第193話 父(2)

「先生と・・今、一緒に生活をさせていただいている・・。 大森奈保子、と言います。」


女性は少しためらったあと、斯波を見てそう言った。


「え・・」


年のころは40過ぎくらいだろうが、清楚で割りと地味だが品のいい美しい人だった。


父はもう60を過ぎている。


斯波は父にそういう女性がいることは


特に想像もせず、


いや


もし、そうであっても全く興味がなかった。



「・・もう・・10年ほど、」


彼女の言葉に、


「10年?」


萌香は驚いた。


そして、無言だったが斯波も驚いた。


つきあっている女性くらいはいても、そんなに長く『内妻』として暮らしている女性がいるとは思いもしなかった。


「息子さんのことは・・しばらく知りませんでした。 以前、あなたが書いている雑誌の評論を偶然に読んで。 あなたの存在を知って・・」


その大森、と名乗った女性は戸惑いつつ言った。


斯波はハッとして、


「もう両親が離婚して何十年も経っています。 別におれのことは気にしなくて結構ですが、」


冷静を装って彼女に言った。


「・・ずっと迷っていました、」


奈保子は言った。


「え、」


「実は。 病院の先生から・・先生と血の繋がった家族はいないか、と聞かれていて。」


「・・・・」


意味がわからなかった。




「骨髄を移植すれば・・快方に向かうかもしれないって。 骨髄バンクにも問い合わせはしていますが、その前に家族が型に適合する方が確率は高いし、と。」


斯波も萌香も


凍りついたように動けなくなってしまった。


「そんなに・・悪いんですか、」



斯波は


初めて事の重大さを実感した。



「お医者さまの話では。 ・・もう骨髄移植しか道がないのではないか、と。」


彼女は少し涙ぐんだ。



「何ども・・息子さんにお話をして協力してもらったらどうか、と言ったんですが。 先生は全く聞く耳を持たなくて。 やはり、先生はあなたにお話をしていなかったのですね、」



斯波の顔色が明らかに悪くなっていくのが萌香にはわかって、


「清四郎さん、」


そっと声を掛けた。


「・・お願いします。 病院に、行ってあげてください・・そして、できればその話も、」


奈保子は斯波に縋るようにそう言った。


斯波は


小さく首を横に振って、


「・・失礼します。」


ポツリとそう言ってその場を早足で立ち去った。


「清四郎さん!」


萌香は慌ててあとを追いかけた。



脚の長い彼が早歩きをすると、走ってもなかなか追いつかなかった。


「清四郎さん、待って!」


萌香はようやく彼の腕を掴んだ。


「お願い。 病院へ、」


彼女の言葉に、


「向こうも何も言って来ないんだから。 おれから行く必要はない。」


斯波は立ち止まり、どこを見ているのかわからない目で言った。


「でも! 血の繋がった人間は・・あなたしかいないんでしょう? あなたしか助けられないかもしれないのに!」


萌香の声が震える。



「やめろ!」


斯波は頭をかきむしるようにそう言って、またずんずんと歩いて行ってしまった。





「白血病?」


志藤は驚いた。



「それでその人がおっしゃるには。 血の繋がった家族で移植が可能な人間がいるかどうか・・調べて欲しいと病院から言われているそうなんです、」


悩んだ萌香は志藤にいきさつを話した。


「でも、清四郎さんは・・行く必要はないって、」


萌香も泣きそうだった。


「・・そうか、」


志藤の表情も険しかった。


「でも・・すごくショックは受けているようでした。 取り乱していたし。 でも・・お父さまの命がかかっているのに・・」


萌香は目頭をハンカチでそっと押さえた。


素直になれない斯波の気持ちがわかるだけに


二人はやりきれない気持ちでいっぱいになった。

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