないような出で立ちをしている。私がそういう設定で作ったのだから、それは当たり前なのだけど。


「私だって似合うと思うよ、お兄ちゃん」


 正直な話、『麗菜』の方が似合うのは仕方のない事だ。けど、ならば『莉音』に似合わない道理はない。

 結局は同一人物なのだから。


「初めての時は私服でヤッて、二度目はそれを着てシテもらおーっと♪」


 取り敢えず綾波の方は、まだ問題ないと判断することにした。

 お兄ちゃんが悦んでくれるなら、憎い女の作った衣装でも使ってやる。


「楽しみだなぁ。お兄ちゃんと初めて♪」


 これは『麗菜』にも譲れない。

 キスもしたかったけど、それをしたら歯止めが効かなくなっていたと思う。そのまま襲い掛かって、今の関係を破壊してしまう。

 いずれはそうするつもり、そうせざる得ないだろうけどダメなのだ。何度も何度も言うようだけど、今はダメなのである。


「お兄ちゃんが好きになって良いのは、愛して良いのは私だけなんだから。──だから」


 音無花音の排除する。あの女のストーキングはまだ終わっていない。

 可能性の話をすればキリがないけど、『麗菜』の正体に気付かれる可能性がないとは言えない。

 それだけは、何があっても阻止しなくてはならない。


「排除するよ。『麗菜わたし』たちのデートを見せ付ける。それで諦める……かも知れない」


 いくら好きだとしても、相手に恋人がいれば手を出す事はないだろう。普通の精神なら、それが分かっただけで身を引こうとするのは自然のはず。

 危険は多少あるだろうけど、それも致し方ないことなのは分かっている。

 いくら排除するとはいえ、非人道的な方法では足がつく。やむを得ない時以外は、なるべく穏便に収めるのが得策。


「まずはデートしなくちゃ。でも……キスを『麗菜』なんかでしたくない。求められれば仕方ないかもだけど……」


 お兄ちゃんから求められたら、断れる自信はない所か、喜んで受け入れてしまう。けれど女にとっては、エッチよりもキスの方が大事な場合も多分にある。

 例え同一人物であろうとも、演じた姿でのファーストキスは正直嫌だ。


 それでも良いと思って、お兄ちゃんをけしかけたけれど、いざとなった時に感じたのは悔しさと悲しさだった。


 水族館のあの日。邪魔が入って苛立ったけれど、逆に安心もしたのだ。

 頭では分かっていても、感情では受け入れきれなかったということだ。仮にあのままキスをしたとして、果たして『莉音わたし』は満足出来ただろうか。

 答えは──NOだ。


「『麗菜』が……お兄ちゃんの初めてになっちゃう。お兄ちゃんにとっての初めてが、『麗菜』になっちゃう……。そんなの絶ッ対に嫌ッ!」


 気持ちの再確認は終わった。

 キスはしない、けれどデートでは他の女が入る隙を与えないような濃密なものにする。

 それを見せ付けて、自分から引き退るように仕向けてみせる。


 それでダメなら──。


「また、別な方法を考えなきゃ……ね?」

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