第2話 佳奈美の見たもの…①

小説『夢の中の真実』


 せり出した木々の枝が作る日陰の下で、石原真奈美は自らの暗い思いを持て余していた。

 中学生になった頃から常に身体中の体液が波打っているような気持ち悪さが真奈美の心を支配していたのだ。その正体が、自分が見る夢であることはわかっている。

 夢は誰しもが見るけれど、そのほとんどは自分が知り得る自身に関するものや自分の身の回りの出来事についての夢だ。ただ、中学生くらいの多感な時期に見る夢の中には、時に現実離れしたものや奇妙に希薄な悪夢も含まれる。ネット上でも、こうした夢の経験が語られているが、しかし、その多くは本人すら忘れている自分の過去の記憶や経験に基づくものが変形したものに過ぎない。たまに、夢で見たことが現実に起きる、いわゆる『正夢』を見ることもあるが、それとて記憶や経験の延長戦上のもので、特別なものではなく普通にあることだ。

 しかし、真奈美の見る夢の中には、そうした夢とは明らかに異次元の不可解な、それでいて鮮明な映像の夢が含まれていた。夢が立ち上がって現実に入り込み、現実も夢に紛れるといった感覚。中には、自分の将来を暗示するようなものもいくつか含まれていて、真奈美はそれを絵として残していた。その夢が現実に起きた段階で、その絵は処分していたけれど。

 しかし、真奈美が自分には『予知夢』を自ら引き寄せる特殊能力があると明確に意識したのは、中学二年になったある日に見た夢によってであった。

 その日の真奈美の周囲には不吉な気配が鎌首をもたげ灰色の影を落としていて憂鬱だった。その結果引き寄せてしまった悪夢。

 見知らぬ若い男が幼い子供を虐待している夢だった。しかし、それは夢から覚めた後も実際の記憶のように色鮮やかに浮かんでいた。もちろん、夢の中での出来事だったので、その男が実在するとも思っていなかったが、外見は明確に覚えていた。鼻筋の通った細面の顔に鋭い目つき。口はやや上がり気味。長身で痩せ型。年齢は30代前半と思われた。

 その夢を見てからしばらく経ったある日、学校から帰る途中の道で、向こうから歩いてくる男が夢の中の男とそっくりであることに気づき、真奈美は思わずその場に立ち尽くしてしまった。だが、男はそんな真奈美に何の関心も示さず、横を通り過ぎた。

 母親に訊いてみたところ、その男は真奈美の近所に最近引っ越してきたことがわかった。夢のことを誰にも告げていない真奈美は、自分の判断でなるべくその男と接触しないよう努めた。数週間後、ニュースで男が逮捕されたことを知る。しかも、罪の内容は真奈美が夢で見たものと同じだった。真奈美の悪夢が痛ましい現実となった瞬間であり、同時に真奈美の『予知夢』を引き寄せる特殊能力が開花した瞬間でもあった。

 この夢がきっかけとなり、真奈美は幾度もの予知夢を見ることとなる。予知夢というと悪夢を想像しがちだが、当然ながら良夢も見た。会ったこともない他校の男の子と仲良くなる夢。父親が会社で出世する夢等々。いずれも現実のものとなっている。

 だが、次に見た大きな予知夢はやはり悪夢だった。

 その日も真奈美は、なんとなく嫌な夢を見る予感がしていた。頭の奥が重みを持って膨らみ始めていた。体の表面の感覚が鈍って軽く浮き上がるような感じがする。そして、やはり見たくもない夢を見た。

 突然会ったこともない青年が現れ、憂いを帯びた顔で真奈美のほうを見つめ、何かを訴えているのだ。しかし、真奈美にはその言葉は聞こえてこない。夢の中なのに、妙にリアリティ感があり、真奈美は不気味さに怯える。

 真奈美が聞き入れてくれないと思ったのか、男はくるりと背を向け歩き出した。そんな男を自分の意思とは裏腹に後をつけてしまう真奈美。夢の中の自分に『止めて』と叫ぶ。しかし、夢を支配することはできない。

