004 真面目に考えて下さい
キッチンで冷たい麦茶を飲んでいると、昇太兄ぃが帰ってきた。琢人の家に行ってから、もう三時間が経っている。この間ずっと、あのパンツオタクの熱弁に付き合ってたんだろうか。
「何かいい話でも聞けた?」
「うむ、実に有意義な時間だった。彼はいずれ、世界に名だたるパンツコレクターになるだろう」
どん! と音を立てて、テーブルにコップを置く私。
「そ・う・じゃ・な・い・で・しょ」
私に睨まれて、馬鹿兄貴は口をつぐんだ。
「……ああ、そうだったな。彼は、普段から近所をうろついて女性用パンツが干してある家を探しているそうだ。これも趣味の一環だと言っていた」
「それって」
あいつ、下着泥棒なんだろうか。
「いや、違うと思う。あくまで彼の言い分だが、干してある下着を見て、次に購入するパンツの目星を付けていたらしい。パンツは盗むものではなく買うもの、これが彼なりの美学らしい」
「あ、そ」
身を乗り出した私が馬鹿だった。すとん、と椅子に座り直して天井を仰ぐ。
「……なーんかさ、余計に話がこじれてきてない?」
犯人を捜すと息巻いてみたものの、結局は有力な情報を得られないまま。捜査が暗礁に乗り上げてしまった。
「そうだな。動機面から調べるのが無意味だと解っただけだ」
そういや、ミステリなんかでは刑事がいつも動機から調べて失敗していたっけ。
「ね、一度事件を整理してみない?」
「そうだな」
「じゃ、まずは時間関係からね。私が下着を取り込んだのが昨日の午前八時ごろ」
私はチラシの裏にボールペンで走り書きした。
「俺が外出したのは午前八時十五分ごろだったな」
二人で記憶を辿りながら、チラシの空白を埋めていく。これまではっきりしなかった時間も推理しやすくする為に書き込んでおいた。
そうして出来上がったのが、こんな感じのタイムテーブルだった。
●8月8日(水曜日)※昨日
午前7時30分:起床、洗面、シャワー(施錠あり)
午前8時00分:私が洗濯物を取り込む
午前8時15分:昇太が就職先へ出掛ける
午前8時20分:私がトイレの為に部屋を出る(施錠なし)
午前8時25分:部屋に戻って執筆
午後0時00分:昼食の為、部屋を出る。ついでにトイレ(施錠あり)
午後0時30分:部屋に戻って執筆
午後1時10分:昌也が部屋に入る
午後1時15分:昌也を残し、私が部屋を出る。キッチンへ
午後1時30分:お茶を持って、私が部屋に戻る
午後1時45分:昌也、帰る。〈オレンジページ〉廃棄準備、執筆再開
午後6時30分:夕食の為、部屋を出る。ついでにトイレ(施錠あり)
午後7時00分:部屋に戻って執筆
午後11時50分:私がトイレの為に部屋を出る(施錠あり)
午後11時55分:部屋に戻って執筆
●8月9日(木曜日)※今日
午前1時00分:私、就寝(施錠あり)
午前9時00分:起床、シャワーへ(施錠あり)
午前9時30分:下着の盗難が発覚
「意外と覚えてるもんだね」
ちなみに、昌也君が私の部屋に入ったのは、厳密に言えば昨日の午後一時ちょっと過ぎ。ただ、彼が家に来てから部屋に入るまでには数分程度しか経っていないから、このタイムテーブルでも推理に支障は無いはずだ。
「あれ? そういや昇太兄ぃは、いつ帰ってきたの」
タイムテーブルを見ていたら気付いたので尋ねてみる。
「昨日の夜十一時ごろだな」
「やけに遅かったね」
「ああ。就職先で仕事のやり方を学んでいたのだが、そのあと駅前の居酒屋に連れて行かれてな。社会人になるのだから、酒の席も経験しておけと言われた」
「へぇー」
「それはさておき。こうして見ると、ほとんどの時間は部屋が施錠されているか、お前が居るかのどちらかになるな」
「そうだね」
相槌を打ちながら、誰かが部屋に侵入した可能性を考えてみた。
まず、部屋に鍵を掛けている間は誰も中に入れない。次に、私が部屋に居る間は、誰も中に入ってこなかったのを覚えている。例外として、昌也君が部屋に入っているけれど、彼がパンツを盗んだとは思えないから(実際、持っていなかった)、少し乱暴ではあるけれど誰も侵入していないと考えて良さそうだ。
