第19話 待っていたのは 1
日が沈んだ頃に自宅へ帰った。
流石に遅かったせいか、両親には心配されることになった。莉音は二階の自室にいる言うが、恐らくは──。
「やっぱりか……」
莉音は俺の部屋にいた。もちろんベッドの上で、枕を抱え込みながら俺の帰りを待っていたようだ。
そして案の定、絶賛不機嫌モードであった。
「……遅い」
「あー、なんで怒ってんだ? なんか約束したっけか?」
「してない。けどこの私を待たせたの万死に値する大罪かもね」
「そこまでかよ……」
それを言うなら、莉音の方こそ再三の不法侵入罪はどうなるんだろうか。常習犯だから最早あまり怒る気にもならないが……。
莉音はベッドから降りて立ち上がり、射抜くような視線を向ける。
「お兄ちゃん。今すぐこっちに来て」
「え、なんか嫌な──」
「来て」
「は、はい……」
帰りが遅いだけでそこまで不機嫌になるものなのか。恐らくは他の要因があったのだろうが、それを知る術が今の俺にはない。
大人しく莉音に従うしかない。
「じゃあ寝て」
「寝るって……ベッドでだよな?」
「当たり前でしょ。なに? お兄ちゃんは床で寝たいの? それとも私と寝るのが嫌なの?」
「えーと……それに何の意味が?」
「いいから! 仰向けで寝てよ!」
朝のランニングから帰宅して、そこから莉音の機嫌は最悪に近かった。
今はさらに苛立ちを募らせている。
学校で何か嫌なことがあったのか、それとも俺が知らぬ間に余計なことをしたのかは分からない。
今回の命令の意図も理解は出来ないが、逆らうよりは従って方が、すぐに機嫌も直るかもしれない。
「はぁ……分かったよ」
言われた通り仰向けになると、すぐに莉音も覆い被さるように続き、俺の胸元に顔を埋めた。
まるで押し倒されたように見えるが、相手が妹では別段嬉しいとは思えない。
「お、おい? 何を……」
とはいえ、流石に驚きを禁じ得なかった。
何度か情緒が崩れたことはあったが、ここまで妙な行動を取ることはなかった。昔はお兄ちゃん子であった莉音は、何かにつけて甘えてきては、自分のものと主張していた。
けれどそれは昔の話で、仲は良いが兄離れ出来るくらいの距離は開いたと思う。
だからこそ、こんな風に甘えてくるのは久し振りで、懐かしい気分だった。
「ねぇ……何してたの?」
「あー……ちょっとな。同じ学年の女子にスマホの使い方を教えてた。それで遅くなっただけだ」
「……それだけ?」
「それだけだ」
「ふーん……その割には仲が良いんだね?」
「──っ!?」
あまりにも低い声にゾッと身震いがした。
十年以上も兄妹をしていたが、こんな冷え切った声音は初めてだった。
「ど、どうして……そう思うんだ?」
恐る恐る聞き返すことが出来た。
今の莉音は、ただ不機嫌というだけではないような気がしてならない。俺ですら知らない莉音の姿を、垣間見ている気がするのだ。
それは少し怖くて、何故か寂しかった。
「だって……臭いから」
「はっ? それって……」
「お兄ちゃんのじゃない臭いがする。どうしてお兄ちゃん? 麗菜さんがいるのに、どうしてそれ以外の女の匂いがするの?」
まるで……じゃない、莉音は俺を強く糾弾している。麗菜以外の女性の匂いがすることが、とても許せないのかも知れない。
恋人がいる身で、他の女性と親しくするのは無節操だと思っているのだろうか。
「いや、それは……」
どう言い訳すれば良いのだろうか。
莉音の言う女の匂いとは、十中八九、音無花音の匂いだろう。俺が望んでそういう状況を作った訳ではないが、それを言ったところで何となる。
それ以前に、音無との関係は友人とは少し違うのだ。今日に至るまで会話一つしていなかった相手なのだから、友達以上の関係では決してないのだ。
だから『同級生の女子』と言ってしまった。裏を返せば、『友達未満』であると宣言したようなものなのだ。
そんなあまり接点のなさそうな女子生徒に、スマホの使い方を教えて帰りが遅くなるなんて……。
意味不明といか不自然極まりないだろう。
そして、そこに至るまでの話をするには、どうしたってストーカー事件の結末を話さなくてはならないだろう。
その上で納得させるのは、あまりにも無謀ではないだろうか。
「どうしたの? 何か、やましい事でも……あるの?」
「い、いやそのな? えーと……」
「…………なに?」
今日は怖い事ばっかりだ。
ストーカーとはいえ、自分に好意を持ってくれる少女の名誉を傷つけるのは、あまり良い気分ではない。
言い訳……もとい真実を語るには、どうしても避けては通れない道である。
「あのさ……。それを話すには、その子のプライバシーを晒すことにもなるんだよ。だから今回は勘弁して欲しい……です」
「…………」
莉音は無言で何も行動を起こさない。
どうしてこんなにも不機嫌なのか、それが分からないから対処も出来ない。
早くこの時間が終わって欲しい。居心地の悪い気分が続くなか、背中は冷や汗で気持ち悪くなる。
どのくらい時間が経っただろうか。
莉音はすっと起き上がると、少しだけ悲しそうな目で俺を見た。
「分かった……。ねぇ、お兄ちゃん?」
莉音はまるで縋るような表情に変わり、俺の胸元に再び顔を埋めた。
そして──。
「あんまり……私を一人にしないでね?」
一言だけ、そう言った──。
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