第6話

「明日香さん――亜依ちゃんは、いったいどこに行ってしまったんでしょうか……」

 僕たちは、車の中に戻ってきていた。

「そうね。さっきの話だと、清水さんは自らの意思で出掛けていったようね」

 と、明日香さんは言った。

「でも、こんなときに旅行になんて、行きますかね?」

「元々、予定でもない限りは、行かないんじゃないかしら? まあ、人それぞれだけどね。それよりも、私は郵便の方が気になるわ」

「郵便がですか? どういうことですか?」

「清水さんは、郵便物を配達に来た人から直接受け取っていたのよ。たまたま、なのかしら?」

「たまたま?」

「ええ。たまたま部屋から出てきたところに、配達されて来た――あるいは部屋から出て、郵便が届くのを待っていたのか」

「お隣さんのように、郵便受けに入れたままにしておくのが、不安だったということですか?」

「その可能性もゼロじゃないけど、その郵便物が必要だったのかもしれないわ」

「どういう意味ですか?」

「ちょっと待って。何かが、引っ掛かっているのよね――」

 と、明日香さんは言ったきり、黙ってしまった。


「明宏君、清水さんの職場はどこか知らないの?」

 明日香さんは、しばらく考え込んだ後に、そう言った。

「すみません、知らないです」

「本当に、何も知らないのね」

 確かに、僕は今の亜依ちゃんのことを、何も知らないのだ(住所と携帯電話の番号以外)。

「ちょっと、待ってください。誰か友達に電話をして、聞いてみます」

 僕は携帯電話を取り出すと、友達に片っ端から電話を掛けていった。

「久しぶり、明宏だけど。ちょっと、聞きたいことがあるんだけど。高校のとき同じクラスだった清水亜依だけど、今の勤め先とか知らない? えっ!? 知ってる? どうして、お前が知っているんだよ? まあいいや。ちょっと、教えてほしいんだけど」

 幸いにも、知っている友達がいた。

「ありがとう、助かったよ。えっ? バ、バカなことを言うなよ。そんなんじゃないって。ああ、分かったよ。その内、連絡するよ。それじゃあな」

 僕は、電話を切った。

「明日香さん、分かりましたよ。行ってみますか?」

「そうね、ここにいても仕方がないし、行ってみましょうか」

 僕は、車のエンジンをかけた。

 それにしても、友達が変なことを言うから、焦ってしまった。

『清水に、告白でもするのか?』って――告白するのに、勤め先なんか聞かないだろう。


 僕たちは、少し早めに昼食を終わらせて、亜依ちゃんの職場に向かった。

 あんまり早く行きすぎると仕事中だし、休憩時間になって、弁当(かどうかは知らないが)を食べ終わる頃に行こうということになった。


 そして僕たちは、12時30分過ぎに、亜依ちゃんの職場にやってきた。

 都心から結構離れた辻田つじた製作所という工場で、亜依ちゃんは働いているようだ。

「明日香さん、ここですね」

 僕たちは車を停めると、事務所らしき建物の方に行ってみた。昼休みということで、辺りは静かだった。

 ガラス張りのドアから中を覗くと、30代前半くらいの男性と50代くらいの事務員らしき女性がイスに座って、食後のコーヒーでも飲んでいるのだろうか、楽しそうに談笑している。

 そのとき、女性が中を覗き込んでいる僕たちに気が付いた。女性は、僕たちを不思議そうに見ている。

 それはそうだろう。こういう場所に不似合いな服装の男女が、中を覗き込んでいるのだから。

 すると、男性の方も僕たちに気付いて、席を立って慌ててこちらにやってきた。男性の胸には、辻田という名札が付いている。ここの会社の、社長だろうか?


