第12話 一面(1)

それからも


萌香は誰にも心を開くことなく


黙々と


仕事をこなしていった。




斯波は広告代理店との打ち合わせが長引き、社に戻るのが遅くなってしまった。


エレベーターを降りて、休憩室の前を通ると話し声が聞こえて思わず足を止めた。




「・・せやから・・仕事が終わらへん。 行かれない。」



萌香だった。



携帯で誰かと話をしている。




「むちゃ言わないで・・こっちに来たばかりでいろいろ大変なの。 それはわかってるけど、ほんまにいつもいつも強引なんやから、」



彼女の関西弁を初めて聞いた。






そして


斯波の視線に気づいて、ハッとして背を向けた。



事業部のみんなはもう帰ってしまって誰もいなかった。


萌香はしばらくすると斯波がひとり仕事をするそこに戻ってきた。




「・・もう遅いから。 帰れば?」


タバコをふかしながらそう言った。



「気にしていただかなくて・・結構です。」


萌香はいつもと同じように顔色を変えずにそう言った。


「・・カレシ、待ってるんじゃないの?」


と言うと、萌香は驚いて彼を見る。



「立ち聞きしていたんですか、」



「聞こえちゃったの。 帰ってやったら?」





そのタバコを灰皿に押し付けながら言う。



「待ってなんかいません、」


萌香は小さな声で言った。



「え・・?」


斯波はハッとして彼女を見る。



「待ってなんか、」




顔を背けた彼女の横顔が


長い髪に隠れた。



隣に座っている斯波は彼女が少しだけ


鼻をすする音が聞こえた。




泣いてる?



だけど・・


そんなことを聞いたら。


きっと彼女はまたものすごい顔をして睨むんだろうな・・




斯波は


なんだか


とても彼女のことが気になった。





萌香が仕事を終えて社を出ると


「ずいぶん、待たせてくれたなあ、」


男が待ち構えていた。


「・・なんで、ここまで・・」


萌香は驚いた。



「明日はもう大阪にもどらなアカン。 今夜しかいられへん、」


「勝手なことを言わないで・・」




斯波も帰ろうとして、その光景を目撃してしまった。



「おまえに断ることはでけへんで。 わかってるやろ?」


一見、50半ばくらいの中年紳士だった。


「もう・・自由にさせてください、」


萌香は京都弁で泣きそうなほど弱々しくそう言った。



「それは・・アカンな。 東京に来たって。 私からは逃れられない、」





そう微笑まれ


萌香はうつむいたまま彼についていこうとした。



斯波は


自分でも不思議なくらい


体の中から


力が漲ってきた。



感情に突き動かされることなんか


自分にはありえないと思っていた。



しかし


彼女の背中が


あまりにも


あまりにも


泣いていた。





「栗栖!」



後ろから思わず彼女を呼び止めた。



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