 男は、とあるビルの階段をずんずん登っていく。その背を追う真奈美の目。やがて、男は屋上のドアを開け、外に出る。梅雨雲の空が灰色のまだら模様に浮かんでいる。どんよりとした不安が真奈美に襲い掛かる。男は周囲に誰もいないことを確認した後、屋上を囲むフェンスを一気に乗り越え、一瞬こちらを振り向いた。男の瞳の底で、水のような透明な炎が揺らぎ立った。男は歪んだ笑顔を見せた後、空中へ飛んだ。真奈美は思わず『あっ』と声を漏らしていた。男は静かに死の闇に下りていったように思える。真奈美は衝撃で鳥肌がたった。

 その時、ようやく目が覚めた。身体中嫌な汗をかいていた。ただの夢に過ぎないのだけれど、その日からしばらくの間、真奈美の心の中にはその男のことが占めていた。だが、穏やかに安定した日常が繰り返される中で、その男の夢のことは次第に頭から消えていた。

 それから半年後、担任の教師が転校したことで、新任の教師が来ることとなった。若い男の教師だという情報だけは入っていたので、特に女子生徒たちは勝手に想像を巡らせて楽しんでいた。しかし、真奈美はあまり関心がなかった。

「ねえ、真奈美、もし新任が菅田将暉みたいだったらどうする?」

 真奈美が一番仲良くしている増渕さあやが言う。菅田将暉はさあや自身が好きな俳優だ。

「そんなのテレビドラマの中だけの話だよ。へんに期待したらがっかりするだけだから、私は何も考えていないよ」

 本当にそう思っていた。小学校の時だって担任教師が自分好みのタイプの男だったことなんて一度もなかったし。

「相変わらず真奈美は冷めてるよね。アタシは期待しちゃってるけどね」

「がっかりしたって知らないからね」

 それから一週間後の月曜日の朝に、その担任は現れた。教頭の田中の後から教室に入ってきたその男の顔を見た時、真奈美は震撼した。自分の夢の中に突然現れ、ビルの屋上から飛び降りたあの男とそっくりだったからだ。

 竹中光男という名の新任教師は生徒の評判は悪くなかった。顔は菅田将暉とは似ても似つかない平凡な顔ではあったが、若いというだけで女子生徒には受けていた。それに、へんに熱くなく、物事に冷静に対応するタイプだったため、相談しやすく頼りになると思われたのだろう。また、生徒との距離が近く、何かと言えば生徒に声をかけていたことも支持されていた理由と思われた。しかし、真奈美は常に一線を引き、遠くから見ていた。もちろん、夢のことがあったから。でもそれが竹中にとっては異質な存在に見えたのか、やたらと声をかけてくるのだ。

「真奈美って、竹中にひいきにされてない? というか、竹中、真奈美に気があるんじゃね」

 さあやが意味ありげな表情を作つて言う。

「やめてよね。気持ち悪い」

「別にいいじゃない。竹中って、久しぶりに悪くないって思うんだけどな」

「確かに、教え方はうまいと思うけど、それ以上の感情はないね。それに、竹中は家庭科の美保ちゃんがお気に入りって噂じゃない?」

 その可愛らしい容姿から男子生徒に人気のある家庭科教師の遠藤美保に、竹中がアプローチしているという噂は耳に入っていた。

「えっ、竹中って、美保ちゃんみたいなのがタイプなわけ。ショック」

「さあやこそ気になってたんじゃない」

「まあ、そうだけど」

 真奈美としては、美保に竹中には気をつけろと言ってやりたいが、余計なことを言ってへんに誤解されても困るし、だいいち夢のことなど話しても信じてもらえるとも思えず、はたから見守るしかなかった。

 それから数か月。竹中と遠藤の二人の恋は順調に推移しているようだったし、竹中の身に何かが起きる様子もなかった。夢で見た男と竹中が似ていることは確かだったけど、夢は夢。現実には何も起こらない。そのことに安心してもいた。このまま何も起きないでほしい、真奈美は心からそう思っていた。

