第13話
「明日香さん、樋田さんはいったい、どこに行くんでしょうかね?」
「たぶん、凶器の隠してあるところじゃないかしら? ちょっと揺さぶるだけのつもりだったけど、こんなに早く動いてくれるとはね」
「凶器ですか? もう、処分したんじゃないでしょうか?」
「樋田さんは、なんでも捨てられない人――そういうことかしら……」
いや、そうはいっても、凶器まで捨てずに取っておくのだろうか?
「明宏君、見つからないように、見失わないようにね」
「はい」
幸いにも夜なので、気づかれることはないだろう。僕は見失わないように、運転に集中した。
尾行を始めて、数分くらい経った頃だった。
「あれっ? 明日香さん、この道路に見覚えがあるような気がするんですけど」
僕は、今日この道路を通った記憶があった。
「どうやら、あの劇場に向かっているみたいね。凶器の隠し場所は、そこで間違いなさそうね」
20分後、タクシーは劇場の前で停まった。
樋田さんがタクシーから降りて、劇場に向かったのを確認すると、僕たちは車を駐車場に停めて劇場に向かった。
「明宏君、行くわよ」
僕たちは、劇場に向かう階段を、ゆっくりと下りていった。
僕は、劇場のドアを開けようとしたけど、ドアは開かなかった。
「明日香さん、開きませんよ。もしかして、ここじゃないんでしょうか?」
「このドアは、客席のドアよね。他に、出演者やスタッフの出入りするドアがあるはずよ。通路の奥の方へ行ってみましょう」
僕たちは、通路を奥へと進んだ。
薄暗い通路を奥の方まで進んで行くと、少し開いたドアが見えてきた。ドアの向こうから、灯りが漏れている。
僕は、明日香さんと顔を見合わせた。
僕は、そっとドアに近づくと、ドアの隙間から中の様子を窺った。
「誰も、いないみたいですね」
僕は、ドアを開けた。
「やっぱり、誰もいませんね」
「奥にも、ドアがあるわ」
と、明日香さんが、奥の方を指差しながら言った。
ドアがいくつかあるが、そのうちの一つのドアが、少し開いていた。
「あそこね。行きましょう」
と、明日香さんが言った。
僕は、ドアを開けた。
そこは、倉庫のような場所だった。舞台で使うのであろう、大道具や小道具が並んでいた。
そして、樋田さんは、そこの一番奥に居た。
「な、なんで、あんたたちが――」
樋田さんは、突然現れた僕たちを見て、とても驚いている。
「樋田さん、今、隠したものを、見せていただけますか?」
と、明日香さんが聞いた。
「な、何のことだ?」
「それですよ。その包丁です」
樋田さんの右手には、包丁が握られていた。その包丁には、血のようなものが、付着していた。
「こ、これは――ぶ、舞台で使う小道具だ!」
「小道具ですか。ちょっと、貸していただけませんか?」
「駄目だ! これは、舞台で使う大切なものだ! だいたい、勝手に入ってきて失礼だろう! 今すぐに、ここから出ていけ!!」
樋田さんは、かなり興奮している。
なんとか取り押さえたいところだけど、樋田さんの右手には包丁が握られている。飛びかかるのは、あまりにもリスクがありすぎる。
樋田さんは、包丁を振り上げた。
「分かりました。私たちは、出ていきます。明宏君、行きましょう」
と、明日香さんが言った。
「えっ? いいんですか?」
「仕方がないわよ。私たちには、何の権限もないんだから」
「所詮は、女だな。痛い目に合わないうちに、とっとと消えな!」
と、樋田さんは、勝ち誇ったように言った。
そのときだった――
なにやら、倉庫の外の方が騒がしくなってきた。
「なんだ?」
と、樋田さんが呟いた。
「樋田さん。私たちは、出ていきますけど。代わりに、とても強い権限を持った方々がいらっしゃいましたので、これで失礼いたします」
「代わり?」
樋田さんが、きょとんとしていると、そこへ数人の男たちが入ってきた。
「樋田哲雄だな。山元陽子さん殺害の件で、お前に聞きたいことがある。署の方まで、同行してもらうぞ」
と、荻野警部が言った。男たちの先頭にいたのは、荻野警部だった。
「工藤、包丁を取り上げろ」
「はい」
工藤刑事が、まだ状況をよく飲み込めていない樋田さんの手から、包丁を取り上げた。
「ま、待ってくれ! 俺が、殺したっていう証拠でもあるのか! 逮捕状は、あるのか!」