それから、唯一部屋が無人で、施錠もされていなかったのが、昨日の午前八時二十分から午前八時二十五分までの間。私がトイレに行っていた時間だ。でもこの五分間は、家に来た人がいないから、私の部屋に誰も入ってないと考えられる。
と、その時。私はあることに気付いた。
「これ……もしかして『密室』ってやつじゃない?」
本格ミステリには、『密室もの』というジャンルがある。誰も部屋に入れないはずなのに、部屋の中では犯罪が行われていたというものだ。割と古いジャンルだけど、不可能犯罪の典型としてその手のファンには未だ根強い人気を誇っている。
「よく気付いたな。俺も今、同じことを考えていた」
「これ、どういうこと? 誰も部屋に入っていないのに、私のパンツだけが無くなってるなんて」
いざ体験してみると、犯人がどうやって部屋に入り、そしてパンツを盗んだのか全然分からない。それこそ魔法でも使ったんじゃないかと思えてしまう。
「何者かが部屋に侵入した後、出る時に元通り施錠した可能性があるな」
「でも、私しか部屋の鍵持ってないよ?」
「鍵を使わずに解錠する方法なら幾らでもある」
「ピッキングとか?」
「それも一つの方法だな。あと、窓から侵入した可能性もある」
でもって、部屋を出る時に窓の鍵を掛け直したってことか。
「いずれにせよ、お前の部屋を詳しく観察してみる必要があるな。行ってみよう」
昇太兄ぃに続いて、私もキッチンを出た。
私の部屋は二階にある。
階段を昇ってすぐ右手にドア、そのドアは階段と反対側に向かって開く片開き式のものだ。
そのドアを通ると、部屋の左奥にはベッドがあって、右奥にはノートパソコンを置いた机。ベッドと机の間には掃き出し窓(天井から床までの間の壁面がガラス張りになっている窓)が見える。その掃き出し窓の外には、私がいつも下着を干しているバルコニー。
出入口のドアを入って左側の手前にはタンスとクローゼットが並んでいて、今回盗まれたパンツの入っていたタンスは、掃き出し窓の方向に引き出しを出せるようになっている。そのタンスとベッドの間には、姿見が置いてある事も付け加えておこう。【参照URL→https://ioriinorikawa.web.fc2.com/mroom.html】
「まず、ドアを調べてみよう」
と言って、昇太兄ぃはルーペ越しに観察を始める。
「どう?」
「ドアの合わせ目には傷が付いていない。いつだったか、施錠されたドアの隙間からL字型に曲げた針金を差し込んで、ドアの内側に付いているサムターンを回し解錠する泥棒の手口が防犯番組で取り上げられていたが、その類ではなさそうだ」
「ドアが施錠されてない時に部屋へ入って、出た後にテグスを使ってドアの外からサムターンを回す方法ならどうかな」
「確かに。その方法もあるが、今回は違うだろう」
「何で?」
「ドアの合わせ目は金属製だが、壁の方の合わせ目は一部木製だ。木製なら、テグスといえども擦った跡ぐらいは残りそうなものだ。しかし観察してみると綺麗なものだと分かる」
うーん、ドアからの侵入・脱出は考えにくいってことか。
「じゃあ、窓はどう?」
とは言ってみたものの、この部屋は二階で、窓の外はバルコニーだから、犯人がそこから入るのは無理があるような。しかもバルコニーの向こう側には、道を一本挟んで雑木林のある公園が。二階のバルコニーから侵入しようものなら、公園から丸見えだと思うんだけど。
「どれどれ、窓の錠前は」
掃き出し窓の錠前は、クレセント錠と呼ばれるものだ。横から見ると三日月のような形をしていて、つまみの部分を上にすると鍵が掛かり、下にすると鍵が開く形式のもの。
「ふむ。クレセント錠にも傷は付いていない。窓と窓の合わせ目にも傷が無いし、窓と壁の間は凸凹しているから、隙間から何かを差し込むのは無理だろう」
結局、窓の鍵を開けて侵入した可能性も消えてしまった。となると益々、昨日はこの部屋が侵入不可能だったのだと思い知らされる。
「では続いて、部屋の中を調べてみよう」
「えっ?」
私が考えている間に、昇太兄ぃはいきなりクローゼットを開けた。
「ちょっと待ってよ! 開けなくてもいいでしょ!!」
その中には……文フリで買った同人誌がッ! 十八禁ではないけれど、兄貴に見られるのは恥ずかし過ぎる!!
