第44話 ノクターン(1)

真尋のテレビ番組の収録が行われていた。


クラシック音楽を特集する番組で、ピアノの回のゲストに真尋が呼ばれたのだった。



問題のショパンの『英雄ポロネーズ』は


いまひとつ、ということで、斯波からプロデューサーに曲目の変更を申し入れた。


話し合いの末、楽曲は同じショパンの


『ノクターン第8番』に決まった。


斯波はリハから真尋につきそう。



ぜんっぜん


こっちのがいい・・


真尋はこういう


叙情的な雰囲気の曲の方が合っている




萌香もそのリハを見学にやって来た。


真尋のピアノは素晴らしいものだったが


それを聴いている斯波の横顔のほうに気を取られてしまった。


いつもいつも


難しい顔をして仕事をしている彼の顔ではなく


いとおしい子供を見つめるような目で


真尋を見ている。



本当に


音楽を愛しているんだろうな


真尋さんのピアノを・・愛してるんだろう、



その想いがひしひしと伝わる。




「あ~~! 萌ちゃんだっけ? 来てくれたの?」


リハを終えた真尋は嬉しそうに萌香に近づく。


「・・見学に。 テレビ収録の場は初めてなので、」


萌香は苦笑いをした。


そこに


「こんにちわ、」


絵梨沙も一緒に来ていて、真尋にタオルを手渡しながら、斯波たちに会釈をした。


「来てたの?」


斯波が彼女に言うと、


「ええ。 今日は八神さんも玉田さんもいらっしゃれないとうかがったので。 真鈴をお義母さんに預けて、私がつきそいで。 そうしないと平気で遅刻とかするし、」


絵梨沙は笑った。



斯波はふと気づいて、萌香に


「真尋の奥さんで、ピアニストの沢藤絵梨沙さん。 今は育児休業中だけど、ウチ所属のピアニストなんだ。」


と絵梨沙を紹介した。


「・・初めまして。 栗栖です。 4月から事業部でお世話になっています。」


萌香は丁寧にお辞儀をした。


「こちらこそ、」



こんなにキレイな人が来たんだ・・


絵梨沙はちょっと驚いたように慌ててお辞儀をした。


「ね、本番も見ていく?」


真尋は嬉しそうに萌香に話しかける。


「・・ええ。 せっかくですので。」


「よっしゃー! はりきっちゃおうかなあ・・」


ルンルンの真尋を見て



まったく


張り切っちゃって



絵梨沙はこっちも心配だった。



収録はプロデューサーもうなるできばえだった。


真尋の表情もいつもの彼ではなく


目を閉じて


神経の全てを指先に集中して、それが鍵盤に乗り移る。


見かけとは違って


繊細なタッチで。



もう何度も聴いているはずなのに


斯波はこのピアノに胸をぎゅっとつかまれるような


そんな感覚に陥る。


萌香も目を閉じてこの心から安心できる空気の中に


身をゆだねた。



心が


洗われるって


こういうことだ


嫌なことも全て忘れてしまうように。



「あ、終わった?」


志藤も顔を出す。


「あれ、なんで志藤さんまで来るの?」


真尋が汗を拭きながら言う。


「や・・もう7時やし。 ちょっとみんなでメシいかないかな~~って。」


志藤はそう言ってからすかさず絵梨沙に


「エリちゃんも来てくれてることやし! さっき南に聞いたらな、今日は早く帰って竜生たちの面倒見てくれるっ言ってたから! たまには行こうよ、」


甘えたようにそう言った。


「ケッ・・みえみえ。 いちいち絵梨沙に近づくなよ、」


真尋は二人の間に割って入った。


「ま、ジョーダン抜きで。 南ちゃんに子供たち頼めるなら、たまには絵梨沙も行こうよ。 斯波っちも・・もちろん、萌ちゃんも!」


自分のことを思いっきり棚にあげる真尋に


「おまえかてみえみえやろ!」


志藤は後ろから突っ込んだ。

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