第9話 亜香里の見た予知夢

 結婚式の一週間前に、亜香里は生まれて初めて、そして最後の予知夢を見た。

 夢の中でも亜香里は寝ていた。ふわふわと柔らかい眠りの莢の中にいた亜香里を起こそうとする懐かしく、少しくぐもった声が聞こえた。

「お姉ちゃん、起きて」

 亜香里は目をこすりながら、

「誰?」

 と言う。本当はわかっていたけれど、あまりにしばらくぶりだからちょっと照れくさかった。

「私、佳奈美よ」

「ああ、佳奈美ちゃん」

 起き上がると、目の前には女子高の制服を着た笑顔の佳奈美が立っていた。華奢に見えない程度の細身で、黒い髪を靡かせながら。

「お姉ちゃんに伝えたいことがあるの。だから、ちゃんと聞いて」

「わかった。でも、これって夢の中?」

 すべてがまだ音楽のついていない映画のワンシーンのように思える。

「そうよ。お姉ちゃんは今夢の中にいるの。でも、夢の中でしか伝えられない真実ってあるの。それでね、お姉ちゃん。本当は伝えたいことがいっぱいあるんだけど、私には時間がないの。だから、どうしても伝えたいことだけを話すね」

「うん」

「お姉ちゃんは私が書こうと思って書けなかった手紙のことをずっと気にしていたよね?」

「そうだよ」

「ごめんね」

 笑顔はすっと顔の奥へと消えていた。

「でもね、お姉ちゃんがいろいろ推測していたようなことは何も書くつもりはなかったんだよ。本当はあの事件の前に書くつもりだったけど、私が一日早く命を奪われちゃったから間に合わなかったの。私のミスよね。あのね、私があの手紙で書きたかったことは二つあるの。一つはお姉ちゃんへの感謝。私を本当の妹として、ずっとずっと愛してくれたお姉ちゃんに、最後に『ありがとう』って伝えたかったの。私、お姉ちゃんのことが大好きだったから」

「佳奈美ちゃん…」 

 鼻の奥がツンとなり、それ以上何も言えなくなってしまった。

「お姉ちゃん、泣かないで。それからもうひとつ伝えたかったのは、半田薫子の限定ライブCDをお姉ちゃんの部屋から勝手に借りてきて返してなかったこと」

「ああ、あれ、佳奈美ちゃんのところにあったんだ」

「返そう、返そうと思いながら私が独り占めしていてごめんなさい。あのCDは私の押し入れの奥にしまってあるから探して」

「わかった。わざわざありがとう」

「ううん、薫子の歌は私たち二人の心を結び付けてくれた大事なものだから」

「本当にそうよね」

「お姉ちゃん」 

 そう言って、佳奈美は嬉しそうな顔をした。

「いい人に巡り合えてよかったね。溝畑さんはお姉ちゃんを生涯幸せにしてくれる人だよ。だから、私の分までいっぱい、いっぱい幸せになってね」

「佳奈美ちゃん…」

「あっ、私からひとつプレゼントを用意したから、披露宴の時に受け取ってね」

「プレゼントって何?」

「だから、それはその時のお楽しみ。じゃあ、私もう行くね」

「どこへ行くの。お願いだから行かないで」

 私は夢の中の自分の叫び声で目を覚ました。

 佳奈美に会えたことの嬉しさと、佳奈美と二度目の別れをしたことの哀しさが混じっていた。

 結婚式の三日前。亜香里は実家に戻っていた。これから式当日までの三日間を実家で過ごす。亜香里は、先日夢の中で佳奈美が言っていたことを思い出す。

 そっと佳奈美の部屋のドアを開く。中に入ると、佳奈美を感じる。佳奈美の部屋へ入るのは、あの日以来二度目。『押し入れの奥』と佳奈美は言っていた。まっすぐに押し入れを目指す。だが、いざ押し入れの前に立つと、なぜだかひどい動悸がした。ここを開けると、何かとてつもないものが待っているような気がするのだ。亜香里は一度深呼吸をした後、そっと扉を開く。押し入れの中は佳奈美の私物が整然と置かれていた。だが、『それ』はすぐにわかった。箱の蓋に貼られた紙に佳奈美の文字で『大切なもの』と書かれていたからだ。亜香里はその蓋をそっと開けた。

 そこには、夢の中で佳奈美が言っていたように、半田薫子の限定ライブCDと、そして佳奈美が小説の中で書いていた薫子のサイン付きCDがあった。しかし、それだけではなかったのだ。そこにはまた一枚の絵が入っていた。その絵は、自分が同級生に殺されることを予知したあの絵と同じ日に描かれたものだった。つまり、佳奈美が中学一年の時に描いたもの。亜香里はその絵を見たとたん、涙が止まらなくなった。

 そこに描かれていたのは、亜香里の披露宴の姿だった。しかも、その絵で亜香里が着ているドレスは、実際に亜香里がお色直しの際に着ることになっているピンクのドレスそのものだった。隣の新郎の顔もまさしく優斗だったし、着ているのも当日と同じネイビーのタキシードだった。さらに、そんな二人をテーブル席で見つめる両親と、そして、そして、母の隣の席には女子高の制服を着た笑顔いっぱいの佳奈美がいた。

 中学一年の時点で佳奈美は自分と自分に関わる人たちの光と影を見てしまったのだろう。だから、あの小説は敢えて中学二年からスタートさせているのではないか。

 翌日、亜香里は結婚式場へ行き、母親の隣にもう一人分の席を用意して、料理もすべて他の人と同じものを出してほしいと頼んだ。理由を訊かれたので、『亡くなった妹の席です』と伝えると、係りの人は『わかりました』とまるく優しい声で答えた。さすがプロだと思った。こちらの思いを理解してくれたことに感謝した。その上で、そのことを母に伝えた。

「お母さんの席の隣に佳奈美ちゃんの席を用意してもらったから」

「ありがとう」

 そう言った母の顔が崩れる前に、亜香里は慌てて二階の自分の部屋へ逃げ込んだ。

 結婚式は厳かな雰囲気のうちに終わり、披露宴に移った。会場内には半田薫子の歌が流れていた。

 仲人の挨拶、乾杯の挨拶と型通りに進む中、亜香里は妹の席に何度も目を遣るが、そこに妹の姿はない。やがてお色直しの時間となった。あの絵にもあったピンクのドレス姿の亜香里とネイビーのタキシード姿の優斗が扉から出て行くと、盛大な拍手に迎えられる。順番にテーブルを回っていき、ついに両親の席へと近づく。すでに母の眼には大粒の涙が零れていた。それでも、母の隣の席に妹はいない。

 その時、どこからか大きな声で『おめでとう』と声をかけられ、一瞬そちらへ目を遣り、再び両親の座る席へ目を戻した時、母とそっくりな顔をした佳奈美の姿が、そこにあった。ふいに感情が波のようにやってきた。でも、佳奈美は泣いてなかった。輝くような笑顔だった。それが佳奈美には一番似合うと思った。胸に温かな波紋が広がる。

『やっぱり来てくれたのね』と呟いた亜香里に、佳奈美は小さく頷いた。そして、声は聞こえなかったが、『おめでとう』と言ったのが口の開き方でわかった。『ありがとう』と言う亜香里の顔は歪んだ。すると佳奈美は後ろを向き手招きをした。その方向を見た時、ずっと堪えていた亜香里の目からも涙が落ちた。そこには、笑顔で亜香里のことを見ている世界にただ一人の『ママ』がいた。佳奈美からの最高のプレゼントだった。

 












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夢の中の真実 シュート @shuzou

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