第3話 始まりの春(3)

エレベーターの中でもいや~な沈黙が続く。


正直


女性と話すことなんか


歯を磨くことと同じくらい簡単なことで。


話すことに困るだなんて


今まで


一度も経験したことがない!



志藤はこんな状況は生まれて初めて、と言ってよかった。




「本部長は大阪支社にいらしたんですよね・・」


彼女のほうから口を開いた。


「あ・・うん。 秘書課に、」



萌香は美しい笑顔を見せて、


「噂はきいています。 いろんな意味で伝説の人だと。」


と言った。


「は・・?」




エレベーターのドアが開いて、彼女はまたヒールの音を大きく立てて早足で歩いていく。



なんやろ。


ニッコリ笑ってても


目が


笑っていなくて。



あんなにキレイなのに


怖いくらいに


瞳の中が鋭い。




志藤は萌香の持つ異様な雰囲気の理由が


まったく読めず。



おっ??



いきなりの美女の登場に


事業部の空気は一変した。


「大阪の企画から来た栗栖萌香さん。 ここも企画の分野が手薄やったし。 仕事は南と分担してやって、」


志藤は軽く紹介した。



「OK。 ほんまにここ女があたし一人やったし。 よかったあ。 よろしくね。」


南はいつものように人懐っこく萌香に微笑んだ。


「専務の奥さまですよね?」


萌香はニコリともせずに南に言った。


「え? あ~、まあ。 はあ、」


南は曖昧な返事をした。


「よろしく、お願いします。」


萌香はクールな表情で会釈をした。



「おれは今は取締役になって、事業部のことはほとんど、この斯波に任せてるから。 仕事のことは彼に聞いて。」


志藤は斯波を見やりながらタバコに火をつけた。



萌香はその長身でノーネクタイの短髪にヒゲが印象的な彼を見た。


「栗栖です。 どうぞよろしく、」


「・・斯波です、」


無口な彼は


それ以上何も言わなかった。



「なんなんスか? あの重厚な雰囲気・・」


八神は南にコソっと耳打ちした。


萌香は早速、資料の山に目を通している。




「さあ・・。」


「すんごい美人ですけど。 すんごい冷たそうな・・」


「ん、」



さすがの南も


簡単に彼女に踏み入れることはできそうもない気がしていた。




萌香は出社1日目から、残業をしてひとり残っていた。


「あれ? まだいたの? もう帰ってもええんちゃうの?」


志藤が打ち合わせから戻ってきて、まだ彼女ひとりがいたことに驚く。


「私はクラシックには素人なので。 資料を読ませていただいていました、」


萌香はなんでもなかったかのように言うが、デスクにはたくさんのファイルが積まれていた。


「一気にこんなん無理やで。 おいおい覚えていってくれればええから、」


「企画の仕事はその仕事をわかってないとダメなので、」


関西出身のはずなのに


イントネーションがまったく標準語なのも気になる。



少しの静寂の後、


「私のこと、聞いているんですよね、」


萌香のほうから口を開いた。


「え?」


目を通していた資料から志藤のほうに視線を移す。



「ここに来た理由、」



志藤は小さく、


「ん、」


とうなずいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る