第11話

 明日菜ちゃんが、舞台の稽古を見に行く約束をしている時間が、午前11時30分頃ということなので、道に迷って遅れてしまうことがないように、少し早めに探偵事務所を出発をすることにした(何故か僕たちは、道に迷って遅れることが、結構あるのだ。まあ、明日香さんの車には、カーナビがないからだが)。

 いつものように、僕が明日香さんの車の運転席に座り、明日香さんと明日菜ちゃんは後部座席に座った。


「ねえ、明日菜ちゃん。明日菜ちゃんの知り合いの元モデルの人って、女の子?」

 と、僕は運転をしながら聞いた。

「うん、そうだよ。中井架純なかいかすみちゃんっていう、私と同い年の人。去年モデルを辞めて、昔からの夢だった女優にチャレンジをしているの。まだ、テレビドラマとかには、ほとんど出たことがないんだけど、演技はとても上手なんだよ」

 明日菜ちゃんと同い年ということは、21歳か。

 20歳の若さでモデルを辞めて、夢だった女優にチャレンジをするなんて、なんて素晴らしいんだ。僕は、ちょっと感動してしまった。

 しかし、演技がお世辞にも上手いとはいえない明日菜ちゃんが、テレビドラマに出たことがあるのに、演技が上手い人が出れないなんて、世の中は理不尽だな(明日菜ちゃんには、言えないけど)。

 まあ、明日菜ちゃんの言う、『とても上手い』が、どれほどのレベルかは分からないけどね。

「そうだ、架純ちゃんが演技をしているところの動画があるんだけど、明宏さん見る?」

 と、明日菜ちゃんが携帯電話を取り出して、いきなり運転中の僕に動画を見せようとしてきた。

「ちょっ、ちょっと、明日菜ちゃん。危ないから、今はいいよ」

 僕は、慌てて拒否した。

 僕は、運転免許を取得してから、無事故無違反を続けている。こんなところで違反を犯したくないし、事故でも起こせば大変だ。

「明日菜、私が見るわ」

 と、明日香さんが、明日菜ちゃんの手から携帯電話を取り上げた。

「やっぱり、お姉ちゃんも、お芝居に興味があるのね。お姉ちゃんも、芸能界に入る? 私が、いい事務所を紹介するよ」

 と、明日菜ちゃんが、いつものように的外れなことを言い出した。

「私は、いいわよ」

 と、明日香さんは、素っ気なく言った。

「全然大丈夫だよ。お姉ちゃん、結構かわいいし。見た目は、20代半ばに――」

 と、明日菜ちゃんが言いかけたところで、明日香さんがギロッと明日菜ちゃんを睨み付けるのが、ミラー越しに見えた。

「あっ!」

 明日菜ちゃんが、しまったという表情で、口を押さえた。

「確かに、上手いわね」

 と、明日香さんが言った。

 今、明日菜ちゃんは、『見た目は、20代半ばに』って、言いかけたよな?

 ということは、明日香さんは30代なのだろうか?

 いや、本当は20代後半だけど、見た目は20代半ばということだろうか?

 今まで謎だった、明日香さんの年齢に繋がる、大きなヒントだな。

 まあ、明日香さんが20代だろうが30代だろうが、僕の明日香さんへの愛は変わらないのだ!

 そんなこんなで、約束の時間を15分ほど過ぎて、僕たちは稽古場に到着したのだった。


「ちょっと、遅れちゃったわね」

 と、明日菜ちゃんが、携帯電話の時間を見ながら言った。

「遅れたのは、明日菜のせいじゃない。途中で、急にトイレに行きたいなんて言い出すんだから」

 と、明日香さんが言った。

「お姉ちゃんだって、行ったじゃない」

「明日菜が行ったから、ついでに行っただけよ」

 と、姉妹二人で言い合いながら、稽古場の建物のなかに入っていった。


「ここの地下一階に、小さな劇場があるの」

 と、明日菜ちゃんが言った。

 僕たちは、少し薄暗い階段を下りていった。

「明日菜ちゃん、僕たちの他にも、見学に来ている人がいるの?」

 と、僕は聞いた。

「架純ちゃんの話では、何人かいるみたいだけど」


「ここよ」

 と、明日菜ちゃんが言いながら、ドアをゆっくりと開けた。

 僕たちは、劇場の中に入った。客席は、50席くらいだろうか?

