第36話 涙(3)

萌香はだんだんとぼんやりした状態から抜け出しながら



この人が


本部長の奥さん



ゆうこの優しい笑顔と志藤のイメージが重ならずに、少し驚いたりした。




リビングに行くと、朝食を食べていた子供たちが萌香を見る。


「あれ、だれ?」


「パパの会社の人よ。 昨日遅くなってしまって、お泊りしたの。」


ゆうこが説明した。


「ふうん・・おはよーございます。」


ひなたとななみが小さな声でそう言った。


「・・おはようございます、」



萌香は子供が4人もいることにも驚いた。


「きれーなおねえさんですね・・」


ひなたはボソっと言った。



カワイイ子・・



志藤にソックリなひなたを見て、そう思った。



そして、ハッとして


「すみませんでした・・ご迷惑を、」


萌香はゆうこに言った。


「いえ。 ちょっとびっくりしましたけど・・彼の大事な部下の方ですもの。 気にしないで下さい。」


ゆうこは爽やかに笑う。


「ひなた、パパを起こしてきてくれる?」


「え~、ひなた、テレビ見ようと思ったのに、」


「お願い、手が離せないから。」




ゆうこは末っ子のこころにゴハンを食べさせていた。


「はあい、」


ひなたは上に上がって行った。


「お子さん、4人いらっしゃるんですか、」


萌香はボソっと言った。


「ええ。 けっこう年がくっついているんで大変です。 栗栖さん、ゴハン食べられますか?」


「え・・ええ・・」




しばらくして眠くてしかたがないと言う風な志藤が降りてきた。


「あ・・あの、」


萌香は立ち上がる。


「ほんま、勘弁してくれよ。 めっちゃ重かった・・。 無茶のみするから。 ほんまにおれが悪い男やったらどないすんねん、」


わざと冗談めかして笑った。


「す、すみません・・」


萌香は恥ずかしくなりうつむいた。




「・・昨日のこと、あんまり覚えてへんやろ、」


志藤は椅子に座った。


「・・あまり、」


断片的にしか記憶がなかった。


志藤はゆうこが淹れて来た濃い緑茶を飲んだ。



二人は志藤が運転する車で出勤した。



「昨日、おれに話したことは全部、覚えてる?」


志藤は萌香に言った。


「・・だいたい・・」


萌香は小さな声でそう言った。


「本部長のお考えどおりに。 私は・・どうなってもいいですから、」


「そんなこと、言うな。」


志藤は静かに彼女を諌めた。



彼女の過去の話を聞いたあと、志藤は萌香から斯波の話を何度もされた。


「・・あの人『愛人』なんか嫌いやって。 私のことサイテーな女やと思ってるんです、」


同じことを何度も言っていた。


泣きながら。


「あの人も小さい頃の環境で・・女なんか大嫌いやて言うてました。 ほんまに私のこと・・嫌いなんです、」


あまりにも彼のことを口にするので


「栗栖は・・斯波が好きなの?」


と聞いてしまった。


「え・・?」



びっくりして萌香は涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。


「・・なんか、好きみたいやけど・・」


少し遠慮がちに言うと、


「す・・すき?」




萌香は頭が混乱した。



男の人を


好きになったことなんか


本気で好きになったことなんか


なかった



生まれて初めて、と言っていい


自分のその気持ちに少しパニックになった。



「す、好き・・なわけないやないですか・・」


慌てて否定する。




こんな私が


男の人を


好きになるなんて


ありえない。




自分の気持ちに頑なに封をするように。


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