第64話 哀情(1)

「結局・・いくら引っ越したってあいつは追いかけてくる、」


斯波はどんどん


彼女を傷つけるようなことを口にしてしまう。


萌香は涙を必死に堪えた。


「ど・・どうしてそんなこと言うんですか! とにかく! これを受け取ってください、」


萌香は強引に斯波の手に封筒をねじ込もうとした。


「だから! いいったら、いいんだよ!」


頑なにそれを拒否した。



萌香はくしゃくしゃになった封筒を握り締めて、大粒の涙をこぼしはじめた。




え・・



斯波はハッとして彼女を見る。



「わ・・私は。 見返りを期待されないで・・優しくなんかされたことがないんです・・!!」


「栗栖、」


「お金を・・受け取っていただけないのなら・・」


萌香はスっと彼の部屋の玄関に入り、ドアを閉めた。



「抱きますか・・?」


萌香は流れ落ちてくる涙を拭いながら、力強い瞳で斯波を見た。



「な・・」


斯波は


鳥肌が立つほどのショックを覚えた。


「男の人は・・みんなそうです。 私に優しくするのは・・身体だけが目当てなんです。 私のことを本当に好きなわけじゃない!」


堰を切ったように萌香は号泣した。


「おい、」


斯波は彼女の両腕を掴んで落ち着かせようとした。


「斯波さんだって! どうして・・こんな家賃で私をここに住まわせてくれるんですか? かわいそうだからですか? それとも・・他に目当てがあるんですか!!」


萌香はもう自分を失うほど泣き叫んだ。


「バカなことを言うな!」


「もう・・イヤっ!!」



取り乱す彼女を


思わず抱きしめてしまった。


「バカなことを・・言うな・・」


彼女の細い身体を


折れそうなほど抱きしめた。



え・・・



萌香はあまりの驚きで


心臓が止まりそうだった。



そのまま


黙って


彼は萌香を抱きしめ続ける。



昂ぶっていた気持ちが


すうっと


凪いでいくようだった。


萌香は無意識に自分の手を彼の背中に回した。


タバコの香り


そして


すごく


あたたかい・・



目を閉じると、瞳に溜まった涙がすうっと頬を伝わった。



「もっと・・自分を大事にしろよ、」


斯波はつぶやくように言った。


「おれは別におまえをどうにかしようと思って、ここに住まわせたわけじゃない。・・かわいそうだったからでもない。」


「・・どうして・・」


萌香は小さな声で彼の胸でそう言った。


「・・わかんねえ、」


本当の気持ちだった。


そっと彼女を離す。



「じゃあ、この金はもらっておく。 おまえに・・優しくする理由が見つからないから、」


「え・・」


萌香はその意味がわからないまま、封筒を手渡す。


「これ・・受け取るしか・・理由が見つからない。」


斯波は彼女を見つめる。




心が


きゅんっと音を立てた。


「どういうふうに・・解釈したらいいんですか・・」


戸惑いながら口にした。


「わかんない。 ほんっと。 思考停止してる。 おれ・・何もしてやれないけど、」



彼の優しさが


どんどん溢れて伝わる・・




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