 僕は、こういうところに来るのは初めてだけど、凄く狭く感じる。客席には、誰も座っていなかった。

 僕は、キョロキョロと劇場の中を見回したけど、劇場の中は誰もいなかった。

「明日菜、誰もいないじゃない。本当に、ここなの?」

 と、明日香さんが言った。

「ここの、はずだけど……」

 と、明日菜ちゃんは、少し自信がなさそうだ。

 僕は、舞台の上を見てみた。舞台の上には、机やイスが置いてあり、ちょっとした小道具みたいなものが置きっぱなしになっていた。

「明日香さん、ちょっと前まで、誰かいたんじゃないですか?」

 と、僕は言った。

「そうみたいね」

 と、明日香さんは頷いた。

 ついさっきまでいた人たちが、忽然と消えてしまったのか?

 こ、これは――何かの事件か、もしくは『神隠し!』

 ま、まさかね……。こんな大都会の東京の真ん中で、神隠しなんて……。

 いや別に、田舎ならあるわけではないけど。

 そのときだった――

 舞台の袖から、一人の女性が顔を出した。その女性は、胸から血を流していた。

「うわぁー!!」

 僕は大声を出して、その場にひっくり返ってしまったのだった――


「驚かせてしまって、大変申し訳ありませんでした。これは、本物の血ではないです」

 と、その女性――中井架純さんは、僕に謝った。

「そんな、謝ることなんてないですよ。明宏君が勝手に驚いて、勝手に気絶しただけですから」

 と、明日香さんが言った。

「あの、明日香さん。僕は、気絶はしていないですよ。ただ、ひっくり返っただけです」

 と、僕は反論をした。

「どっちでも同じよ。探偵助手のくせに、私の方が恥ずかしいわ」

 いや、気絶をするのと、ただ、ひっくり返るのとでは大違いだ。

 気絶をするのは、意識を失っているが、ひっくり返るというのは――ただ、ひっくり返るだけだ!