 辻田さんは事務所の外に出てくると、「社長の辻田ですが、何か、ご用ですか?」と、聞いた。

「すみません、ちょっとお聞きしたいんですけど。こちらの工場で、清水亜依さんという女性が働いていると思うんですけど」

 と、僕は聞いた。

 亜依ちゃんの名前を出すと、辻田さんの顔色が変わった。

「もしかして――警察の方ですか?」

 と、辻田さんは意外な言葉を口にした。何か、僕たちを警戒するような目で見ている。

「いえ、僕たちは――清水亜依さんの、同級生なんですけど」

 僕は探偵と名乗ろうかと思ったが、警察を警戒しているのであれば、探偵も警戒されるかと思って、先ほどの明日香さんと同様に同級生だと名乗った(実際、僕は同級生だし)。

「あっ、そうでしたか。これは、失礼しました」

 僕たちが警察じゃないと分かって、辻田さんは少しほっとした表情を見せた。

「清水亜依さんは、今日は来ていますか?」

「いえ、今日は休んでいますね。というか、一昨日からですけど」

「病気か何かですか?」

「ええ……、たぶん」

 辻田さんは、曖昧にこたえた。

「たぶん?」

「自宅にも、いなかったんですけど」

「えっとですね……。入院でも、しちゃったのかなぁ? ははは」

 なんと、嘘を付くのが下手な人なんだろうか。

 すると、明日香さんが話に割って入った。

「辻田さん、先ほど警察の方ですかって聞かれましたけど、どうして私たちを警察だと思ったんでしょうか?」

「えっ? い、いや、それは……。でも、亜依に限ってそんなことは……。ねえ?」

 ねえ? と、言われても、僕たちも困るのだが。辻田さんは、完全に目が泳ぎ、しどろもどろだ。

「先ほど、と呼び捨てにされましたけど、お二人は個人的に親しいのでしょうか?」

 と、明日香さんは、さらに追及した。

「えっ? よ、呼び捨てになんて、しましたっけ?」

 辻田さんは、動揺しまくっている。

「どうして、そんなことを聞かれるんですか? あなた方は、本当に亜依の同級生ですか?」

 また、呼び捨てにした。

「いえ、私は探偵です」

 と、明日香さんはきっぱりと言った。

「た、探偵!? それじゃあ、同級生というのは嘘なんですか?」

「いえ、彼が同級生なのは本当です」

「探偵が、どうして――あなた方も、亜依を疑っているんですか? 亜依が、人を殺したりするはずがないじゃないですか!」

 やっぱり、辻田さんと亜依ちゃんは特別な関係なのだろう。そして、亜依ちゃんから殺人事件のことを聞いているのだろう。

「辻田さん、私たちは清水さんを疑ったりなんてしていません。私たちは、そのとき清水さんに会っているんです。そのときの清水さんの様子は、とても人を殺したような感じではありませんでした」

「本当ですか?」

「ええ、本当です。どうか清水さんのことを、聞かせてもらえませんか?」

「――分かりました。ちょっと、場所を変えましょう」


「こちらへどうぞ」

 僕たちは、事務所の2階の応接室に通された。

「すぐに、コーヒーでも入れさせますから」


 先ほどの事務員らしき女性がコーヒーを置いて出ていくと、応接室には辻田さんと僕たちの三人になった。

「探偵の、桜井明日香といいます」

 明日香さんは、名刺を渡した。

「僕は、助手の坂井明宏です。清水亜依さんの、高校時代の同級生です」

「どうも。私は、ここの社長の辻田です」

 と、辻田さんは、明日香さんに名刺を渡した。

「さっそくなんですけど辻田さん。辻田さんは、清水さんとは、ただの社長と従業員の関係ではないんですね?」

 と、明日香さんが聞いた。

「ええ、確かに私と亜依は、交際しています」

「失礼ですが、いつ頃からでしょうか?」

「そうですね。亜依がうちに入社したのが、亜依が高校を卒業してすぐの頃です。私は、当時はまだ社長ではなかったんですが、亜依に一目惚れをしまして。当時から、付き合ってほしいと言っていたんですけど、亜依はなかなかOKしてくれませんでした」

「どうしてでしょうか?」

「今は、仕事を覚えるのが先だからと。恋愛をするのは、まだ早いからって」

「真面目だったんですね」

「ええ、亜依は本当に真面目で、一生懸命に働いていましたね。他の従業員たちの間でも、亜依の頑張りは評価されていました。それで、今から3年前に、私が会社を継いだときに、正式に付き合うことになりました」

 そうか、亜依ちゃんには、彼氏がいたのか……。僕は、今は明日香さんが好きだが、少し寂しい気持ちがした。


「それでは、今回の件なんですけど」

 と、明日香さんは本題を切り出した。

「私がこれから話すことは、警察には言わないでいただきたいのですが」

「もちろん、絶対に誰にも話しません」

「もともとは、一昨日だけ休みのはずだったんです。急用ができたので、一日だけ休ませてほしいと」

「急用ですか。具体的には、なんと?」

 と、僕は聞いた。

「さあ、そこまでは話してくれなかったんですが、私はてっきり家の用事か何かだと思っていたんですけど……」

「それが、あのアパートに行く用事だったわけですね」

 と、明日香さんが言った。

「亜依ちゃんは、僕たちに、旅行のときに駅に忘れたバッグを拾ってもらったので、取りに来たと、僕たちに話していたんですが、心当たりはありますか?」

 と、僕は聞いた。

「それが、私には心当たりがなくて。去年の秋に社員旅行はあったんですけど、バス旅行だったので、駅なんて行っていないんです。それ以外に、旅行なんて行っていないと思うんです」

「そうなると、清水さんは嘘をついた可能性が高いわね」

 と、明日香さんが言った。

「辻田さん、警察にはこのことは?」

 と、僕は聞いた。

「実は、一昨日の夕方、亜依から電話があったんです。もしも、警察に聞かれたら、そういうふうに答えてくれないかって。それと、しばらく休ませてほしいと。従業員には、体調不良と伝えてあります」

「そうですか。正直に話していただいて、ありがとうございます」

 と、明日香さんは微笑んだ。

「あの。私が警察に嘘を言ったことは、何か罪に問われたりするんでしょうか?」

「それは、私にはなんとも――」

「そうですか――いえ、別にそれが怖いとか、そういうことではないんです。亜依のことが、心配で。ただ、それだけなんです」

「辻田さん、清水さんの写真をお持ちでしたら、一枚お借りできませんか?」

「写真ですか? ええ、ありますけど。少々、お待ちください」

 辻田さんは、応接室を出ていった。

「明日香さん、亜依ちゃんの写真をどうするんですか?」

「今後、必要になるかもしれないわ」


「お待たせしました、去年の社員旅行の写真です」

 数分後、辻田さんが亜依ちゃんの写真を持って戻ってきた。

「ありがとうございます」

 その写真は、バスの中で撮られた写真だった。写真の中の亜依ちゃんは、とてもいい笑顔を見せていた。

「それでは、これで失礼します」

 と、明日香さんが言った。

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