第54話 すれ違い(4)

「き、きのう記憶なくなっちゃって・・ひょっとしてウチまで連れて来てくださったんですか?」


おそるおそる斯波に言うと、


「た、大変だったんだぞ・・おまえ・・寝るから。」


斯波も彼女に背を向けて自分の部屋の鍵を閉めた。


「ね、寝ちゃったんですか・・」


「そうだよ・・鍵を差し込んだまま。この格好で寝ちゃうし。 何とか鍵を開けてやったら、鍵も閉めないで玄関先で寝てるし、」


「えっ・・」


そんな姿を彼にさらしてしまった、と思うだけで


萌香は赤面し、絶句した。


「ぜ・・ぜんぜん覚えてないです・・」


「だから、おれが合鍵でドアを閉めてやって。 ほんっと、記憶なくすくらい飲んだら危ないだろ。 そういうの狙ってくる男もいるし、」


「え・・」



斯波はエレベーターに乗り込んだ。



ぼうっとしている萌香に


「乗るの? 乗らないの?」


目を逸らしながら言った。


「の、乗ります。」



エレベーターに乗ったものの、言葉を交わすことができない。


もう


どうしていいのかわからないのだが、行き先も一緒なので同じ電車にも乗る。


いつもいつも混んでいる通勤電車。


「わ・・」


駅に着くたびに人が動いてよろめく。


萌香が倒れそうになったので、斯波は彼女の腕を掴んだ。



「・・すみません、」


人がたくさん乗ってきて、彼に抱きつくようになってしまう。


背の高い斯波は、高いところのつり革につかまって押されそうになる彼女の背中をそっと支えた。



ほんま、こんなんでも


恥ずかしい。


顔、上げられない。



萌香は赤面している自分の顔を見られたくなくて、ジッとうつむいた。


彼の大きな手のひらが自分の背中を支えてくれている、と思うだけで


胸の鼓動がどんどん速くなる。



だけど


その背中に回された手は


イヤじゃない


むしろ


すごく


すごく


安心できた。




一方の斯波は・・


あ~~、早く駅に着いてくれ・・


そればかりを考えていた。


彼女のシャンプーの匂いにもうめまいがしそうだった。


ゆうべ


彼女に抱きつかれた時の感触も思い出し。


片手で背中に回した手からも


彼女の華奢な身体が伝わってきて


本当に耐え切れなくなる。



何とか駅について、萌香もほっとしたように人の流れに押されてホームに降りた。


「すみません、」


と、謝る彼女に、


「べつに、」


斯波は大またでわざとそっけなく彼女の前を歩いていく。



その姿に、


「な、なんか怒ってます?」


萌香は彼を追いかけるようにそう言った。


「怒ってなんか・・ないよ。」


「だって、なんか・・ヘンです、」


「ヘンじゃないって、」



「私・・ゆうべ何かしましたか、」


気になっていたことを聞いてみた。



彼女のその言葉に自動改札を出て、斯波は足を止めた。




「あんなふうに気を許しちゃダメだ、」


斯波はつぶやくようにそう言って彼女に振り返った。



「え・・?」


「寂しいから、なんとかしてくれだなんて。 もう・・そんなん言ったら・・男のいいカモだ、」


「わ、私・・そんなこと言ったんですか?」


萌香は自分で驚いた。



「・・そんなに気を許すな。」


斯波はそう言うと、どんどん歩いて行ってしまった。


萌香はその場に立ちすくんでしまった。



気を許す?




涙が出そうだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る