第55話 頑な(1)

「あ、斯波ちゃん。 おっはよ。 会議室で志藤ちゃんと打ち合わせしよ。」


南はあんなに酔っ払っていたくせに、今日も元気だった。



「ああ、うん。」


「なに? 暗いなあ、」


南は彼の顔を覗き込む。


「別に。 ほら、とっととやろうぜ。 時間ないし。」


と資料を持って席に立つ。



彼女は


まだ現れなかった。



あんなこと言わなくても良かったのに。


なんであんなにイライラして言ってしまったんだろう。



あいつに隙があることを


おれがとやかく言う資格はあるのか?



斯波は自分の気持ちに戸惑いつつも、すごく後悔していた。





打ち合わせをしたあと、デスクに戻る。


「・・栗栖は来た?」


斯波はそこにいた八神に言った。


「あ、電話があって。 気分が悪いので休むそうです。 きのう、めっちゃくちゃ酔ってましたからね~、」


彼の答えに


「え・・」



斯波は動揺した。




「で・・どう?」


真尋はピアノを弾き終えて、後ろにいた斯波に言う。


「え? ああ、うん・・まあまあ・・かな。」


ハッとして言った。


「聴いてなかっただろ~。」


真尋はジロっと彼を睨む。


「え、」


「斯波っちがまあまあなんて言うことないし。 いいか悪いかどっちかしか言わねえだろ、」


彼の鋭い言葉に、ため息をついて、


「ごめん・・でも、聴きごこちはよかったというか・・」


「聴きごこちねえ・・それはホメ言葉?」


真尋は笑う。





9月に行われるリサイタルの曲目を決めなければならないのに、斯波は気もそぞろだった自分に反省した。



「なんかおかしーよ。 ぼーっとしちゃって。 斯波っちらしくねえなあ、」


「きのう、飲んじゃったから、」


「南ちゃんたちと?」


「うん・・」


「あんた飲めないじゃん、」


とまたジロっと睨まれた。


「ちょこっと飲んだ、」




さっきからずっと彼女のことばかりを考えている。


自分の言葉が彼女を傷つけてしまったんじゃないか、と思うだけで


胸が苦しくて


痛い。


あの子は


もう十分に傷ついている


これ以上傷つけることなんか


しなくてもよかったのに。



真尋のところから帰る途中、まだ夕方だったがマンションに寄ってしまった。


彼女の部屋のインターホンを押す。


応答がないので2度押した。



すると


「はい・・」


消え入りそうな声が聞こえた。



「あ・・おれ・・斯波だけど、」


「え・・」


萌香は少し驚いた。



「すみません・・具合が悪くなってしまって。 明日には良くなると思います。」


静かにそう言った。


「ごめん・・おれ、別にあんなこと言うつもりじゃなかったのに、」


斯波は素直に今朝のことを謝った。



しかし


「なんのことですか、」


萌香は事務的な声でそう言った。


「栗栖、」


「・・私は・・そういう女ですから。 男につけこまれる・・バカな女ですから、」


萌香は苛立ちが募り、つい声を荒げてしまった。


「だから、そういうつもりじゃなくて、」


「自分でそんなこと言ったたのは覚えてませんが・・もし、無意識に言ったとしたら、それは本音かもしれません。 誰でもいいから助けて欲しかったのかもしれません。 誰でも・・いいんです。」


半ば自棄になってそう言った。



本当に


もう、どうでもいい気がした。


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