第194話 父(3)

「ごめんね。 遅くに。」


萌香は自分の部屋に帰る前に隣の夏希のところに行った。


「いいええ。 今、ちょうどゴハン食べてたんです。」


夏希は笑顔で迎えてくれた。



「え?ほんと? ごめんね、」


「大したもん食べてませんから! 今日はちょっとお金が苦しくなってきたんで~。 もやし炒めと卵かけゴハンで。」


夏希は明るくアハハと笑った。


「もうちょっと栄養取らなくちゃ・・そういうときはあたしに言って。 おかずの一品くらい持ってくるし、」


「ああ、いつもですから! って今日は斯波さんいないんですか?」


「・・いるんだけど、」



萌香は少しうつむいて、



「・・加瀬さん、悪いんだけど・・今日、こっちに泊めてくれない?」


「は? ケンカ・・?」


夏希はぎょっとした。


「ううん。 ケンカしてるわけやないけど。 なんか一人になりたいかなあって、」


萌香はひとり言のようにポツリと言った。




きっと


誰にも関わらない空間が


彼には欲しいはずだった。





自分が


手を差し伸べないと父の病状はきっと悪化する。


しかし


そんな事態になっても


自分と連絡を取ろうとしない父に


ジレンマも感じていた。





斯波は部屋でひとり飲めない酒を飲みながら、タバコを吸っていた。



あの人の性格からすれば


そんな時だけ


肉親面して


自分に助けを求めてくるなんてことは絶対にできないはずだった。


自分の命がかかっているのに。



そんなに


おれと血が繋がっているのが


恨めしいのか。




そう思っただけで


斯波は心が頑なになってしまった。




自分の記憶の中の父は


一度だって


抱きしめてくれたり


頭を撫でてくれたり


そんなことは


なかった。




ピアノをやるようになってからは


思うようにできないと


思いっきり叩かれた。


口ごたえなんかしようものなら


さらに


殴られた。



そしていつも


母と激しいケンカになる。




そんなことになるくらいなら


家になんかいてくれなくていいと思っていた。


両親の離婚はショックだったけど


もう二人のケンカを見なくて済むと思ったら


少しホッとしていたのも本音だった。





萌香は夜中近くになって電話を入れた。



「萌・・?」


声は酔っていた。



「・・あたし、今夜加瀬さんのところに泊めてもらうから。」



「え・・?」



「ひとりで、ゆっくりと考えたほうがいいと思うの。 あなたしかわからない心の痛みもあるし。 あたしがあなたの側にいたら、きっとまたいろいろ言ってしまう、」



ぼんやりとした頭であったが


斯波は萌香が


誰よりも自分の気持ちがわかってくれている、と


胸がいっぱいになった。




「・・どうしていいか、わかんねえんだよ、」



声が泣いていた。


「清四郎さん・・」


「どうやってあの人に近づいたらいいのか・・わかんねえ・・」




斯波はようやく


自分の心のうちをさらけだした。


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