第195話 父(4)

彼は今


いろんな気持ちが心の中で渦巻いて


自分でもどうしていいのか


わからなくなっているんだろう



自分が父を助けられるかは


わからないが。



そこまで近づくことさえ


勇気がいることで。



「・・あなたはどうしてお父さまと同じ道を選んだの?」


萌香は電話の向こうで黙り込む斯波にそっと語りかけた。



「え・・」


ぼんやりと斯波は小さな声を上げた。




一番


自分に問いかけたくない質問で


心臓に


つきささった。




自分でも


答えようのない質問だった。


あんなに父のことは


嫌いだったのに。



どうして自分は父と同じ道を歩いているんだろうか。


国立の音大の学長を勤める父親は日本のクラシック界を引っ張っている張本人で。


この道のトップと言ってもいい人だった。




同じ道を歩いているとは思いたくなかった。


父の後ろを歩いているなんて


もっと思いたくなかった。




だけど



「・・音楽が・・大好きだったから・・」


斯波はうわ言のようにつぶやいた。


「・・え、」


「もう・・それっきゃなかったから。 おれは。 音楽なしの世界では・・生きていかれなかったから。」



萌香はふっと微笑んで



「やっぱり。 同じ血が流れているのね。」


そう言った。


「心や気持ち以前に。 DNAってその人の気持ちじゃないもの。 私も年を重ねて、自分が母にソックリになってきたって、鏡を見るたびに思った。 母とは縁も切りたかったし、親なんて思いたくなかったけど。 悔しいけど・・血は繋がっているって。 思わずにはいられなくて。」


萌香も自然に涙が零れ落ちた。



「萌・・」



「ただの・・斯波清四郎という人間になって考えてみて。 全ての鎧を脱ぎ捨てて・・」



萌香は優しく優しくそう言った。





全身の力を抜いて


ベッドに大の字になって天井だけを見つめていた。



萌香はきっと


おれとオヤジがソックリだって


言いたかったんだろう。


自分でもそれはわかっている。



顔も


声も。



間違いなく自分はこの人の息子であることを


自覚せずにはいられなかった。


仕事先で他人からそう言われると無性に腹立たしくて


あからさまに嫌な顔をした。




誰にも言わなかったけど


今でもほんのたまにオヤジに会うと、一瞬『恐怖』が蘇って


ゾッとする。



磁石の同極みたく


お互いに


反発する何かを発して。


決して近づくことさえないと思っていた。




萌香に将来のことを約束したときに


勇気を出して父に近づいてみようか、と思ったりもしたが。


やっぱり


それはできなくて。




しかし


今は


父と真正面から向き合わなくては


ならない時期なのだ。



彼女と出会って


誰かを幸せにしてやろうって思える人ができて


少しずつ自分が変わった。



本当の幸せを掴むために


そのドアを開けるのも


今なのかもしれない

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