「うるさい! お前、その包丁で女探偵を殺そうとしただろう?」
「い、いや……。それは……」
「お前が殺意を持った目で、包丁を振り上げたのを、この目ではっきりと見たぞ。その現行犯だ! 工藤、連れて行け」
「はい」
工藤刑事と他の刑事に連れられて、樋田哲雄は連行されて行った。
僕たちの前を通り過ぎるとき、工藤刑事が、「ご協力、ありがとうございました」
と、頭を下げた。僕たちも、頭を下げた。
「おい、女探偵。二人にも話が聞きたい。時間は遅いが、一緒に来てもらうぞ」
「もちろんです。荻野警部」
と、明日香さんは微笑んだ。
僕たちが警察署から出てきたときには、すでに日付が変わっていた。
「やあ、二人とも遅くまで大変だったな」
「鞘師警部!」
僕たちを出迎えてくれたのは、鞘師警部だった。
「鞘師警部、どうしてここに?」
と、僕は聞いた。
「明日香ちゃんから、メールをもらってね。それで私が、荻野に連絡をしたんだ」
「途中で、劇場に向かっているって、分かりましたから」
と、明日香さんが言った。
「その後、工藤から、君たちがこちらに居ると聞いてね」
「それで、わざわざ来てくれたんですか、ありがとうございます」
と、僕は言った。
「今日は、もう遅い。君たちも早く帰って、休んだ方がいい」
「鞘師警部、まだ一つ心配なことが――」
「ああ、分かってる。清水亜依さんのことだな」
「はい」
「明日の――いや、もう今日か。今日の朝には、テレビで犯人逮捕のニュースが流れるだろう。そうすれば、彼女も自ら出てくるだろう」
「そうだといいんですけど」
「どちらにせよ、朝になってからだ」
「分かりました」
仕方がない。
帰ろうと思ったが、僕は重要なことに気が付いた。
「明日香さん、今から探偵事務所に帰っても、終電が――」
もう、終電の時間には間に合わない。
こ、これは、明日香さんの部屋に――と、と、と、泊まれるのでは?
僕は、よからぬ妄想が膨らみ、ドキドキしてきた。
「そうね――」
と、明日香さんは一瞬、考え込んでいたが、「鞘師警部、悪いんですけど、明宏君を、送っていってもらえませんか? 私は、自分で運転して帰りますから」
と、言った。
「そ、そんな、鞘師警部に悪いですよ」
「私は、別にかまわないが――いいのかい?」
「――いいのかいって、なんでしょうか? それじゃあ、お願いしますね」
と、明日香さんは言うと、自分の車に乗って帰っていった。
「明宏君、私たちも帰ろうか」
と、鞘師警部は、僕の肩を優しく叩いた。
翌日――
僕は明日香さんと工藤刑事と三人で、探偵事務所にいた。今朝、ある人から連絡があり、探偵事務所で待っていた。
ちなみに、どうして工藤刑事が一緒にいるかというと、ある人が『荻野警部は、嫌だ』と、話しているからだ。
そこで、鞘師警部に連絡をして、工藤刑事に来てもらったのだ。
その、ある人とは――
探偵事務所のドアが開いて、辻田さんが入ってきた。そして、辻田さんの後ろには――
「あっくん……」
亜依ちゃんがいた。
「亜依ちゃん、元気そうだね」
僕は、なんと言ったらいいか分からず、とりあえずそう言った。
「うん。心配をかけて、ごめんなさい」
「いや、いいんだよ」
「私の方からも、謝ります。ご迷惑をおかけしました」
と、辻田さんが、頭を下げた。
「どうやら彼女は、友達のところに隠れていたようです。今朝、ニュースを見て、私のところに連絡をしてきました」
と、辻田さんが言った。
「それじゃあ、警察署の方で話を聞かせてもらえるかな?」
と、工藤刑事が言った。
「分かりました」
と、亜依ちゃんは頷いた。
「私も、一緒に行ってよろしいでしょうか?」
と、辻田さんが聞いた。
「もちろんです」
と、工藤刑事が言った。
工藤刑事が、亜依ちゃんたちを警察署に連れて行くと、探偵事務所には、僕と明日香さんが残った。
「明日香さん、亜依ちゃんが何か罪に問われることは、あるんでしょうか?」
「どうかしら? そんなことにはならないように、荻野警部がちゃんとしてくれるわよ」
荻野警部か――
大丈夫かな?
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