 と、僕は心の中で、再反論をした。

「中井さんは、殺される役なんですか?」

 と、僕は聞いた。

「それは、見てのお楽しみということで」

 と、中井さんは微笑んだ。

 そんな言い方をされると、見たくなってしまう。

「それよりもさ、架純ちゃん。他の人たちは、どうしたの? 架純ちゃん、一人だけなの?」

 と、明日菜ちゃんが聞いた。

「ちょうど、きりがいいところまでやったから、少し早めに休憩になったの。みんな、お昼ご飯を食べに行ってるわ」

「架純ちゃんは?」

「私は、節約のために、お弁当を自分で作ってきているの。もう食べちゃったわ。それで舞台の方から何か声が聞こえてきたから、誰だろうと思って、ちょっと覗きにきたのよ」

「なんだ、そうだったんだ。誰もいないから、場所を間違えたのかと思っちゃった」

 と、明日菜ちゃんは笑った。

「でも明日菜ちゃん、こんなに早くどうしたの?」

「えっ? どうしたのって?」

「約束は、1時30分頃だったのに。ずいぶん早く来たのね」

「えっ? 明日菜ちゃんは、約束は11時30分頃だって――」

 と、僕は言った。

「あれっ? 11時と1時を、聞き間違えたのかな?」

 と、明日菜ちゃんは笑った。

 11時と1時の聞き間違いか。

 うーん……。それは、あり得るか。

 特に、明日菜ちゃんなら。

「メールで、文字で送ったはずだけどね」

 と、中井さんは笑った。

 まあ、見間違いもあり得るだろう。

 特に、明日菜ちゃんなら。

「そうだったっけ?」

 と、明日菜ちゃんは、再び笑った。

「それじゃあ皆さん、お昼ご飯はまだですよね? 近くにファミレスがあるので、そこに行きますか?」

「でも架純ちゃんは、もう食べちゃったんでしょう?」

 と、明日菜ちゃんが言った。

「私は、コーヒーでも飲むわ」

 僕たちは、ファミレスに向かった。


 ちょうどお昼時ということで、少し混んでいたけど、すぐに入ることができた。

 僕と明日香さんはカレーライスを、明日菜ちゃんはハンバーグを、そして中井さんはコーヒーをそれぞれ注文した。

「架純ちゃん、急に菜々子ななこちゃんが来れなくなっちゃったから、お姉ちゃんと明宏さんを連れて来ちゃったけど、大丈夫だった?」

 と、明日菜ちゃんが聞いた。

 菜々子ちゃんというのが、最初に行く予定だった、明日菜ちゃんの友達か。

「もちろん、大歓迎よ」

 と、中井さんは微笑んだ。

 ちなみに、中井さんは、着替えてきている。当然だけど、あの格好のまま来たら、気絶するどころの騒ぎではなくなるだろう。

「お姉さんと坂井さんのことは、明日菜ちゃんからよく聞いていました。とても優秀な探偵さんと、探偵助手だって」

「そうですか。でも、半分だけ間違っていますけどね」

 と、明日香さんは、僕の顔を見ながら言った。


 僕たちは、料理が運ばれてくると、食べることに集中した。

 僕たちが一心不乱に食事をしていると、一人の男性が声を掛けてきた。

「なんだ、架純も来ていたのか」

「あっ、樋田さん」

 声を掛けてきたのは、事件の日に僕たちが見掛けた、樋田哲雄さんだった。

 樋田さんは、『探偵、梅井今日子3』と、舞台のタイトルが書かれたTシャツを着ていた。

「そちらの人たちは?」

 と、樋田さんが、僕たちを見ながら聞いた。

 樋田さんは、僕たちのことを覚えているのだろうか?

「私のモデル時代の友達の、桜井明日菜ちゃんと、明日菜ちゃんのお姉さんの明日香さんと、お姉さんの助手の坂井さんです」

「助手?」

「お姉さんは、探偵さんです」

「探偵?」

「探偵の、桜井明日香です」

 と、明日香さんが、名刺を差し出した。

「いらねえよ。俺は、探偵なんかに用はない」

 と、樋田さんは名刺の受け取りを拒否すると、「邪魔したな」と、足早にファミレスから出ていった。

「中井さん、今の方は俳優の樋田哲雄さんですよね?」

 と、明日香さんが聞いた。

「はい、そうです」

「樋田さんは、いつもあのTシャツを着ているんですか?」

「そうですね――あっ、でも一度だけ違うTシャツを着て来たことがありました。確か、樋田さんの住んでいるアパートで、殺人事件があった日です。その日だけ、前作のTシャツを着ていましたね」

「どうして、前作のTシャツを?」

「『間違って、汚しちゃった』とか、言っていたと思いますけど」

「明日香さん、汚したって――」

「ええ、あの日、私たちが西川さんの部屋に居たときに、下の部屋から洗濯機の音が聞こえてきたわね」

 ということは、まさか山元さんを殺した犯人は、樋田哲雄さんなのか? 山元さんの血液が付着してしまったので、慌て洗濯をした。

「中井さん、あのTシャツは、皆さん持っているんですか?」

 と、明日香さんが聞いた。

「はい。舞台の出演者とスタッフ全員が、一枚ずつ持っています。私は、樋田さんほど頻繁には着ていないですけど。樋田さんは、過去の作品のも全部持っているそうですよ。あの人、色々なものを捨てられずに、なんでも取っているみたいです」

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