第202話 騒動(3)

「清四郎さん、」


夜になり、ようやく萌香は斯波の病室に行かれた。


「萌・・?」


斯波は入口に背を向けるようにしたまま動けなかったので、なんとか首を動かそうとした。


「あ、動かないで、」


萌香は彼に駆け寄る。


「かっ・・身体の向きを変えてくれ。 もうずっとこのまんまで、キツい・・」


「え? ええのん?」


「とにかく!」



仕方なく彼を抱きかかえるようにそおっと向きを変えてやった。


「痛い?」


「痛いっちゅーか・・。 腰がすっごく、重くて。」


「・・お父さまの方は、」


「いちおう、移植はしたけど。 どうなるかはこれからだって。 とりあえず、経過を見ていかないと。」


「そう・・」


萌香はそっと彼の頬に手をやってそっとキスをした。



「・・心配やった。 すっごく、」


「萌・・」



手をぎゅっと握られて斯波はドキンとした。


「・・ん、ごめん・・」


そして


優しい微笑を浮かべた。





「え、真尋が・・?」


「ええ。 びっくりした。 いきなり慌てて飛び込んできたから。」


萌香は笑う。


「なんで、あいつ・・」


「あなたが白血病だって誤解して。 ほんまに取り乱して。 驚いたけど、そんなに心配してくれてるんやなあって、」


彼女の話を聞いて斯波は少し呆然としつつ、


「・・真尋が、」


いつもいつも自分のことは鬱陶しく思っているとばかり思っていた。


休暇中のNYからわざわざ戻ってくるなんて。


「・・おおげさだな、」


照れ隠しに斯波はそう言ったが、本当は嬉しくてたまらないのが萌香にはわかった。





その晩は多少は痛みはあったのものの、斯波は翌日の夕方には退院した。


そして、その足で向かったのは自宅ではなく・・



「斯波さん、」


絵梨沙はやって来た斯波に驚いた。


「・・久しぶり。」


斯波はふっと微笑んだ。


「しーちゃん!」


久しぶりに会った竜生はまた大きくなっていたようだった。


「あ、ダメよ。 斯波さんは・・手術して戻ってきたんだから。」


抱きつくようにする竜生に絵梨沙は言った。


「え、しゅじゅつ?」


「もう大丈夫だよ。 抱っこは、もうできそうもないけどな。 竜生、でっかくなったし、」


斯波は優しく微笑んだ。


「・・だいじょうぶ、だったんですか。」


絵梨沙も心配そうに言った。



「おれはね。 まあ・・あとは。 神頼みだけど、」


絵梨沙も


もちろん斯波の父親のことは知っていた。


日本のクラシック界の大御所であるゆえ、ジュニアのころから第一線でやってきた絵梨沙とは面識もあった。



彼と父親が


あまりいい関係でないことも


承知ではあったが。



そんな父親に身体を削って助けようと思った斯波の気持ちを思うと言葉が無かった。




「真尋は、」


「・・ジムに行ってます。」


「そう。 なんだか、誤解して休暇を早めて戻ることになってしまったみたいで。 悪かったな。」


「いいえ。 私も本当にびっくりして・・心配でしたから。」


「あいつはもう・・ちょっとは確認しろっていうんだよな。 おれがいきなりそんな病気になるわけねえって、」


斯波は笑った。



「でも。 真尋、もう顔色も真っ青になってしまって。 斯波さんのことを本当に心配していました。 帰るまでほとんど口も利かないで。」



勝手に誤解して


勝手に思い込んで。



真尋らしいと言えば


それまでなのだが。




「・・じゃあ、よろしく言っておいてくれ。」


斯波はもう帰ろうとした。


「え、もうすぐ真尋も戻ってきますし、」


絵梨沙は引きとめようとしたが


「・・残念ながらおれは生きてたって言っておいて。 今度のロンドンでの公演の準備、ちゃんとできてんだろうなって言ってたって。」


斯波は優しい笑顔でそう言って静かに去って行った。


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