「いや、何者かがここに潜んでいた可能性を検証しなくてはな」
もっともらしい事を言いながら、昇太兄ぃは顔をニヤつかせている。
「ほう、きちんと整理されているではないか。これでは誰かが何らかの方法で部屋に侵入し、この中に隠れることもできそうにないな」
くっそー、何その余裕! 『女の子の秘密を覗いてやったぜ』みたいなドヤ顔しないでぇぇぇぇぇ!!
「そしてこのタンスだ」
私が赤面してクローゼットの扉を閉めている間に、昇太兄ぃは向かって左隣のタンスを開けていた。
「こちらも整理が行き届いているな。下着が標本のようだ」
「ぅっだぁ!」
私は音速を超える勢いでタンスの引き出しを納める。
「続いてパソコンを」
馬鹿兄貴は私の突進をひらりと躱して、机の方に行ってしまった。ノートパソコンは開いたままスタンバイの状態にしてあるから、マウスを動かした途端に執筆中の作品が画面表示される。
「見・な・い・でッ!」
ばちん、とノートパソコンを閉じる私。危なかった、もう少しで濡れ場のクライマックスを見られるところだったよ……。これを見られたら余裕で死ねる。
「お……?」
私が昇太兄ぃを押しのけたせいで、彼がよろめいた。そのまま三歩後退して――
ぼふっ。
ベッドにダイビングしやがったこの野郎!
「ああ……めぐりの匂いがする」
おいこら、枕に顔を埋めるな!
「いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
半狂乱になって、私は机の脇に置いてあるものを掴んだ。それを馬鹿兄貴目がけてぶん投げる。
命中。
ひとまとめにされていた〈オレンジページ〉の紐が解けて、ベッドの周りに散らばった。
「何をする。俺は真剣に捜査を――」
嘘つけ。絶対あんた、私の部屋を掻き回すのが目的だっただろ。
「もういいから、出てって!」
私はドアを指さすと、迷探偵に命じたのだった。
……はぁ。
何だか馬鹿馬鹿しくなってきた。最初っから昇太兄ぃは犯人を捜す気なんて無かったに違いない。部屋を荒らすだけ荒らしておいて、結局何も分からないまま。ちょっとでも期待した私が間違ってたよ。
ベッドに腰掛けて、窓の外を眺める。外はいい天気で、昨日の強風が嘘みたいに思えた。
「……そういや昌也君。昨日は強風の中、家まで来てくれたんだよね」
強い風が吹く中で自転車を漕ぐのは大変だっただろう。しかもあんな大きな弓を担いで。
昌也君は私のこと大事にしてくれたし、自分の性欲を満たすだけの為に「えっちしよう」なんて言いもしなかった。あれで下着の匂いを嗅いでなきゃ……彼氏彼女の関係を続けていられたんだろうな。
ベッドの周りに散らばった〈オレンジページ〉を拾い集めた。
覆水盆に返らずとはよく言ったもので、こうして散らばった雑誌を元通りに括り直すことは出来ない。括り直したとしても、以前とまったく同じように纏める事はできないのだ。
それと同じで、私と彼の関係は二度と修復できないだろう。万が一よりを戻したとしても、昨日の出来事が記憶に残ってしまっているから、どこかぎこちない間柄になってしまいそうな気がする。
一冊ずつ回収していると、ベッドの下にも雑誌がある事に気付いた。
八月二日発売の〈オレンジページ〉。私が昌也君の為に買った、最後の一冊……。
「ああっ、もう! やめやめ」
未練抱いてたってしょうがない。彼のことはもう忘れよう、ついでにパンツのことも綺麗さっぱり忘れる。私は前を向いて生きるんだ。
「めぐり、犯人が分かったぞ」
突然、ドアを開けられた。その向こうに見えるのは、自信に満ち溢れた昇太兄ぃの顔。シャーロック・ホームズのコスプレをしたままだったけど、顔は真剣そのものだった。
「穴だ。公園の木に、穴が空いていたのだよ!」
興奮ぎみに言う兄貴。この時はまだ、彼の言いたいことが理解できなかった。
【読者への挑戦状!】
推理に必要な手がかりは全て開示された。
このしょーもない物語の結末は、果たして君の予想通りだろうか?
読者諸君の明晰な頭脳に作者は期待している。
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