 しかし、数日前から竹中の様子がどことなくおかしかった。授業や仕事は普段通りこなしていたが、元気がなかった。理由はわからないが、何かに落ち込んでいるようでもあり、また何かに怯えているようにも見えた。真奈美は自分の見たあの夢を思い出した。

「ねえ、さあや、最近竹中おかしくない?」

「えっ、何もおかしくないと思うけど」

「そうかな」

「誰もおかしいなんて言ってないよ。美保ちゃんとも順調らしいしさあ」

「ふ~ん、そうなの」

 そんな会話をさあやと交わした当日の夜、竹中は校舎の屋上から飛び降りた。朝のテレビニュースでその事実を知った時、真奈美は驚いたけれど、何か予定されたことが予定通り実施された時の安堵感のようなものさえ心に湧いていた。自分の正当性が認められたような感覚といってもよい。

 学校は大騒ぎになっていた。特に、担任の自殺という憂き目にあった真奈美のクラスの子たちの間には大きな衝撃が走っていた。女子生徒たちの中には動揺で抱き合って泣いている子も多くいた。真奈美の親友のさあやも遥もミキも目を真っ赤にしていた。朝礼の際、校長から事実だけは報告があったが、竹中が自殺に至った経緯や原因などについては一切触れなかった。このため、いろんな噂が広がった。教頭との確執とか、同僚の教師との諍いとか。でも、一番多かったのは、遠藤に振られたというものであった。

 しかし、真奈美はまったく別のことを考えていた。確かに遠藤美保とのこともあったに違いない。しかし、竹中は、ただ真奈美の見た夢に忠実に従い死を選んだだけのような気がしてならないのだ。竹中が新任の教師として真奈美の前に現れた時からある種の予感はあったが、現実となったことで重さが増した。予知夢というのは通常本人との関係が強い人物に対して見るもとのされる。ところが、竹中の夢は真奈美がまだ竹中と出会う前に見ているのである。何かの偶然と思いたいが、ひょっとしたら自分の中によからぬ力があるのではないかとも思い、恐ろしくなる。こんなことは誰にも相談できないため、胸の中には常に黒くドロッとした血の塊のような感情が渦巻いている。

「真奈美、何ボーッとしちゃってるの」

 学校の帰りに遥の家に遊びに寄り、お茶していたところだ。

「あっ、ごめん」

「最近、真奈美へんだよ。何かあった?」

「別に何もないんだけどなあ…」

「そうは見えないよ。慎平とうまくいってないとか?」

 隣のクラスの二宮慎平から付き合ってほしいと言われたのは、3か月くらい前の事。同じ小学校の卒業生ということで面識はあったが、真奈美のほうは特に意識することもなかった。帰り道で偶然出会った慎平から突然告白された。ちょうど担任の竹中が自殺した後で、真奈美なりにいろいろ悩んでいたこともあって、なんとなく受け入れてしまった。

「慎平? 慎平とは特に何もないよ。ていうか、もともと慎平とは深い関係でもないしね」

「そうなの? 慎平カッコいいと思うけどなあ」

「そんなことよりさあ、遥、竹中はなぜ自殺したと思う?」

「だから、それは遠藤に振られたせいじゃないの」

「私も最初はそう思ったけど、遠藤は振ってなんかいないと言ってるという噂もあるんだ」

「そうなの。でも、どっちだってよくない」

 竹中自殺の報を受けた日にはあれほど涙を流していた遥なのに。女子中生の心変わりは早いものらしい。

「ていうか、真奈美に何か関係あるわけ」

「ううん。別にない。でも、竹中って、本当は死ぬ必要なかったんじゃないかって、ふっと思ったの」

「意味わかんないよ。もうやめなよ、竹中のこと話すのなんて」

「ごめん、ごめん。そうだよね」

 これ以上竹中の話を続けると自分のことを疑われると思い、真奈美は話を打ち切った。 

 真奈美にとって竹中のことは、笑い飛ばすことも深刻に話し込むこともできないものになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る