第63話 デット・ロック(3)

斯波は仕事に行くためにドアの外に出た。


隣の萌香の部屋でまた一瞬立ち止まる。



まだ


あの男がいるのか・・



そして


首をぶんぶんと振ってエレベーターに乗った。



関係ない。


関係ない・・



ずっとそう言い聞かせて。




「おい! これこの前の報告書とちゃうやろ! もう会議まで時間ないねん、」


志藤は斯波に慌てて言う。


「え、」


斯波はぼんやりとしていたが、我に返って書類を探し始めた。


「あれ、」


いつもきちんとしている彼には珍しいことだった。



すると隣にいた萌香が


「これ、」


とクリアファイルを手渡す。


「え、」


斯波は彼女をジッと見る。


「・・これだと思います、」


「あ・・ありがと。」


斯波は固まってしまった。



「いいから、早く!」


志藤の焦る声が聞こえる。


「は、はい。」


慌ててそれを手渡した。




彼女はいつもと同じように出社して


いつもと同じように仕事をしていた。


なんだかその横顔をぼんやりと見てしまう。



すごく


切ない


胸を押さえた。





何も言ってやらないで、ひどい男だと思ってるだろうか。


身体を張って止めてやればよかったのか、



色んな気持ちが渦巻く。



仕事にも身が入らないだなんて。


今までの自分ならありえないほど


この状況に動揺している。



斯波はつかれきって帰宅した。


そしてまたぼんやりとしていると、インターホンが鳴る。



「はい・・」


と出ると、


「栗栖です、」


ドキっとした。


黙って施錠を解く。


「すみません・・夜分に、」


「いや・・」



疲れたように立ちすくむ彼女に


何を言っていいのかわからなかった。



「あのひと・・帰ったの?」


「今朝・・大阪に帰りました、」


萌香は彼の顔が見れなかった。



そして封筒を差し出し、


「これ・・敷金、礼金の一部ですが、」


「え・・? お金?」


「はい。 やっぱりナシというのは気がひけますから。 いっぺんには無理ですけど、毎月少しずつお返ししますから、」


弱々しい声で言う。


「・・いいって言っただろ、」


斯波はそれを突っぱねた。


「でも!」


萌香はようやく彼を見上げた。



その濡れたような漆黒の瞳で見つめられると


どうにかなってしまいそうだった。


斯波はその迷いをふっきるように


「あの人から・・もらったの、」


言葉が先に口をついて出てしまった。



「え・・」


萌香は身体が凍りついた。



「・・あの人に出してもらったの、」


斯波は彼女から目を逸らす。


「ち、違います。 ボーナスの分もあったので、」


萌香は動揺した。



もう


やめろ。


彼女責めてどうすんだ。


おれ、何言ってんだ。



心の中のもう一人の自分が言う。




それでも


この気持ちを止めることができない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る